前へ目次ページへ次へ

読者のみなさんから届いたお便り #14

 
太平洋戦争の時のわが家の話です。
今は亡き祖父母は
ほとんど目が見えず(その後全盲に)、
町内で家を借り、住んでいました。
そして昭和20年、わたしの母が生まれました。
その途端、家主から出ていってほしいと
言われたのだそうです。
障害を持ち、子どもを持った家族が厄介だと
思われたのだろうと、
祖母は言っていたようです。
祖母は乳飲み子の母を抱き、
ほとんど見えない状態で町内を回り、
住まわせてほしいと懇願して回ったそうです。
でも、なかなかよい返事をもらえず、
途方にくれていたとき、
うちにおいでと親切な方が現れました。
その家には他にも間借りしている家族があり、
身を寄せ合って住んでいたようです。
そんなとき、町に空襲がありました。
戦争に疲れた祖母は、
母を抱き
「〇〇(母の名前)と一緒にここで死ぬ」
と家を出ようとしなかった。
見かねた祖父や近所の方に引きずられ、
防空壕に逃げました。
逃げなければ、
わたしはいなかったかもしれません。
そして終戦。
近所の方々とラジオで
あの玉音放送を聞いたそうです。
祖父は目は不自由でしたが、
よく勉強をした人だったらしく、
玉音放送で何を語られたのか
わかったようです。
近所の人に「何と言ったのか」と問われ、
「日本は負けたんだ」と一言つぶやき、
みんなで泣いたそうです。
母はそんな祖父母の話を
よく聞いていたようで、
わたしにも伝え聞く機会をくれました。
(東北の嫁)

2025-08-24-SUN

前へ目次ページへ次へ
  • ヴェトナム戦争/太平洋戦争にまつわる
    読者のみなさんからのお便りを募集いたします。

     

    ご自身の戦争体験はもちろん、
    おじいちゃんやおばあちゃんなどご家族や
    ご友人・知人の方、
    地域のご老人などから聞いた戦争のエピソード、
    感銘を受けた戦争映画や小説についてなど、
    テーマや話題は何でもけっこうです。
    いただいたお便りにはかならず目を通し、
    その中から、
    「50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶」
    の特集のなかで、
    少しずつ紹介させていただこうと思います。

    メールを送る

  •  

    特集 50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶