
- 日中戦争勃発の年に生まれ、
小学校2年で終戦を迎えた父は、生涯
「こんにゃくはキライだ。
戦中戦後に一生分食べた」と、
こんにゃくに手をつけませんでした。
子どものころ、一日の食べものが
塩ゆでのこんにゃくしかないことも
ざらだったそうです。
小さいころは「へー」と聞くだけでしたが
わたしも成長して、あるときふと
「食糧難で少しでも栄養が必要な時期に、
なにゆえカロリーゼロのこんにゃくを
わざわざ食べていたのか?」と疑問が湧きました。
そうして思い至ったのは。 - 父の母、1900年生まれのわたしの祖母は、
10歳の時に父親を亡くし、
親きょうだい全員離散。
祖母自身は
貧民救済事業を行っていた
ミッションスクールの寄宿舎に入れられて、
カナダ人宣教師たちの元で育ち、
卒業後も母校や系列校の
寄宿舎舎監として生計を立て、
当時で言うところの
「オールドミス」となっていましたが、
前妻を早くに亡くした
一回り以上年上の祖父の後添えに望まれて結婚、
当時としては超高齢出産の37歳で
父を産みました。
つまりは筋金入りの世間知らず。 - 同じくクリスチャンだった祖父とともに
キリスト教に身を捧げる人生を歩むはずが、
父が生まれてほどなく祖父は急死し、
幼い父と、
どういう理由か引き取っていた親戚の子を
女手ひとつで抱えて太平洋戦争に突入しました。 - 家庭の味を知らず、
栄養のある食べものは何かなんて
親から自然に得るような知識も持ち得なかった祖母は、
見た目ずっしりと重たそうなこんにゃくなら、
おなかの足しになると思ったのか。
はたまた食糧難の時代、
くそ真面目なクリスチャンの祖母が
人と争って食材を手に入れることなどするはずもなく、
誰も手を出さないこんにゃくしか残っていなかったのか。
恐らくそんなところだったのでしょう。 - 家族や地域社会とのつながりの中で生きた、
多くのふつうの人々にとっても苛酷だった戦争。
でもそれ以前から不利な条件の下、
何とか生きていた人々もいたわけで、
その脆弱さゆえに
戦争による困窮度も高かっただろうことは
容易に想像がつきます。
またそれは、現在のこの不景気・物価高の時代に
病を抱える方やシングルで子育てをなさる方々、
失職して親の介護に専念している方々などの
境遇とも重なって見えてきます。
ほころびは、弱いところに出る。
祖母も父も亡くなってからずいぶん経って、
昔話をあらためて反芻して初めて気づいたことでした。 - しかし祖母も父も、
よくぞリアルカロリーゼロの中を生き抜いた。
人間は弱いけれども強いですね。 - (なぼちん)
2025-09-20-SAT

