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読者のみなさんから届いたお便り #43

 
わたしの祖母は3人兄弟の長女で、
太平洋戦争がはじまったころには
結婚して家を出ていました。
家は長男である祖母の弟が継ぐはずだったのですが、
残念ながら徴兵され、
終戦の数ヶ月前に亡くなりました。
乗っていた船がアメリカ軍の攻撃を受けて
沈没したそうです。
その結果、祖母は嫁ぎ先の夫を連れて実家に戻り
(嫁ぎ先は夫の弟が継いだそうです)、
家を継ぎました。
わたしの父が社会科(日本史)の教員だったことも
あるのかもしれませんが、
戦争で亡くなった祖母の弟の話は
何度も聞かされました。
父は祖母の弟を「まさお兄ちゃん」と呼んでおり、
わたしもいつの間にかそう呼ぶようになっていました。
「まさお兄ちゃん」は、わたしの心の中で、
他のご先祖様よりも身近に話すことができる存在でした。
「兄ちゃん」という呼称と、
遺影の若さがそう感じさせたのかもしれません。
実家には、
祖母の弟に宛てた日の丸の寄せ書きやゲートルなど、
戦争を感じさせるものがたくさん残っていました。
そんな環境で育ったからか、
わたしにとって太平洋戦争は割と身近なものでした。
その感覚が一般的ではないと知ったのは
30近くになってから。
歳上の同僚と戦争の話になったとき、彼女が
「家族に戦争で死んだ人とか戦争経験者とか、
普通いないでしょ」と言ったのです。
わたしはびっくりしました。
当時、日本中を巻き込んだ戦争なのですから、
無関係で過ごせた人などいるわけがないと
思ったからです。
わたしは「わたしにはいるよ。
わたしのおばあちゃんの弟は戦争で死んだよ」
と言いました。
すると彼女は、「他人じゃん」と言ったのです。
わたしが家族だと思ってきた人が
他人だと言われたこと、
戦争など遠い昔のことで
現在とは繋がりがないかのように言われたこと、
なんだかいろいろショックでした。
10年以上前のことなのに、
いまでも心がもやもやしています。
もやもやした気持ちを吐き出したかっただけかも。
長文失礼しました。
(なこ)

2025-09-22-MON

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  • ヴェトナム戦争/太平洋戦争にまつわる
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    テーマや話題は何でもけっこうです。
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    その中から、
    「50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶」
    の特集のなかで、
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    特集 50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶