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読者のみなさんから届いたお便り #71

 
毎日、貴重なお話をこちらで読めて感謝しています。
出征して戦いに加わった方、
シベリアで抑留された方、
怪我をなさった方、
大変な飢えを乗り越えられた方‥‥。
戦地に赴かずとも、いまでは考えられない苦労が、
内地でもありました。
牧師であった祖父が従事していた社会福祉事業は、
もともとアメリカ人のキリスト教宣教師女性が
興したものでした。
細々ですがアメリカから資金が送られていましたし、
建物には十字架が掲げられ、
キリスト教の礼拝堂があり、
毎日祈りが捧げられていました。
戦時下、「敵性団体」とされ、
日曜日の礼拝は憲兵の監視下で、
天皇が神であるという礼拝を行わざるを得ず
(これを拒否して連行され、拷問に遭い、
 獄死した牧師が少なからずいた、と聞きます)
平日も警察が巡視して(スパイ行為はないか等)いたそうです。
祖父が40歳を過ぎての高齢で出征したのち、
残った祖母は非国民のそしりを免れるためにも、
率先して出征家族の世話をしたり、防空壕を掘ったり、
ずいぶん大変な思いをしたようでした。
呉の海兵隊に所属した祖父、
これまたヤソだというので苛烈ないじめにあったようです。
しかし、どんな横暴な上官も飢えには勝てないようで、
主計係(要は炊事担当)の祖父たちのところへ、
日頃威張り散らし、暴力三昧の上官が、
ご飯をよそった後のしゃもじを舐めさせてくれ
(ご飯粒がついていますので)
とこそっと忍び込んできたものだというのも聞きました。
孫の私に対しては、二人ともニコニコするばかりで、
ほとんど直接語ってもらうことはなかったですが、
祖父が牧師だったので、
祖父が毎週日曜日の礼拝で語る説教から
聞くことができたのは幸いでした。
信条、信仰をさえぎるものがなく、
脅されたりすることなく毎日平安に過ごせることが、
どれだけ「有難い」ことであるか。
あ、海軍のトイレには、ドアがなかったそうですよ。
隠れて何か企みをしてはならんということなんでしょう。
「あんなの人のいる場所じゃない」
祖父は復員後、一度も呉に行っていません。
息子である父が数年間、呉に単身赴任したのですが、
その時も訪ねて行くことはありませんでした。
平和のありがたさと心地よさを、
この機会に再考したいものです。
(タナボタばんざいより)

2025-10-20-MON

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  • ヴェトナム戦争/太平洋戦争にまつわる
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    その中から、
    「50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶」
    の特集のなかで、
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    特集 50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶