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読者のみなさんから届いたお便り #26

 
亡父は昭和6年生まれでした。
祖父は職業軍人の海軍さんで、何かで活躍をしたのか、
宮中晩餐会にも招かれたことがあったようです。
戦後は、戦犯こそはまぬかれたけれど、
すごく収入が減ってしまったそうです。
そのため、いつもお腹を空かせていて、
人の畑から
きゅうりとかスイカを盗って食べたこともあるとか。
また、父は、少年航空兵になりたかったらしく、
まわりの子どもたちも
兵隊になるのが普通の未来だったと言っていました。
 
母は昭和17年生まれ。
東京で製本業をしていた祖父母のもとに
三女として生まれました。
母のすぐ下の妹(つまりわたしの叔母)が生まれて
2週間後くらいに、
祖父母の郷里へ疎開してきたのですが、
そのすぐ後に東京大空襲があり、
住んでいた一帯は焼け野原になったそうで、
疎開するのが遅れていたら、
今、この世にわたしはいないかもしれません。
叔母を出産してすぐだった祖母は
その無理がたたって、
産後の肥立ちが悪く、苦労したそうです。
母の戦争の記憶。
身体が弱くて熱を出していた夜、
空襲警報があり、祖母に背負われて防空壕へ避難。
泣くことなくおとなしく、
防空壕の隅に寝かされていたそうです。
戦後は学校へ草鞋を履いて行ったこと、
担任の先生が
シベリア抑留から帰国された方だったそうで、
左手に
いつも手袋をされていたのを覚えているそうです。
祖母の記憶で、もうひとつ。
祖父母一家は、
東京大空襲の直前まで東京で暮らしていましたが、
銀座に用事があって出かけた際、
その当時は
めずらしくなったお振袖を着た女性がいたそうです。
そこへ、
たすきをかけた愛国婦人会の女性たちが現れて、
裁ちばさみでじょきじょきと
お振袖の袖を切ってしまったのを
目撃したと言っていたそうです。
祖母は、本当にびっくり仰天したと言っていました。
(匿名さん)

2025-09-05-FRI

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    特集 50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶