特集「50/80」、続きましては
「アートと戦争」について考えたいと思います。
まず、広島市現代美術館で開催中の
特別展「被爆80周年記念 記憶と物」を
取材させていただきました
(会期は、2025年9月15日まで)。
現代美術は、80年前の「戦争」を、
「原爆」を、どのように見つめているのか?
会場をめぐりながら丁寧に説明くださったのは、
展示の担当学芸員・松岡剛さん。
じつにおもしろい展示とお話で、
あっという間の2時間ちょっと。
うかがったのは「ほぼ日」奥野です。
なお同館のコレクション展を取材した
「常設展へ行こう! 広島市現代美術館篇」も
同時掲載中。ぜひ、あわせてどうぞ。

前へ目次ページへ次へ

第5回 曖昧・余白・未完成のちから

ヘンリー・ムーア《アトム・ピース》1964-65  広島市現代美術館蔵 ヘンリー・ムーア《アトム・ピース》1964-65  広島市現代美術館蔵

──
この彫刻は、どこか不穏な感じを受けます。
何となくですが、原爆のキノコ雲のような。
松岡
現代の著名な作家のひとり、
ヘンリー・ムーアの《アトム・ピース》です。
イギリスの彫刻家で、
当館を代表する収蔵作品のひとつですが、
以前、問題になったことがあって。
──
といいますと?
松岡
この作品の兄弟的な作品で
《ニュークリア・エナジー》という彫刻があって、
シカゴ大学に設置されています。
そこは世界ではじめて、
制御された核分裂の実験を成功させた場所。
つまり、原爆開発の原点のひとつ。
──
おお、そんな場所で「核エネルギー」とは、
なかなか直接的ですね。
松岡
その《ニュークリア・エナジー》の制作段階で
つくられたのが、この《アトム・ピース》。
そこで、この作品も、
原爆賛美ではないかと議論になったんです。
──
そんな作品が、
よりによって広島の現代美術館に‥‥と?
松岡
当時は、エントランスホールに
展示されていましたが、撤去されました。
1991年、当館の開館直後です。
でも、当時、わたしたちだけでなく、
美術界からも
「決して核を賛美している作品ではない」
という反論が上がりました。
それは
ヘンリー・ムーアの作品を見ればわかる。
むしろ反戦を訴える作家ですから。
──
それでも、誤解されてしまった。
ここ広島市現代美術館には、
ムーアの広場という場所もありますから、
なかでも
大切にしている作家さんなんですよね。

ヘンリー・ムーア《アーチ》1963-69(鋳造1985-86) 広島市現代美術館蔵 ヘンリー・ムーア《アーチ》1963-69(鋳造1985-86) 広島市現代美術館蔵

松岡
はい。そこには《アーチ》という
ヘンリー・ムーアの作品が置かれてます。
アーチが向いている先には、
原爆ドームなどの爆心地があるんです。
ただ、この作品が
とりわけ平和や反核を訴えた作品、
というわけではないんです。
──
あ、そうなんですか。
松岡
わたしたち広島市現代美術館が、
この作品の中に
8月6日の「平和宣言」をおさめたり、
平和へ向けた願いを
わたしたちの側から託しているような、
そういう作品なんです。
──
この作品が「ここにあること」で、
見る側が「不穏」を半ば勝手に感じたり、
あるいは逆に
その存在意義や意味性を、
あとから獲得・拡張していくような。
おもしろいです。物と場所との関係性。

丸木位里、丸木俊《原爆の図 第1部「幽霊」》(再制作版)1950頃 広島市現代美術館蔵 丸木位里、丸木俊《原爆の図 第1部「幽霊」》(再制作版)1950頃 広島市現代美術館蔵

松岡
そして、こちらは有名な作品ですけれど、
丸木位里・俊による《原爆の図》。
──
あ、昨日ちょうど行ってきたばかりです。
埼玉の丸木美術館。
松岡
おお、そうですか。では現地で、
オリジナルをごらんになってるんですね。
──
何ともいえない迫力でした。
こちらはつまり再制作版ってことですか。
松岡
はい。アメリカへ巡回する話が出たとき、
再制作されたものです。
当時、丸木夫妻のもとに下宿していた
若い画家たちと協働で描いたものですね。
──
丸木美術館には
全15部のうち14部が展示されてましたが、
第1部の「幽霊」から、凄まじかった。
今回、ここまでの展示で見てきた表現とは
うってかわって、もろに直接的です。
松岡
終戦から3年後、日本画家だった位里と
西洋画家だった俊は、
広島の家族から聞いた体験などをもとに、
この《原爆の図》の
共同制作に取り掛かるんです。
──
ご本人たちも広島のご出身で、
たしか原爆投下の3日後くらいに入市して、
そのときのようすを
つぶさに見た‥‥ってことでしたよね。
松岡
原爆を描いた作品には、
実際に被爆した人たちによるものもあって、
その意味では、
丸木夫妻は、
直接の被爆者ではないんですけれど、
非常に大きな役割を果たした作家ですよね。
これだけ原爆の被害の実相に肉薄し、
「ヒロシマ」について、
もっとも知られた作品を描いたわけなので。

丸木位里、丸木俊《原爆の図 第1部「幽霊」》(再制作版)(部分)1950頃 広島市現代美術館蔵 丸木位里、丸木俊《原爆の図 第1部「幽霊」》(再制作版)(部分)1950頃 広島市現代美術館蔵

──
たしか《原爆の図》第15部<ながさき>は
長崎の原爆資料館にあるんですよね。
丸木美術館には、他にもアウシュビッツや
水俣についての作品もあって、
何だか、ずっと圧倒されっぱなしでした。
松岡
どの作品も、すごく大きいですもんね。
──
壁画ですよね、もう。

殿敷侃《釋寛量信士(鉄かぶと)》1977 広島市現代美術館蔵 殿敷侃《釋寛量信士(鉄かぶと)》1977 広島市現代美術館蔵

松岡
そして、殿敷侃(とのしき・ただし)。
丸木夫妻ほど知られてはいないのですが、
3歳で原爆を体験した、重要な作家。
たとえば、原爆で亡くなったお父さんの
唯一の遺品である鉄兜を描いた作品で、
タイトルが《釋寛量信士》なんですけど。
──
はい。
松岡
お父さんの「戒名」なんです。
──
ああ、なるほど‥‥。
松岡
原爆ドーム付近のお父さんの仕事場に
鉄兜が残されており、
それを「形見」として持ち帰って、
生涯、アトリエに置いていたそうです。

殿敷侃が所有していた鉄かぶと 採集年不詳 広島市現代美術館蔵 殿敷侃が所有していた鉄かぶと 採集年不詳 広島市現代美術館蔵

──
え、その鉄兜って、
実際にお父さんのものだったんですか。
松岡
それは、実際のところは、わからないんです。
でも「お父さんのいた場所」を考えたら、
もう生きているはずがない、
という判断で、
近くに落ちていた鉄兜を「形見とした」。
そして、こちらは、お父さんの「爪」。
──
爪?

殿敷侃《作品(新聞)》 1981  広島市現代美術館蔵 殿敷侃《作品(新聞)》 1981  広島市現代美術館蔵

松岡
はい。紙に包まれた、お父さんの爪から
作品をつくっているんです。
どういった経緯で、
それが手元にあるのかはわかりませんが、
殿敷さんは、1980年代に、
この爪をモチーフにした
シルクスクリーンを制作するんですけど、
これ‥‥新聞紙に、
直接「爪を刷っている」んですよ。
──
近くに寄ってみると‥‥本当だ。
松岡
爪のかたちで白く抜けていて、
その向こうに広告や記事が透けて見える。

殿敷侃《作品(新聞)》(部分) 1981  広島市現代美術館蔵 殿敷侃《作品(新聞)》(部分) 1981  広島市現代美術館蔵

──
豊かな社会、高度成長期の情報を、
お父さんの爪越しに見てる。
過去の記憶と現在が、重なってる。
松岡
そうです。
──
写真家の田附勝さんが、
日本各地のミュージアムの収蔵庫などで
保管されていた縄文土器の欠片を、
保管の際の敷物や梱包のために
使用されていた
発掘当時の新聞とともに、撮影していて。
日の丸が印刷されたお正月の広告だとか、
皇太子ご成婚のニュースなどの上に、
縄文土器の欠片が並んでいる作品ですが。
松岡
何千年も前につくられた物と、
それが土から出来てきた瞬間の時代とが、
目の前で重なりあうわけですね。
──
はい。「時間」をテーマにした
田附さんのシリーズを、思い出しました。
このあたりは、もう最後の展示ですかね。
松岡
はい。小森はるかさんと瀬尾夏美さんの
ふたり組のアーティストの作品。
映像を担当されているのが小森さんで、
絵や文章を手がけているのが瀬尾さん。
東日本大震災のあと陸前高田に入って、
現地に住みながら
現地の人びとの記憶や体験を聞くという
活動をはじめた人たちです。
──
つまり、地震と津波の被害について?
松岡
はい。震災を経験した人々の「語り」を、
どう受け止めていくか。
そこから、いろんな土地をめぐりながら、
その場所その場所に根ざした
記憶や物語を辿っていくプロジェクトを
継続されています。
今回の展示の中心になっているのは、
「11歳だったわたしは」というシリーズ。
──
妙に惹かれます。11歳。
松岡
若者からお年寄りまで、
さまざまな世代の人に、
「11歳だったとき」の記憶を聞いていく。
いまの11歳なら2025年の記憶だし、
99歳にとっての11歳なら、
つまり、88年前の記憶の話になる。
おもしろいのは、
仮に1945年に11歳だった人だったら、
原爆の年なんだけど
語られるのは初恋の話だった、
なんていうことも起こりえるわけです。

小森はるか+瀬尾夏美+プロジェクト参加メンバー 《11歳だったわたしは 広島編》 2023― 作家蔵
小森はるか+瀬尾夏美+プロジェクト参加メンバー 《11歳だったわたしは 広島編》 2023― 作家蔵

小森はるか+瀬尾夏美+プロジェクト参加メンバー 《11歳だったわたしは 広島編》 2023― 作家蔵
小森はるか+瀬尾夏美+プロジェクト参加メンバー 《11歳だったわたしは 広島編》 2023― 作家蔵

──
そうか、時代時代の出来事はあっても、
個人の記憶は、個人のものですもんね。
つまり、11歳の記憶を聞くことで、
取材される人が被爆者だったとしても、
原爆だけじゃない語りが生まれる。
松岡
そうなんです。
アートの手法ならでは、だと思います。
──
本来ジャーナリズムやアカデミズムが
扱ってきたような問題でも、
アートの手法でなら、
明確な主張をぶつけ遭うのではなくて、
風通しよく、
ちょっとおもしろく考えられるような、
そんな気がしますね。
松岡
表現を「連想にとどめておく」ことが
アートの特性としてありますよね。
未完のまま差し出す‥‥
差し出すことができるというか。
その曖昧さや余白が、
かえって、見る側の心を動かしたり、
何かを考えさせたりすることもある。
ある意味での「汲み尽くせなさ」が、
アートの強みじゃないかと思います。
──
なるほど。今日は長時間に渡るツアー、
楽しかったです。
松岡さんのナビゲートのおかげで、
過去の歴史というものと、
自分なりに
長時間対話ができたような気がします。
松岡
そう言っていただけるとうれしいです。
こちらこそ、ありがとうございました。

(おわります)

2025-08-22-FRI

前へ目次ページへ次へ
  • 被爆80周年記念 記憶と物
    ―モニュメント・ミュージアム・アーカイブ―

    本記事でたっぷりご紹介している
    被爆80周年記念の展覧会『記憶と物』は、
    2025年9月15日(日)まで開催。
    知らなかった平和記念公園の歴史から
    モニュメントというものが持つ
    不可思議なおもしろさ、
    それぞれのアーティストたちによる、
    戦争へのさまざまな眼差し。
    この時期、ぜひ見ていただきたい展覧会。
    きっと得るものや考えることが多いはず。
    会期や休館日情報など、
    くわしくは美術館の公式サイトで。

    >詳細はこちら

  • ヴェトナム戦争/太平洋戦争にまつわる
    読者のみなさんからのお便りを募集いたします。

     

    ご自身の戦争体験はもちろん、
    おじいちゃんやおばあちゃんなどご家族や
    ご友人・知人の方、
    地域のご老人などから聞いた戦争のエピソード、
    感銘を受けた戦争映画や小説についてなど、
    テーマや話題は何でもけっこうです。
    いただいたお便りにはかならず目を通し、
    その中から、
    「50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶」
    の特集のなかで、
    少しずつ紹介させていただこうと思います。

    メールを送る

  •  

    特集 50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶