
特集「50/80」、続きましては
「アートと戦争」について考えたいと思います。
まず、広島市現代美術館で開催中の
特別展「被爆80周年記念 記憶と物」を
取材させていただきました
(会期は、2025年9月15日まで)。
現代美術は、80年前の「戦争」を、
「原爆」を、どのように見つめているのか?
会場をめぐりながら丁寧に説明くださったのは、
展示の担当学芸員・松岡剛さん。
じつにおもしろい展示とお話で、
あっという間の2時間ちょっと。
うかがったのは「ほぼ日」奥野です。
なお同館のコレクション展を取材した
「常設展へ行こう! 広島市現代美術館篇」も
同時掲載中。ぜひ、あわせてどうぞ。
- ──
- 広島市現代美術館さんの
被爆80周年記念のテーマは「記憶と物」。
- 松岡
- はい。まず、「記憶と物」の「物」とは、
絵画や彫刻はもちろん、
美術館自体も含めて、
「物質として存在するもの」のことです。
そのような「物」って、
誰かが、何かを「記憶したい」と思って
つくられることがありますよね。
- ──
- 展覧会のサブタイトルにもありますけど、
「モニュメント」のように。
- 松岡
- そう。どういった気持ちの集積で、
この「物」がうみだされ設置されたのか。
- ──
- つまり「何を記憶したかったのか?」が、
物から見えてきたりもする、と。
- 松岡
- まさにそのとおりです。
- 一方で、そういう「物」が失われた場合、
「記憶まで失われてしまう」
という不安が生まれてくることもあって。
- ──
- ああー、たしかに。ありそうです。
- 松岡
- そのような意味では、美術館という場も、
物を通して
記憶に関わっているんだということを
広く伝えたいし、
あらためて自分たちも意識したいと思い、
今回の展覧会を企画しました。
- ──
- 広島・長崎で被爆した人たちにとっても、
日本にとっても、
世界の歴史にとっても、
「80周年」って
とっても大きな節目だろうと思いますが、
そこで「記憶」を、
もうひとつのキーワードに。
- 松岡
- これまでも
50周年、60周年、70周年の節目には
戦争や原爆に関連した企画を
やってきましたが、
今回、
とくに「記憶」という言葉を選んだのは、
ひとつにはやはり
被爆体験者の生の声が、
だんだん聞けなくなっているからです。 - であるならば、わたしたちは
「記憶」というものを、
どんなふうに継承していけるのかという、
そういった問題意識もあって。
- ──
- ちょっと前に、沖縄の戦争関連資料館を
めぐってきたのですが、
まったく同じことを言ってました。 - 以前は、沖縄戦の体験者のみなさんが
自らマイクを握って、
直接、体験を語ってくださっていたのに、
今回訪問してみたら、
その多くが「映像」に変わっていたし。
- 松岡
- そうですよね。
それと、直接的な体験者のお話って
もちろん大事なんですが、
現代美術館で活動していると、
原爆や戦争の問題にアプローチするのは
「アーティスト」なんです。 - それも、まったく当事者性を持たない人、
時代としても出自としても、
「ヒロシマの記憶」とは関係のない人が
作品に取り組むケースもある。
その場合、それらは「まがい物」なのか。
「真正性を欠いている」のだろうか。
決してそんなことはないじゃないですか。
- ──
- それどころか、新たな視点がありそう。
- 松岡
- そうなんです。
そうやって伝達される「記憶」もある。 - そのようなことを
80周年記念に考えてみたいな、と。
個人的にも、
街中にある記念碑やモニュメントなどに
以前から興味があったんです。
- ──
- 今年って、ヴェトナム戦争の終結から
ちょうど50年なんですが、
少し前に、ワシントンにある
ヴェトナム戦没者慰霊碑の話を聞いて、
おもしろいなあと思ったところでした。
- 松岡
- マヤ・リンの、あの黒い御影石の。
おもしろいですよね、あの慰霊碑。
- ──
- はい、とっても。
- たとえば、ひとつには、
それまでの「記念碑=見上げるもの」
という常識を覆して、
ヴェトナム戦没者慰霊碑は、
地面を掘り下げてつくられている。
つまり、視線を下に誘導している。
- 松岡
- ええ。
- ──
- そういう形の慰霊碑を建設することで、
ヴェトナム戦争で亡くなった
すべてのアメリカ兵の「鎮魂」とか、
傷ついたアメリカを「癒やす」ことを
目指している‥‥とか。
- 松岡
- ただ、
そのことに納得のいかない人たちから
さまざまな意見が出て、
結局、あとから具象的な兵士像が
追加で建てられることになったという。
- ──
- そうなんです。
- 松岡さんが、「物」が失われた場合に
「記憶まで失われてしまう」
という不安が生まれてくる‥‥って
先ほどおっしゃっていましたが、
まさに、特定の「物」の「不在」が、
「記憶」の在り方に関わってくる、と。
- 松岡
- いまのエピソードはまさに、
今回の展示に関係があるなと思います。 - マヤ・リンのモニュメントは
デザインとしてすごく優れていますが、
ある意味では
残された人たちの思いを
受け止め切れていない部分もあった。
具象的な兵士像で、
その不足が補完されていくという、
おもしろい事例だと思っていました。
- ──
- あの慰霊碑には、5万8000名を超える
戦没アメリカ兵全員の名前が
時系列で刻まれているそうなんですが、
その名前の順番って、
「ノド」からはじまっているらしくて。
- 松岡
- ノド?
- ──
- 2枚の長い壁が接続している、
いわば
開いた本を伏せたような形状ですけど、
最初の戦死者は
その「ノド」に刻銘されているんです。
そこから向かって右へと進み、
いちばん右端までたどりついたら、
今度は左端へ飛んで、
そこからまたノドに戻ってくるんです。 - 最初の戦死者が1960年代初頭なので、
あの壁の前に立つと、
戦争がはじまってから終わるまでの
十数年の時間と、
5万8000名もの戦没者の名前に、
いわば抱き込まれるような格好になる。
- 松岡
- そういう構造になっていたんですか。
なるほど。 - いまでは「全員の名前を刻む」方法は、
慰霊碑では「定番」になりましたよね。
- ──
- 沖縄の平和の礎(いしじ)とかですね。
- ただ当時、あのヴェトナムの慰霊碑は
まだイェール大学の学生だった
20歳の女性マヤ・リン、
つまり
「戦争を経験していない世代の女性で、
かつアジア系の学生」
がデザインした、そのことが
アメリカ中に賛否両論を巻き起こした。
「ヴェトナム戦争で亡くなった米兵」
という属性と、
あまりにかけ離れていたということで。
- 松岡
- だからこそ「勇ましくない」と言われ、
具象的な兵士像が追加された、と。
- ──
- そもそものコンセプトが
「鎮魂」とか「癒やし」だったわけで、
そこに「勇猛さ」を感じられないのは、
ある意味では当然なんですけどね。
- 松岡
- その点で、非常に示唆的だと思います。
「誰の視点で記憶するのか」、
そのあたりの問題意識が
たっぷり含まれたモニュメントなので、 - 今回の展覧会でも、
冒頭の部分で見ていただいているのが、
この銅像のタペストリーなんです。
上田直次《加藤友三郎元帥銅像》(写真複製)1935(2025)
- ──
- 加藤友三郎さんの、立像。大きいです。
軍服姿でキリッとしてる。 - この銅像って、いまでもあるんですか。
- 松岡
- いまは「台座」だけ残っているんです。
なので、昔の写真を使って、
実物大のタペストリーをつくりました。 - この「加藤友三郎」という人物は
広島出身の政治家で、
日露戦争時に海軍で活躍したあと、
内閣総理大臣にまでなった人。
1935年、昭和10年に
上田直次という彫刻家の手によって
この銅像が建てられたんですけど、
太平洋戦争末期の資源不足による
「金属回収令」で撤去されてしまって。
- ──
- 第一次世界大戦では
飛行機も木製の複葉機が主流だったけど
太平洋戦争では鋼鉄製の戦闘機になって、
武器も近代化していく、
その過程で「金属」が足りなくなって‥‥
という展示を、
たしか大阪国際平和センターで見ました。
- 松岡
- 当時の記録によると、
生身の兵士が出征するのと同じように
送り出されたそうです。
- ──
- つまり、文字通り
戦争の道具につくり変えられてしまった。
- 松岡
- そうなんです。
現在、残されているのは、空の台座だけ。
記憶のかたちが、
物の喪失とともに失われかけていました。 - でも、2008年、
広島の中心・中央公園に復活したんです。
広島の歴史にとって、
重要な人物である‥‥ということで。
- ──
- へええ‥‥そうなんですか。
- 松岡
- ところが、このときにつくられた銅像は、
フロックコートにシルクハット姿。
軍縮会議に出席したときの姿なんですよ。
- ──
- 軍縮ってことは、つまり平和の人として?
- 松岡
- そうなんです。
どの功績に重きを置いて記憶するか‥‥
によって、像の姿も変わる。 - さらに呉市にも別の加藤友三郎像があり、
そちらは軍人としての正装姿です。
呉の司令長官官舎 の前で、
海軍の司令長官だったころの加藤なので。
青山三郎《加藤友三郎 第八代呉鎮守府司令長官之像》(写真複製)2020(2025)
- ──
- 呉ってかつての「軍都」ですもんね。
戦争関連の資料館もたくさんあるし。 - そこで記憶されるべきなのは、
やっぱり軍服姿の加藤さんであると。
まさしく、記憶と物との対応関係が
如実に現れていますね。
- 松岡
- その人をどんなふうに記憶するかで、
どの場所に、どんな姿で建てるか‥‥が、
変わってくるいい例です。 - 物そのものだけでなく、
その物を取り巻く時代や思いがつくる
「記憶のかたち」を
今回の展覧会では提示したかったんです。
吉田正浪《加藤友三郎像》石膏原型 2008頃 修道学園蔵
(つづきます)
2025-08-18-MON
-
被爆80周年記念 記憶と物
―モニュメント・ミュージアム・アーカイブ―
本記事でたっぷりご紹介している
被爆80周年記念の展覧会『記憶と物』は、
2025年9月15日(日)まで開催。
知らなかった平和記念公園の歴史から
モニュメントというものが持つ
不可思議なおもしろさ、
それぞれのアーティストたちによる、
戦争へのさまざまな眼差し。
この時期、ぜひ見ていただきたい展覧会。
きっと得るものや考えることが多いはず。
会期や休館日情報など、
くわしくは美術館の公式サイトで。 -
ヴェトナム戦争/太平洋戦争にまつわる
読者のみなさんからのお便りを募集いたします。ご自身の戦争体験はもちろん、
おじいちゃんやおばあちゃんなどご家族や
ご友人・知人の方、
地域のご老人などから聞いた戦争のエピソード、
感銘を受けた戦争映画や小説についてなど、
テーマや話題は何でもけっこうです。
いただいたお便りにはかならず目を通し、
その中から、
「50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶」
の特集のなかで、
少しずつ紹介させていただこうと思います。

