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読者のみなさんから届いたお便り #41

 
日中戦争勃発の年に生まれ、
小学校2年で終戦を迎えた父は、生涯
「こんにゃくはキライだ。
戦中戦後に一生分食べた」と、
こんにゃくに手をつけませんでした。
子どものころ、一日の食べものが
塩ゆでのこんにゃくしかないことも
ざらだったそうです。
小さいころは「へー」と聞くだけでしたが
わたしも成長して、あるときふと
「食糧難で少しでも栄養が必要な時期に、
なにゆえカロリーゼロのこんにゃくを
わざわざ食べていたのか?」と疑問が湧きました。
そうして思い至ったのは。
父の母、1900年生まれのわたしの祖母は、
10歳の時に父親を亡くし、
親きょうだい全員離散。
祖母自身は
貧民救済事業を行っていた
ミッションスクールの寄宿舎に入れられて、
カナダ人宣教師たちの元で育ち、
卒業後も母校や系列校の
寄宿舎舎監として生計を立て、
当時で言うところの
「オールドミス」となっていましたが、
前妻を早くに亡くした
一回り以上年上の祖父の後添えに望まれて結婚、
当時としては超高齢出産の37歳で
父を産みました。
つまりは筋金入りの世間知らず。
同じくクリスチャンだった祖父とともに
キリスト教に身を捧げる人生を歩むはずが、
父が生まれてほどなく祖父は急死し、
幼い父と、
どういう理由か引き取っていた親戚の子を
女手ひとつで抱えて太平洋戦争に突入しました。
家庭の味を知らず、
栄養のある食べものは何かなんて
親から自然に得るような知識も持ち得なかった祖母は、
見た目ずっしりと重たそうなこんにゃくなら、
おなかの足しになると思ったのか。
はたまた食糧難の時代、
くそ真面目なクリスチャンの祖母が
人と争って食材を手に入れることなどするはずもなく、
誰も手を出さないこんにゃくしか残っていなかったのか。
恐らくそんなところだったのでしょう。
家族や地域社会とのつながりの中で生きた、
多くのふつうの人々にとっても苛酷だった戦争。
でもそれ以前から不利な条件の下、
何とか生きていた人々もいたわけで、
その脆弱さゆえに
戦争による困窮度も高かっただろうことは
容易に想像がつきます。
またそれは、現在のこの不景気・物価高の時代に
病を抱える方やシングルで子育てをなさる方々、
失職して親の介護に専念している方々などの
境遇とも重なって見えてきます。
ほころびは、弱いところに出る。
祖母も父も亡くなってからずいぶん経って、
昔話をあらためて反芻して初めて気づいたことでした。
しかし祖母も父も、
よくぞリアルカロリーゼロの中を生き抜いた。
人間は弱いけれども強いですね。
(なぼちん)

2025-09-20-SAT

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