
- わたしの義父は、大正10年生まれでした。
ニ・二六事件事件が起きたときに義父は15歳の少年で、
「近所に住んでいたから走って現場を見に行ったんだよ」と、
少し得意げに言っていました。 - 早くに母を亡くし、長男として妹三人を支えていた義父は、
戦争のときに満州鉄道で働いていたそうです。
(義父の持っていた古いパスポートには、
英語でエンジニアと書かれていました) - そこで得た収入のほとんどを妹達に送金していたので、
「兄さんには頭が上がらない」と
叔母たちはいつも言っていました。 - 義父は戦争のときのことをほとんど話してくれませんでしたが、
終戦直後に満州から引き上げて来たときの話を
一度だけ聞いたことがあります。
そのころ中国では、
「敵襲が怖くて夜に電気をつけられなかった」そうです。
(わたしは「敵襲」という言葉をその時に初めて聞きました)
そしてある夜、真っ暗な部屋で息を潜めていると、
カチカチカチカチ‥‥と、
何かの音が聞こえているのに気がついて、
「何の音だろう?」と思ったら
「自分の歯の根が合わなくてカチカチ言っていたんだよ‥‥
それくらい怖くて仕方がなかったんだ」。
日ごろ豪胆な義父からその話を聞いたとき、
わたしは何も言うことが出来ませんでした。 - その後、義父は東京タワーのエレベーターの設計に関わり、
孫にも恵まれ、戦後の豊かな時代を穏やかに暮らしましたが、
亡くなる最後まで部屋を真っ暗にしないと
寝ることが出来ませんでした。
少しでも明るいと気になって眠れない、と言っていました。
義父の戦争は、まだ終わっていなかったのです。 - (匿名さん)
2025-10-17-FRI

