
- 連載を読んでいて思い出すことがあり、
自分の備忘録も兼ねて
こちらに送らせていただきます。 - わたしはキリスト教の教会に通っています。
高校生のときにクリスチャンになり、
そのころからお世話になっている
ご夫妻から聞いた戦争の話を
この時期になると思い出します。 - 教会員のみんなから
「ばあば」と呼ばれていた御婦人は、
戦中は満州に住んでおり、
中国語が堪能で好奇心旺盛な方でした。
海外からの宣教報告に来る宣教師の先生たちが
Googleマップやパワーポイントを
使用しながら話すのを聞き、
その使い方を
細かく質問されていた様子を覚えています。 - そんな御婦人が、
ふと満州から引き上げて帰ってきたときの話を
なんの気なしに話してくださいました。 - 帰国する船に何人乗れるのか、
どれくらいの船があるのかもわからない中で、
どうにか乗せてもらおうと誰もが必死だったこと。
船に渡る通路は、
細い板が渡されただけの簡素なものだったこと。
幼い妹の手を引きながら必死に板の上を渡るとき、
自分の近くにいた幼い子どもが
海に落ちていったこと。
誰もが、助けてあげたくとも
自分のことで精一杯だったこと。 - 淡々と話す御婦人の口調は穏やかで、
余計に、その状況の深刻さが伝わるようでした。 - その旦那さんである男性は、
やはりみんなから「じいじ」と呼ばれ、
今日も教会のいちばん前の指定席に座り、
穏やかな顔で
日曜日の礼拝のメッセージを聞いておられます。 - じいじからも、
「爆撃機を操縦するアメリカ兵の男性と
目があったことを覚えています」
と話していただきました。
もともとのお住まいは東京都の調布で、
そちらの教会では
アメリカ人の宣教師の先生も働かれています。 - 気になって、戦争が終わったあとで
アメリカの人たちに対しての恐怖心や
ネガティブな感情は湧いてこなかったのかと
尋ねたことがあります。
やはり、穏やかな口調で、個人の人を責めたり、
怖がったりという気持ちには
ならないものでしたね、と語ってくださいました。 - ばあばはコロナ禍の折に亡くなられ、
たくさんお話をうかがったお礼を
言いそびれたままになってしまいました。
じいじはだいぶ聴力の衰えを感じているようで、
補聴器を使ってやっと挨拶を交わせるくらいです。 - 戦争を体験した世代の諸先輩から、
直接話を聞けたことが貴重なことだと感じる時代に
なったことを実感します。
連載、ありがとうございます。
毎回、興味深く拝読しております。 - (秋山さん)
2025-08-20-WED

