友人の有田浩介くんが「国際映画祭」をやる。
移住先の石垣島で、たったひとりでだ。
日本、アメリカ、イラン、中国、リトアニア、
ウクライナからの作品を上映する。
それらは映画館のない石垣島の市民会館ほか、
仲間のライブハウスや
かつて映画館だったスペースで上映される。
参加作品の監督が国内外から来島、
トークセッションや交流プログラムを通じて、
参加者との対話がなされる。
食を中心にしたイベントも考えているようだ。
そんなことを、やろうとしてる。ひとりで!
おもしろそうだから取材してきました。
担当は、「ほぼ日」奥野です。

撮影:水野暁子

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第1回 映画館のない石垣島で 国際映画祭をやろうとしている

 14年来の友人である有田浩介くんが、とつぜん石垣島へ引っ越した。ふたりのちっちゃかわいい息子くんと、(おそらく相当)フトコロの深い奥さまと、元気いっぱいのサムくん(ワンちゃん)と一緒に。土地を買って家まで建てちゃったというのだから、きまぐれ気分の移住ごっこなどではない。しばらくは本気で腰を据えるつもりのようだ。というか、有田くんは、いつだって「本気の人」なのである。

 彼はそれまで葉山の一軒家に住んでいた。たぶん20年近く。いつも友人に囲まれていて、人と知り合ってから仲良くなるまでの過程をシームレスに移行し(ぼくにはそう見える)、よく自宅でバーベキューパーティを開いていた。一度だけ参加したことがあるけど、有田くんや奥さまの友人や知り合いやそのまた友人や知り合いが出たり入ったりしていた。めぐりめぐって、かつての会社の同僚が隣に座っていてビックリした。素敵にカオスでピースフルな空間だった。みんなの集まる場をつくるのが上手いというか、好きなんじゃないかと思う。なんでも10代のころはテキサスに住んでいて、東京から千葉の柏を経由して葉山へ。最後のほうは、すっかり地元の有名人みたいになっていた。個性的な風貌も相まって、ちょっとした葉山名物だったのかもしれない。有田と浩介の間にサニーというミドルネームらしきものが挟まっているのだが、そのことについて質問したことはない。でも、ミドルネームがあってもおかしくないような日本人(?)だと思う。

石垣島の真新しい家 石垣島の真新しい家

 仕事は、映画の配給人それも、たったひとりでやっている。サニーフィルムという屋号で。これ、ちょっとすごくないですか? 世界各地の映画祭へ出向き、これはと思う映画を買いつけてきては日本の劇場で上映する。よくわからない仕事だ。壮大すぎてそれを、ひとりでやっている。封切りのタイミングで海外から監督を呼んでトークショウを開いたり、一冊の本みたいに読みでのあるパンフレットを編集したり、映画のトレーラー(予告映像)をつくったり、作品関連のワークショップを企画したり、新聞雑誌ウェブメディアへの広報宣伝的な仕事だってあるはずだ。つまり、ふつうは会社組織でやるような仕事を、ひとりでやっている1本の映画に深く惚れ込んだ人が、その映画の権利を買って日本で上映するケースは稀に聞くけど、有田くんのように「継続的な生業にしている個人」がどれだけいるのだろう。そんな「めずらしい」仕事を、ぼくの知る限り、彼はもう10年以上続けている。

 有田くんが配給する映画は、そのほとんどがドキュメンタリーである。いつからか「戦争の悲しみ」を描く作品が多くなった。有田くんが関わって大ヒットした修道院のドキュメンタリー『大いなる沈黙へ』は(まだ配給ではなく)パブリシストとしての仕事だったらしいが、一発目の配給作品『シリア・モナムール』からしてすごい映画で、当時のぼくの実力では手に負えず「ほぼ日」での紹介をあきらめたほどだ。最近では、ロシア社会の諸問題を鋭くえぐるセルゲイ・ロズニツァ監督の作品群を立て続けに上映するなど、社会的にもインパクトのある仕事をしている。ひとりで。

 有田くんとぼくは興味関心の重なる部分が多く、きっと興味あるよと言って、たくさんの興味深い人物を紹介してくれた。料理家の辰巳芳子さん、山伏の坂本大三郎さん、伝説的な映画監督の佐々木昭一郎さん、『ゲッベルスと私』を撮ったC・クレーネス&F・ヴァイゲンザマー両監督、村上春樹作品をデンマークに紹介し続ける翻訳家メッテ・ホルムさん、元bonobosのフロントマン蔡忠浩さん、ニューヨークでホームレスとして暮らす元モデルでファッションフォトグラファーのマーク・レイさん、名作『Here』や『ゴースト・トロピック』のバス・ドゥヴォス監督、そして閉業直前の神保町・岩波ホールの人びと‥‥などなど。これらの人たちの肉声は、テキストに起こされ、インタビューというかたちで、すべて「ほぼ日」に残されている。

 とまあ、そのような関係性の有田くんが、とつぜん、石垣島へ引っ越した。映画の配給は続けているようだが、どうしてるんだろうなあと思っていた矢先。それは引っ越しから半年後くらいだったのだが、とつぜん「石垣島で国際映画祭をやるよ。ぜひ来てね」と連絡があった。いつものように、たったひとりで、だお、おお、いや、よころんで行くけど、国際映画祭? それも「全米が泣いたエンタメ感動巨編や過去の歴史的名作をかき集めてくるだけ」な一過性のイベントではなく、ワールドプレミア(世界初公開)やジャパンプレミアを含む作品群を、ひとりの(有田浩介という名の)ディレクターが、ひとつのテーマのもとに選定し招聘し上映する映画祭なのだ。つまり、それって「国際映画祭」ってやつなのでは? ‥‥そうである。彼は最初からそう言っていた「国際映画祭をやるよ」と。果たして、そんなことが可能なのか? 有田くんの人生は、石垣島と縁もゆかりもなかったはずである。しかも、あとから聞いて驚いたのだが、石垣島には映画館がひとつもないのだ。

 これまでいくつもの重要なドキュメンタリーを日本に紹介してきた映画配給人とはいえ、映画館すらない島で国際的な映画祭を開くことなどできるのか。「すぐには無理だけど、ゆくゆくは釜山ベルリン、アムステルダムみたいな水準の国際映画祭にしたい」とも言っている。つまり思い出花火を一発あげておしまいじゃあないのだ。継続と成長を視野に入れている。関係者の話を総合すると、映画祭開催にあたっては、たくさんの「石垣の人たちの協力」を得ているようだ。有田くんには「どこでも友だち100人できます能力」みたいなものが備わっている。移住からの半年間で、その「異能」をフルに発揮したらしい。竹富島在住のフォトグラファー水野暁子さんは、少し不思議そうな顔で、こう証言する。「どこへ行っても有田さんがいるんです‥‥」石垣のお祭りやビーチ、市内の飲食店などはもちろん、「ちっちゃな映画の上映会や、『方言サミット』というシブいイベントでも見かけました」と。つまり、有田くんは、引っ越しから半年間で仲間をどんどん増やし、彼らからのサポートのもと、石垣島の国際映画祭「島んちゅぬ映画祭」を立ち上げたのである。

 会期は、2026年3月20日(金・祝)から22日(日)の3日間。もうすぐそこだ。

 石垣島から映画学科のある日本大学芸術学部へ進学。2024年に『マイ ラスト サマー ~あなたと過ごす最後の夏~』という映画を自主制作した。撮影は石垣島。作品の存在を知った有田くんから声がかかり、今回の映画祭の上映作品のひとつとしてラインナップされている。

「高校生のときは、島に対してネガティブな思いしかなかったんです。閉鎖的に感じてしまって、早く島を出たいってずっと思ってました。そのときの気持ちや葛藤、当時ほしかった言葉を詰め込んだような作品です。でも、実際に島を出てみたら、島のよさがわかったんですよね。帰って来たくなる。今回の映画祭を通して、あのときのわたしみたいな人にも、島のことをもっと好きになってもらえたらいいなと思います」

『マイ ラスト サマー』監督:西銘碧生|日本|2025|42分

『マイ ラスト サマー』監督:西銘碧生|日本|2025|42分

 

 

(つづきます)

2026-03-10-TUE

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  • 島んちゅぬ映画祭   2026.3.20(金・祝)~22(日)

    映画館のない石垣島で国際映画祭を立ち上げる。
    そのために、
    釜山国際映画祭、東京国際映画祭、
    山形国際ドキュメンタリー映画祭、
    アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭、
    東京フィルメックス、
    そしてベルリン国際映画祭をめぐり、
    約250人の映画人と対話してきた有田くん。

    奇しくも中東における戦闘がはじまったいま、
    琉球弧に位置する石垣島で、
    戦争の悲しみを伝える作品を含む
    世界17カ国からの25作品が上映されます。
    何名かの監督も海外から来島、
    トークセッションなどのイベントに参加予定。

    詳しくは、映画祭の公式サイトで。