特集「50/80」、続きましては
「アートと戦争」について考えたいと思います。
まず、広島市現代美術館で開催中の
特別展「被爆80周年記念 記憶と物」を
取材させていただきました
(会期は、2025年9月15日まで)。
現代美術は、80年前の「戦争」を、
「原爆」を、どのように見つめているのか?
会場をめぐりながら丁寧に説明くださったのは、
展示の担当学芸員・松岡剛さん。
じつにおもしろい展示とお話で、
あっという間の2時間ちょっと。
うかがったのは「ほぼ日」奥野です。
なお同館のコレクション展を取材した
「常設展へ行こう! 広島市現代美術館篇」も
同時掲載中。ぜひ、あわせてどうぞ。

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第4回 アートは語らない、故に語る

松岡
次は、像が引き倒される‥‥という話に、
ちょっとリンクするんですけれど。
──
毒山凡太朗さん。
松岡
はい。もともとはサラリーマンを
なさっていたんですが、
東日本大震災をきっかけに、
生まれ故郷が大きく変わってしまって、
「自分なりに社会とどう関われるか」
と考えた末、
アートの世界に足を踏み入れた人です。
歴史問題などを、
作品のテーマにすることが多いですね。
──
なるほど。
不勉強にて存じ上げませんでした。
松岡
今回の展示では、
モニュメントにまつわる作品を4点、
出していただいてます。
そのひとつが、サハリンに今も残る
「王子ヶ池の碑」の映像作品。
──
王子ヶ池。

毒山凡太朗《On the Rocks》より2020 作家蔵 ©Bontaro Dokuyama 毒山凡太朗《On the Rocks》より2020 作家蔵 ©Bontaro Dokuyama

松岡
サハリンが日本の植民地だった時代に、
王子製紙がつくった工業用池です。
当時そこに建てられたモニュメントが、
戦後に引き倒されて、
でもその後、
誰かが再建したという経緯がある石碑。
そのあたりはいま、
ガガーリン記念文化公園という保養地ですけど。
──
銅像を埋めて隠したり、
倒れていた石碑を再建したり、
やはり「物」って、
たかが「物」だと
あなどれない何かがあります。
松岡
毒山さんはその場へ行き、
その石碑を3Dスキャナーで読み取り、
データから氷をつくって、
その氷でウォッカを飲む‥‥
そういう一連のことをやっています。
──
そのようすを撮った、映像作品。
松岡
はい。画面奥のディスプレイには、
ソ連時代のレーニン像などが引き倒されている
ニュース映像。
──
こういう表現を見ると、
「おお、なんだか現代アートっぽいぞ」と、
専門家ではない自分は感じます。
政治的なトピックを扱いながらも、
直接的な表現はしていない。
そのあたりを読み取る人もいれば、
「何だろう?」で素通りしてしまうことも、
あると思うんですけど。
松岡
そうですね。
──
そのあたりの「伝わり方」としては、
作家さん的には、どう思ってるんですかね。
松岡
毒山さんのつくる作品には、
「これは、これこれこういう意味です」
という説明のないことが多い。
明確には語らないことで、
鑑賞する側に「余地」を残している。
何を受け取るかは、見る側に委ねる。
そもそも「ウォッカ」って、
語源は「水」という意味らしいです。
──
へええ、そうなんですか。
「シャンソン」の意味が「歌」みたいな。
つまり、王子ヶ池の石碑の形の氷を、
「水」が語源のウォッカで溶かしながら、
もろともに飲んでいるわけですね。
松岡
だからもう具体的には何がしたいのか、
何をいいたいのか明確ではないけれど、
とにかく、それらが
グラスの中で、混然一体となっていく。
──
そういう表現から自分は何を考えるか。
こちらが問われてるんですね。
そしてお次は‥‥
もしかして、韓国の「平和の少女像」?

毒山凡太朗《Public recording》より2018 作家蔵  ©Bontaro Dokuyama 毒山凡太朗《Public recording》より2018 作家蔵  ©Bontaro Dokuyama

松岡
はい、そうです。
何年か前の「あいちトリエンナーレ」で
いろいろと紛糾していた像です。
こちらは、
ソウルの日本大使館前に設置されている、
いわゆる慰安婦像の第1号。
毒山さんは、
これも3Dスキャンで読み取っています。
像のとなりに
バルーンみたいなものが見えますけれど、
簡易テントで、中に人がいる。
反対派の人たちが
この像にいたずらをしないように、
見張ってるというか、詰めているんです。
──
そうなんですか。
松岡
毒山さんは、
まず、その人たちと仲良くなるんですね。
1週間くらい出入りして、
きちんと信頼関係を築いてから、
データを取得させてもらっているんです。
──
その3Dデータは、どうしたんですか?
松岡
映像そのものは
「パブリック・レコーディング」という
記録的な作品、
取得した3Dデータは
「パブリック・アーカイブ」という
プロジェクトで、ウェブ公開しています。
で、誰でもダウンロードできる。
──
レコーディングと、アーカイブ。
松岡
QRコードからアクセスしてもらえれば、
誰でも取得できます。
データを3Dプリンターで出力すれば、
像を再現することも可能です。
でも、その像自体は、
映像には「黒塗り」で映ってないんです。

毒山凡太朗《Public archive -Censored box》2018 李沙耶氏蔵 毒山凡太朗《Public archive -Censored box》2018 李沙耶氏蔵

──
それだけパブリックに開かれているのに、
映像的には「消されている」。
松岡
さまざまな意見や感情を巻き起こす像を、
「見える状態」から
「不可視」にしつつ、
「アクセス可能」にしているわけですね。
──
見たい人、見たくない人、知りたい人、
忘れたい人、残したい人‥‥、
いろんな立場が錯綜する中で、
「あなたは、どう向き合いますか?」
みたいな問いかけなんでしょうか。
プロジェクターの配置も絶妙なんですね。
映像を見ている自分の影が、
スクリーンに像に重なるようになってる。
松岡
はい、そこも意図しています。
黒塗りになった像と、
その像をスキャンする毒山さんの上に、
自分の存在を重ねて見ることになる。
──
その演出からも、自分自身が、
どう関わるかを問い直されているような。
松岡
毒山さん自身は、
この像が大事だと言ってるわけでもないし、
撤去すべきだとも言っていない。
この像の周囲で起こっている出来事だとか、
そのような出来事を目にしたときの
人びとの気持ちの動き‥‥みたいなことに、
触れたいんじゃないかなと思うんです。
──
なるほど。

毒山凡太朗《令和之桜》2020 作家蔵 毒山凡太朗《令和之桜》2020 作家蔵

松岡
こちらも、毒山さんの作品です。
もともとよく知られている戦争画なんですが、
《國之楯》という、
小早川秋聲という人が描いた作品があって。
──
はい。戦死した兵士が
日の丸を顔に被せて横たわっている絵ですね。
当時、この絵を見た兵隊さんが、
敬礼したというエピソードを聞いたような。
松岡
背景は黒塗りなんですが、
当初、背景には「桜」が描かれていたんです。
横たわる人物の上に、一面の桜。
ただ、当時は、亡くなった日本兵を描くのは
NGだったらしく、
陸軍に提出したものの受け取り拒否をされた。
その後、1960年代に公表されたときには
桜の部分が、黒く塗りつぶされていたんです。
そこには作家の思いがあるんでしょうが、
本人は言葉にしていないので、
ぼくたちは想像するしかないんですけれども。
──
小早川さんが、もとの絵を描いた当初には、
戦死というものには
やはり「華々しく散る」というイメージが
あったわけですもんね。
散華、という言葉が使われてもいましたし。
松岡
そうですね。戦後の価値観の変化、
ということもあってでしょうか、
死んだ兵士が横たわっている‥‥という、
ぼくらがよく知る
現在の《國之楯》になったんです。
そして毒山さんは、ごらんのように、
黒塗りにされた「桜」を復活させました。
その上で、あえて「人物の部分」を
黒く塗りつぶした。

毒山凡太朗《令和之桜》(部分)2020 作家蔵 毒山凡太朗《令和之桜》(部分)2020 作家蔵

──
つまり、もとの絵の「桜」を復活させて、
代わりに「横たわる人物」を消した。
これって、ご自分で描かれてるんですか。
松岡
いえ、毒山さん自身は絵を描かないので、
絵の描ける人や、
素材や技法を研究している方に協力してもらって、
もともとの小早川の絵を再現したんです。
実際に、当時と似た素材・技法を使って、
描かれているとのことです。
──
作品タイトルは、《令和之桜》。
松岡
本物の《國之楯》と
毒山さんの《令和之桜》とを並べたとき、
お互いが、
お互いの黒塗り部分を補い合って、
いちばん最初のイメージが立ち上がる。
──
戦時中と令和のいまとの価値観のちがい、
とか、
何か大切なことを示唆していそうだけど、
やっぱり明確な答えを提示はない。
松岡
だからこそ考えるし、
感情が動くのかなと。

毒山凡太朗《令和之桜》(部分)2020 作家蔵 毒山凡太朗《令和之桜》(部分)2020 作家蔵

──
10年くらい前、
ヴェトナム戦争についての作品を手掛ける
ヴェトナム人のアーティストの
ディン・Q・レさんに取材したんですけど、
そのとき、
アカデミックな「研究」でもなく、
映画などのポップカルチャーでもなく、
硬派なジャーナリズムでもなく、
アートでヴェトナム戦争に切り込む手法が
すごくおもしろかったんです。
松岡
なるほど。
──
アートは明確には語らない、
そのぶん、豊かに語るということが1点。
さらに、ひとことで言えば、
学問・カルチャー・ジャーナリズムふくめ
「誰も語らない物語」を、
「アートならすくいあげることができる」
ということがおもしろかった。
毒山さんの作品にも、
どこか通じるところがあるなと思いました。
松岡
鑑賞者の側に委ねる、という姿勢ですよね。
アートは「明確な正解」を示すのではなく、
「考える余地」を与えてくれる。
毒山さんの作品も、
そういう「ちから」があると思っています。

(つづきます)

2025-08-21-THU

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  • 被爆80周年記念 記憶と物
    ―モニュメント・ミュージアム・アーカイブ―

    本記事でたっぷりご紹介している
    被爆80周年記念の展覧会『記憶と物』は、
    2025年9月15日(日)まで開催。
    知らなかった平和記念公園の歴史から
    モニュメントというものが持つ
    不可思議なおもしろさ、
    それぞれのアーティストたちによる、
    戦争へのさまざまな眼差し。
    この時期、ぜひ見ていただきたい展覧会。
    きっと得るものや考えることが多いはず。
    会期や休館日情報など、
    くわしくは美術館の公式サイトで。

    >詳細はこちら

  • ヴェトナム戦争/太平洋戦争にまつわる
    読者のみなさんからのお便りを募集いたします。

     

    ご自身の戦争体験はもちろん、
    おじいちゃんやおばあちゃんなどご家族や
    ご友人・知人の方、
    地域のご老人などから聞いた戦争のエピソード、
    感銘を受けた戦争映画や小説についてなど、
    テーマや話題は何でもけっこうです。
    いただいたお便りにはかならず目を通し、
    その中から、
    「50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶」
    の特集のなかで、
    少しずつ紹介させていただこうと思います。

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    特集 50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶