特集「50/80」、続きましては
「アートと戦争」について考えたいと思います。
まず、広島市現代美術館で開催中の
特別展「被爆80周年記念 記憶と物」を
取材させていただきました
(会期は、2025年9月15日まで)。
現代美術は、80年前の「戦争」を、
「原爆」を、どのように見つめているのか?
会場をめぐりながら丁寧に説明くださったのは、
展示の担当学芸員・松岡剛さん。
じつにおもしろい展示とお話で、
あっという間の2時間ちょっと。
うかがったのは「ほぼ日」奥野です。
なお同館のコレクション展を取材した
「常設展へ行こう! 広島市現代美術館篇」も
同時掲載中。ぜひ、あわせてどうぞ。

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第2回 山羊と軍神|ノグチと丹下

上田直次《杉本五郎像》1938 広島県立美術館蔵 上田直次《杉本五郎像》1938 広島県立美術館蔵

松岡
続きまして、こちらの人物。
──
はい。まさにザ・軍人って相貌ですね。
いかめしく、いさましげ。
帽子のヒラヒラがたなびいていて、
強風に立ち向かっているかのようです。
松岡
彼は杉本五郎さんという陸軍の軍人で、
「軍神」と言われた人物。
亡くなり方が劇的なんです。
手榴弾の爆発を受けて倒れるんだけど、
もう一度立ち上がり、
皇居の方角へ向けて敬礼し、
そのまま息を引き取った‥‥みたいな。
──
武蔵坊弁慶の最期みたい。
松岡
そういうエピソードで語られています。
──
これまでの話の流れ言えば、
そのような人物として
人びとに記憶されているからこそ、
こういう造形になっている。
松岡
この像は、戦中から
軍関係の施設に設置されていましたが、
やはり戦争末期、
金属回収令の対象になって、
いったんは撤去されてしまうんですね。
当時の新聞にも、
杉本の像が供出されたと報じられました。
が、戦後に、なぜか出てくるんです。
──
出てくる‥‥?
松岡
おそらく誰かが隠していたんです。
──
供出したフリをして。
松岡
想像ですけど、
この杉本五郎を尊敬する誰かが、
「この像を失うわけにはいかない」と、
どこかへ密かに保管していた。
広島に原爆が落ちたあと、
倉庫のような場所から発見されました。
その後は、しばらく
杉本家で祀られていたようなんですが。
──
ご実家に戻っていた、と。

上田直次《杉本五郎像》(部分)1938 広島県立美術館蔵 上田直次《杉本五郎像》(部分)1938 広島県立美術館蔵

松岡
現在では、広島県立美術館の所蔵です。
もともと半身像で、
損傷部分を修復したような形跡もある。
もしかしたら、原爆で傷ついた、
壊れてしまった箇所を
直した跡なのかもしれませんね。
──
なるほど。
松岡
じつは、こういう話って他にもあって、
金属供出を免れるために、
近所の人たちが像を半分に切って、
地面に埋めて、
戦後に掘り返してくっつけた‥‥とか。
──
やはり、その像になった人物のことを
慕っていたから、ですか。
松岡
だと思います。
その地域の歴史とって大切な像なので、
何とか残したかったんでしょう。
もちろん当時ですから、
軍国主義的な価値観に基づいた思いで、
現代の常識からは
手放しで称賛はできないんだけれども、
だからといって単純に否定せず、
当時の人の思いを想像してみることは、
きっと、
大切なことじゃないかなと思うんです。
──
人の考えというのは時代に翻弄される、
そのことは、
いろんな歴史が物語っていますものね。
難しい作業かもしれないけど、、
なるべく思いを馳せてみることが重要。
松岡
で、話はそこで終わりではないんです。
というのも、
この杉本像の作者の上田直次さんって、
こういう彫刻ばっかり
つくっていた作家ではないんですよ。
彼の代表作はむしろ「山羊」なんです。
──
はい。一転いかにも愛らしい
山羊の親子の彫刻が目の前にあります。
いままでの話の流れでこの像を見ると、
何となく意味ありげな。

上田直次《愛に生きる》1931 呉市立美術館蔵 上田直次《愛に生きる》1931 呉市立美術館蔵

松岡
かわいいでしょう。
──
かわいいですね。めっちゃ。
松岡
上田はむしろ、
こちらの《愛に生きる》など山羊の作品で
よく知られているんです。
──
軍神の像とかっていうよりも。
松岡
山羊の名手と呼ばれていた人です。
──
山羊の「名手」とまで!
松岡
こちらの親子像は1930年代の作品で、
こうした作品で上田は認められた。
さらに、上田が亡くなったあとですが、
1980年代に
呉の街に《愛に生きる》という
タイトルのブロンズ像が現れるんです。
この木彫をもとにつくられたんですが。
──
おお。
松岡
ブロンズの彫刻というものは通常、
作家の監修のもと、
原型からつくっていくものなんですが、
1980年だと
すでに作家は亡くなっているので、
関係者が監修して、つくったんですね。
──
関係者というのは‥‥つまり、
この像をつくりたいと思った人ですか。
松岡
そうです。
もっと言えば、上田直次という作家を
愛らしい山羊の親子の像の作者として
記憶していこうと思った人たち。
より平和な作家として残したいという、
そういう意思が、
ここには読み取れるんじゃないかなと。
──
なるほど‥‥おもしろいです。
松岡
さらに作家の地元である川尻地区にも、
山羊の像があって。
──
台座に、ストレートに「山羊」と。
松岡
しかも説明のプレートには、
上田直次の活動や功績が書かれている。
このように立派な作家だったんですと
丁寧に説明されているんです。
これ、よく考えると少し変で、
つまり、
作品については一切、書かれていない。
──
ああ、なるほど。
山羊の像に関する説明じゃなくて、
像の作者の説明に終始している。
松岡
ふつうはモチーフになった人物、
たとえば加藤友三郎の像であったなら、
加藤の歴史や功績が書かれますよね。
であれば、本来であれば、
この、モチーフとなった山羊について
説明がなされているべきなんです。
──
作者の説明じゃなくて。たしかに。
渋谷のハチ公像の近くには、
ハチ公という犬の説明があるわけだし。
松岡
つまり、この上田のお膝元に建つ像は、
山羊を称えるものでなく、
上田直次という作家を記憶するための、
そういう意味を持った像なんです。
──
山羊というもので、作家を象徴したい。
そういう思いが読み取れるわけですね。
松岡
このように「物」が残されるときって、
作家の意図や思いだけでなく、
その物に関わった、
さまざまま人の記憶や思いが
重層的に折り重なっていることがある。
──
モニュメントという「物」を見るとき、
そういった面に注意すると、
もっとおもしろいのかもしれませんね。

上田直次《愛に生きる》(部分)1931 呉市立美術館蔵 上田直次《愛に生きる》(部分)1931 呉市立美術館蔵

松岡
さて、ここからは戦後の話になります。
原爆が落ちたあとの広島は、
平和都市として歩みはじめるわけです。
象徴的な場所が、平和記念公園。
中心にあるアーチ状の石のモニュメント、
ご存知ですよね。
──
はい。よくニュース番組で、
来日した各国の首脳のみなさんとかが
花を手向けている場所。
松岡
正式には広島平和都市記念碑、
「原爆死没者慰霊碑」と呼ばれていますが、
あの記念碑をデザインしたのは、
公園全体を設計した丹下健三なんです。
でも、じつは、
最初からあの造形だったわけじゃなくて、
何度か紆余曲折があった。
ボツになった案でよく知られているのが、
イサム・ノグチによる
「原爆死没者慰霊碑」なんです。
──
はい、先ほどコレクション展の取材時に
うかがいましたが、知りませんでした。
松岡
ここにイメージの合成写真がありますが、
地下空間に脚部がグンと伸び、
その上に
巨大な石のモニュメントがドーンと乗る。
ノグチ案は、そういうデザインだった。
地下の空間は「納骨室」としてだったり、
あるいは
亡くなった方の名前を記す過去帳を
収めるための空間と想定されていました。
サイズもかなり大きなもので、
もし実現していたら、
慰霊碑と原爆ドームとの関係性も、
ちょっと変わっていたかもしれないです。
──
というと?
松岡
現在の慰霊碑は、
その向こう側に建っている原爆ドームに
視線を誘導する感じですが、
イサム・ノグチの案が実現したら、
単純に、原爆ドームより
慰霊碑が目立っていたかもしれないです。
──
それほどの存在感があった。
松岡
平和公園の計画が進んでいた1950年代、
つまりイサム・ノグチが
慰霊碑を設計した時点では、
原爆ドームを保存するかどうか‥‥って、
決まってなかったんです。
公園が完成してから
「やっぱり象徴的な存在だから、残そう」
ということになったんです。
──
イサム・ノグチ案が実現しなかったのは、
どうしてなんですか。
松岡
抽象的すぎて理解されにくい‥‥だとか、
諸説あるんですが、
ひとつには、
イサム・ノグチが日系アメリカ人である、
そのことが、
被爆者感情に配慮されて見送られた、と。
そうした懸念を受けて、
平和公園全体を設計した丹下健三の案に
落ち着いたという経緯があります。
──
いずれにしても、
もしイサム・ノグチ案が実現していたら、
慰霊碑の印象も、原爆ドームの印象も
いまとはちょっと、違ったかもしれない。
松岡
あるいは、そうかもしれません。

イサム・ノグチ《広島の原爆死没者慰霊碑》(1/5模型)1952/1991 ©2025 The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum/ARS, New York/ JASPAR,Tokyo C5128 イサム・ノグチ《広島の原爆死没者慰霊碑》(1/5模型)1952/1991 ©2025 The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum/ARS, New York/ JASPAR,Tokyo C5128

(つづきます)

2025-08-19-TUE

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  • 被爆80周年記念 記憶と物
    ―モニュメント・ミュージアム・アーカイブ―

    本記事でたっぷりご紹介している
    被爆80周年記念の展覧会『記憶と物』は、
    2025年9月15日(日)まで開催。
    知らなかった平和記念公園の歴史から
    モニュメントというものが持つ
    不可思議なおもしろさ、
    それぞれのアーティストたちによる、
    戦争へのさまざまな眼差し。
    この時期、ぜひ見ていただきたい展覧会。
    きっと得るものや考えることが多いはず。
    会期や休館日情報など、
    くわしくは美術館の公式サイトで。

    >詳細はこちら

  • ヴェトナム戦争/太平洋戦争にまつわる
    読者のみなさんからのお便りを募集いたします。

     

    ご自身の戦争体験はもちろん、
    おじいちゃんやおばあちゃんなどご家族や
    ご友人・知人の方、
    地域のご老人などから聞いた戦争のエピソード、
    感銘を受けた戦争映画や小説についてなど、
    テーマや話題は何でもけっこうです。
    いただいたお便りにはかならず目を通し、
    その中から、
    「50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶」
    の特集のなかで、
    少しずつ紹介させていただこうと思います。

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    特集 50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶