
- 今はもう亡くなった、父方の祖母の話です。
祖母は、琵琶湖のほとりにあった市場で
小さな食堂を営んでいて、そこで働く人向けに
朝早くから「めし・うどん」を出していました。 - 祖父はわたしが生まれる前に
戦争で亡くなったと聞いています。 - 「昭和の市場」は、雑然としてちょっと怖い感じ。
そこで会う祖母は、
わたしの知っている「ばあちゃん」とは違っていて、
今思い出すと、なんというか
「生きる」ということに
シビアな空気をまとっていたような感じでした。 - 祖母はむかし満州に住んでいて、
戦争によって日本に引き揚げてきたんだそうです。
祖母が一人、三人の子ども
(わたしの伯母、父、叔母)を連れて満州を脱出した話は
伯母がたまにきかせてくれました。
わたしの父と叔母は当時まだ小さく、
あまり記憶になかったのかもしれません。
年端のいかない子どもを連れての引揚者としての経験は
想像を絶する過酷なものだったようです。 - わたしが小学生だったころの記憶で、
ある日、母が「おばあさんが新聞に載ってるで」って、
地方紙の夕刊を見せてくれたことがありました。
けっこう大きな写真入りの記事で、
その内容は、祖母が中国残留孤児の支援活動に
大きな寄付をしたとありました。 - 最近ふと、何かの会話で
「国会図書館にはデジタルアーカイブというのがあって、
古くは明治時代からの官報にもアクセスできるんだよ」
と聞いて。
とくに理由もなく、検索画面で
祖母の名前と満州と入力してみたんです。
すると、「満州国奉天省」の居留民として、
たしかに祖母の名前が記載された官報が、
いとも簡単にヒットしました。 - 今年、自分は50歳になります。
満州にいた当時の祖母は、
今のわたしより若かったはずです。
たしかに祖母は当時満州にいて、
わたしの父と叔母・伯母を連れて日本に帰国してきた。
市場で日々働き、
満州に取り残された子どもたちへの寄付をしていた。
記憶の片隅にあった昔話が、
今のわたしのとっての色鮮やかな現実の一部となった。
そんな経験でした。 - (DepTrai)
2025-08-25-MON

