
- 毎日、貴重なお話をこちらで読めて感謝しています。
出征して戦いに加わった方、
シベリアで抑留された方、
怪我をなさった方、
大変な飢えを乗り越えられた方‥‥。 - 戦地に赴かずとも、いまでは考えられない苦労が、
内地でもありました。
牧師であった祖父が従事していた社会福祉事業は、
もともとアメリカ人のキリスト教宣教師女性が
興したものでした。
細々ですがアメリカから資金が送られていましたし、
建物には十字架が掲げられ、
キリスト教の礼拝堂があり、
毎日祈りが捧げられていました。
戦時下、「敵性団体」とされ、
日曜日の礼拝は憲兵の監視下で、
天皇が神であるという礼拝を行わざるを得ず
(これを拒否して連行され、拷問に遭い、
獄死した牧師が少なからずいた、と聞きます)
平日も警察が巡視して(スパイ行為はないか等)いたそうです。
祖父が40歳を過ぎての高齢で出征したのち、
残った祖母は非国民のそしりを免れるためにも、
率先して出征家族の世話をしたり、防空壕を掘ったり、
ずいぶん大変な思いをしたようでした。
呉の海兵隊に所属した祖父、
これまたヤソだというので苛烈ないじめにあったようです。
しかし、どんな横暴な上官も飢えには勝てないようで、
主計係(要は炊事担当)の祖父たちのところへ、
日頃威張り散らし、暴力三昧の上官が、
ご飯をよそった後のしゃもじを舐めさせてくれ
(ご飯粒がついていますので)
とこそっと忍び込んできたものだというのも聞きました。 - 孫の私に対しては、二人ともニコニコするばかりで、
ほとんど直接語ってもらうことはなかったですが、
祖父が牧師だったので、
祖父が毎週日曜日の礼拝で語る説教から
聞くことができたのは幸いでした。 - 信条、信仰をさえぎるものがなく、
脅されたりすることなく毎日平安に過ごせることが、
どれだけ「有難い」ことであるか。
あ、海軍のトイレには、ドアがなかったそうですよ。
隠れて何か企みをしてはならんということなんでしょう。
「あんなの人のいる場所じゃない」 - 祖父は復員後、一度も呉に行っていません。
息子である父が数年間、呉に単身赴任したのですが、
その時も訪ねて行くことはありませんでした。 - 平和のありがたさと心地よさを、
この機会に再考したいものです。 - (タナボタばんざいより)
2025-10-20-MON

