
- わたしは52歳の女性で、
亡くなった祖母から聞いた太平洋戦争終戦の話を
メールします。 - 祖母は太平洋戦争中、
夫である祖父が中国満州へ電気技師として行くことになり、
故郷鹿児島を離れ、
まだ4歳か5歳くらいの長男、長女を連れて一緒に付いて行き、
中国で生活していたそうです。
生活する中でソ連ロシア人による侵攻があり、
住んでいた家の近くで爆発があり、それから隠れるため、
外に出て茂みに隠れたことがあったと聞きました。
そしてロシア人に見つかったのだけど、
女子どもだからか、ロシア人は優しかったとも言っていました。
終戦の時は引き揚げ船に乗るため、
小さな長男長女の手を引き、
多くの引き揚げ者がいる混沌の中で
2人の手を絶対に離さないように必死で戻ってきたと
言っていました。
船の着いた先は京都の舞鶴港。
とても嬉しかったと言っていました。
とにかく混沌とした時代であり、
必死に生きてきたことが伝わりました。
もう30年ほど昔に聞いた話ですが、
衝撃的で今でも忘れられないです。
優しい祖母がこんな辛く大変な経験をしたのだと思うのと同時に、
大正生まれは強いといいますが、
間違いなく祖母も強かったと思っています。
この話を、わたしは娘2人にも伝えていますが、
公の場でも伝えたいと思っていました。
機会を頂き、ありがとうございます。
平和な世の中で、これからもあってほしいと願います。 - (まっちゃんより)
2025-10-13-MON

