
- わたしが高校生まで過ごした長崎県佐世保市は
海軍さんの軍港の街でした。
いまも自衛隊と米軍基地の街です。
小学生のころ、市の教育委員会が編集した
『火の雨 佐世保空襲の記録』という書籍を授業で読みました。
佐世保市への大空襲は、1945年6月28日に起こりました。
いま、自分が住んでいる街でも空襲があったのかと思うと、
戦争のことが身近に感じられました。
そんな感想を父に話すと、空襲当時17歳だった父は、
空襲で亡くなった方のご遺体を運ばされたと教えてくれました。
いまは市の中心部にあるその当時は
広い公園になった場所に亡くなった方のご遺体を運んで来て、
荼毘にふしたそうです。
「ものすごくイヤだった」と、
晩酌をしながらも父はぽつりと言いました。
そのとき、空襲の記録の書籍を読んだとき以上に、
あぁ、戦争ってイヤだな、怖いなと思ったことを
いまでも覚えています。
家族と一緒によく遊びに行っていた公園が
そんな場所だったということも、
子ども心にショックでした。
身近な人の口から聞くことで、
より一層戦争のおそろしさが伝わってきたのだと思います。
父も母もあまり戦時中の話はしませんでしたが、
それでも父が戦時中の話をすると、必ずその話の終わりに
「イヤな時代だったな」というのです。
心底、イヤだったんだなということが伝わってきました。
考えてみると、
父も母も一番多感な時期に戦争を経験しています。
本当にイヤだったんだろうなと思います。
あるとき、山田洋次監督の『小さいおうち』という作品を
拝見したときに、作品の終わりのほうで、
戦時中には子どもだったある登場人物が戦時中を思い出し、
やはり話の終わりに
「イヤな時代だったな」というのです。 - その台詞にはっとしました。
戦時中を過ごした方の共通した思いかもしれません。
そんな、小さな、地方都市で過ごした父の話と
それを聞いた娘の話ですが、
「戦争の記憶」というと、
この父から佐世保空襲の話を聞いたときのことを思い出すので、
お送りしました。 - (匿名さん)
2025-10-21-TUE

