
- わたしの地元は糸井重里さんと同じ群馬県前橋市です。
わたしの父方の曽祖母(ひいおばあちゃん)は
数年前に亡くなりましたがとても長生きでした。
1945年の前橋空襲のときには、
空から焼夷弾が降ってきて、
ひいおばあちゃんは子ども(わたしの祖父)を
背中におんぶしながら走って避難して、
その道中で爆弾を下駄で蹴り飛ばしたんだ‥‥と
言っていました。
「そんなことができるのか!?」と思いますが、
それが嘘だとは思えないくらい、
かかあ天下を体現するようなパワフルな人でした。
そんな元気なひいおばあちゃんでしたが、
結婚してから出征した旦那さんが戦死してしまい、
一家存亡の危機だったらしいです。
旦那さんが出征する前に妊娠していた子が
無事に生まれたことで
その危機はなんとか免れました。
のちに満州から帰ってきた人
(わたしのひいおじいさん、
わたしが生まれる前に亡くなりました)と再婚して、
たくさん旅行して幸せに過ごしたようです。
満州で憲兵をして生きて帰ってきたひいおじいさんは、
婿に来て、
家のためにいろいろやってくれました。
わたしとは血は繋がっていないけれど、
おかげで一族は続いています。
わたしの曽祖父の中には、
ビルマ(現ミャンマー)のインパールのあたりで
亡くなった人もいることが分かっています。
出征した先での壮絶な戦いだったと想像します。
わたしができるのは戦争の話を聞くこと、
語り継ぐことだと思います。
わたしたちが思い出し続ける限り、
悲しみは生き続けると思います。
悲しみを持ち続けることは
平和への道だと信じています。 - (まえばしくん)
2025-09-15-MON

