
- わたしの祖母は3人兄弟の長女で、
太平洋戦争がはじまったころには
結婚して家を出ていました。
家は長男である祖母の弟が継ぐはずだったのですが、
残念ながら徴兵され、
終戦の数ヶ月前に亡くなりました。
乗っていた船がアメリカ軍の攻撃を受けて
沈没したそうです。
その結果、祖母は嫁ぎ先の夫を連れて実家に戻り
(嫁ぎ先は夫の弟が継いだそうです)、
家を継ぎました。 - わたしの父が社会科(日本史)の教員だったことも
あるのかもしれませんが、
戦争で亡くなった祖母の弟の話は
何度も聞かされました。
父は祖母の弟を「まさお兄ちゃん」と呼んでおり、
わたしもいつの間にかそう呼ぶようになっていました。
「まさお兄ちゃん」は、わたしの心の中で、
他のご先祖様よりも身近に話すことができる存在でした。
「兄ちゃん」という呼称と、
遺影の若さがそう感じさせたのかもしれません。
実家には、
祖母の弟に宛てた日の丸の寄せ書きやゲートルなど、
戦争を感じさせるものがたくさん残っていました。 - そんな環境で育ったからか、
わたしにとって太平洋戦争は割と身近なものでした。
その感覚が一般的ではないと知ったのは
30近くになってから。
歳上の同僚と戦争の話になったとき、彼女が
「家族に戦争で死んだ人とか戦争経験者とか、
普通いないでしょ」と言ったのです。
わたしはびっくりしました。
当時、日本中を巻き込んだ戦争なのですから、
無関係で過ごせた人などいるわけがないと
思ったからです。
わたしは「わたしにはいるよ。
わたしのおばあちゃんの弟は戦争で死んだよ」
と言いました。 - すると彼女は、「他人じゃん」と言ったのです。
- わたしが家族だと思ってきた人が
他人だと言われたこと、
戦争など遠い昔のことで
現在とは繋がりがないかのように言われたこと、
なんだかいろいろショックでした。
10年以上前のことなのに、
いまでも心がもやもやしています。 - もやもやした気持ちを吐き出したかっただけかも。
長文失礼しました。 - (なこ)
2025-09-22-MON

