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読者のみなさんから届いたお便り #15

 
今はもう亡くなった、父方の祖母の話です。
祖母は、琵琶湖のほとりにあった市場で
小さな食堂を営んでいて、そこで働く人向けに
朝早くから「めし・うどん」を出していました。
祖父はわたしが生まれる前に
戦争で亡くなったと聞いています。
「昭和の市場」は、雑然としてちょっと怖い感じ。
そこで会う祖母は、
わたしの知っている「ばあちゃん」とは違っていて、
今思い出すと、なんというか
「生きる」ということに
シビアな空気をまとっていたような感じでした。
祖母はむかし満州に住んでいて、
戦争によって日本に引き揚げてきたんだそうです。
祖母が一人、三人の子ども
(わたしの伯母、父、叔母)を連れて満州を脱出した話は
伯母がたまにきかせてくれました。
わたしの父と叔母は当時まだ小さく、
あまり記憶になかったのかもしれません。
年端のいかない子どもを連れての引揚者としての経験は
想像を絶する過酷なものだったようです。
わたしが小学生だったころの記憶で、
ある日、母が「おばあさんが新聞に載ってるで」って、
地方紙の夕刊を見せてくれたことがありました。
けっこう大きな写真入りの記事で、
その内容は、祖母が中国残留孤児の支援活動に
大きな寄付をしたとありました。
最近ふと、何かの会話で
「国会図書館にはデジタルアーカイブというのがあって、
古くは明治時代からの官報にもアクセスできるんだよ」
と聞いて。
とくに理由もなく、検索画面で
祖母の名前と満州と入力してみたんです。
すると、「満州国奉天省」の居留民として、
たしかに祖母の名前が記載された官報が、
いとも簡単にヒットしました。
今年、自分は50歳になります。
満州にいた当時の祖母は、
今のわたしより若かったはずです。
たしかに祖母は当時満州にいて、
わたしの父と叔母・伯母を連れて日本に帰国してきた。
市場で日々働き、
満州に取り残された子どもたちへの寄付をしていた。
記憶の片隅にあった昔話が、
今のわたしのとっての色鮮やかな現実の一部となった。
そんな経験でした。
(DepTrai)

2025-08-25-MON

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  • ヴェトナム戦争/太平洋戦争にまつわる
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    その中から、
    「50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶」
    の特集のなかで、
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    特集 50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶