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読者のみなさんから届いたお便り #42

 
わたしの父は、小学校3年生のときに、
長男だからと学校での疎開に参加させられ、
県北に疎開させられたそうです。
学校の先生や学友と一緒と言っても、
すごく寂しくて、
なぜ自分だけと思ったそうです。
それにも増して、田舎とは言え、
お腹いっぱいご飯が食べられるわけではなく、
疎開先のお寺から
近所へお風呂に行った帰り道に、
友だちと一緒に、まだ青い稲の先の実を食べたり、
道端の草の実を食べたりしたそうです。
いまでは考えられないです。
戦時中に産まれた弟は、
食糧難で祖母の産後の肥立ちが悪く、
母乳をしっかりあげられず、
栄養失調で直ぐに亡くなったそうで、
ときどき、すごくかわいい子だったと話します。
8月6日の朝、
疎開先から何かが突然ピカっと光ったのを
覚えているそうです。
母はまだ4歳ぐらいでしたが、
広島市内から遠くに住んでいても、
同じくあの日の朝に
突然黒い雲がもくもくと湧き上がったのを
覚えているそうです。
母の姉は、女学校から学徒動員で
広工廠に駆り出されていて、
玉音放送を聴いたあと、
みんなで白い鉢巻をしたまま
泣きながら40キロ以上離れた自宅まで
歩いて帰って来たそうです。
今回の企画で、みなさんのお話を読んで、
わたしが聞いた話を思い出しました。
忘れないことが、いまの平和、日常を大切にする、
良い機会になったと思います。
ありがとうございます。
(ダケ)

2025-09-21-SUN

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  • ヴェトナム戦争/太平洋戦争にまつわる
    読者のみなさんからのお便りを募集いたします。

     

    ご自身の戦争体験はもちろん、
    おじいちゃんやおばあちゃんなどご家族や
    ご友人・知人の方、
    地域のご老人などから聞いた戦争のエピソード、
    感銘を受けた戦争映画や小説についてなど、
    テーマや話題は何でもけっこうです。
    いただいたお便りにはかならず目を通し、
    その中から、
    「50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶」
    の特集のなかで、
    少しずつ紹介させていただこうと思います。

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    特集 50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶