
ことし2025年で終結から50年をむかえた
ヴェトナム戦争の記憶をめぐる旅、
まずは、アメリカ研究の生井英考先生に
お話をうかがいました。
ヴェトナム戦争に従軍した兵士たちが、
アメリカ社会から、
どんなイメージを抱かれてきたかについて。
泥沼と呼ばれた戦争に疲れ、
傷ついたアメリカを「癒やす」ために建設された、
ヴェトナム戦争戦没者の記念碑のこと。
映画や物語の観点から語られる、
いまのアメリカ社会の分断の源流としての
ヴェトナム戦争。
その「教訓」は、活かされたと言えるのか。
担当は「ほぼ日」奥野です。
生井英考(いくい・えいこう)
1954年生まれ。慶應義塾大学卒業。アメリカ研究者。2020年春まで立教大学社会学部教授、同アメリカ研究所所長。著書に『ジャングル・クルーズにうってつけの日――ヴェトナム戦争の文化とイメージ』『負けた戦争の記憶――歴史のなかのヴェトナム戦争』『空の帝国 アメリカの20世紀』ほか。訳書に『カチアートを追跡して』(ティム・オブライエン著)、『アメリカ写真を読む』(アラン・トラクテンバーグ著)など。最新刊に『アメリカのいちばん長い戦争』(集英社新書)がある。
- ──
- 自分みたいに
ヴェトナム戦争が終わったあとに
生まれた世代からすると、
あの戦争によって
「アメリカ全体」が傷ついていたような
印象があるんです。 - でも、実際に戦地へ赴いた人の割合って、
国民全体からしてみたら、
そこまで多くはなかったんですよね。
- 生井
- そうですね。ヴェトナム戦争のころに
徴兵対象にあった若者全体のなかで、
実際に徴兵された人の割合は、約3割。 - さらに、実際ヴェトナムへ行ったのは、
1割程度。
- ──
- 全体で見たら、「ごく一部」?
- 生井
- たしかにアメリカ国民全体から見れば
1割程度ですが、
ただ一時は、年間50万人ものアメリカ兵が、
南ヴェトナムに駐留していました。 - そしてその中の「5万8千人」余りが
戦死しています。
- ──
- でも、あえて言うなら、
その「国民の1割の人のための慰霊碑」を
あのようなデザインにしたことで、
あの「壁」が、ヴェトナム戦没者に対する
ある種の「癒しの象徴」として
捉えられるようになったわけですけれども、
実際のところ、
ヴェトナムに行かなかったその他大勢の
アメリカ国民は、
どう思っていたんでしょうか。
- 生井
- まず、先ほどヴェトナムの慰霊碑について、
「非政治性という政治性」の面があると
言いましたけど、
大切なのは、あの慰霊碑自体は
「最低限の意味」しか
自らは語っていない‥‥ということですね。
- ──
- 最低限の意味。
- 生井
- 戦争で亡くなった
すべてのアメリカ人の死を悼む‥‥ということ、
その点だけにフォーカスして、
慰霊碑の建設事業を成立させたわけです。
デザインも、その意味で、きわめてミニマル。
饒舌じゃないんですね。 - さらに、あの慰霊碑の建築デザインは、
その後の世界中の戦争記念碑とか、
災害や悲劇の慰霊碑のデザインに
大きな影響を与えました。
いまとなっては、あの影響を無視できる
記念碑・慰霊碑はないと言ってもいいほど。
- ──
- ええ。
- 生井
- しかも、あとに続いた記念碑・慰霊碑の
すべてを上回って、
あのオリジナルのヴェトナム慰霊碑は、
デザイン的にすぐれていると言っていい。 - ただ、シンプルな三角形の壁がふたつ、
並んでいるだけ。
建築の言語がきわめて抑制的で、
まったく饒舌じゃない。
でも黙り込んでいるわけじゃないんです。
ムッとして黙っているとか、
対話を拒むような印象も与えたりしない。
- ──
- たしかに。
- 生井
- 老人でも子どもでも外国の人でも、
誰が訪れても、
黙って物静かに、
微笑だけを浮かべて迎えています。 - そこを訪れる人は、
誰もがみんな、さまざまな思いに誘われる。
- ──
- 人の気持ちを喚起する慰霊碑である‥‥と。
- デザインとは、
本当に大きな役割を果たすものなのですね。
- 生井
- また、アメリカの社会からしてみると、
あの戦争で戦っていたのは、
「戦地の兵士だけ」ではありませんでした。
国内でも、真っ向から、
主戦論と反戦論がぶつかり合っていました。
アメリカ国民の間で、
あからさまに「分断」が起きていたんです。
ヴェトナム戦争の時代を通して、
アメリカ全体が、
分裂と対立の苦難に遭遇していたんですよ。
- ──
- 戦地へ赴いたのは国民の1割だったけど、
「銃後」の人々も、それぞれに
癒やされてしかるべき体験をしていたと。 - 1968年の大統領選挙の年だけに限っても、
まさしく「激動」ですもんね。
ヴェトナムでは
有名な大攻勢「テト攻勢」が起こり、
パリでは5月革命、
日本でも全共闘運動が激化していました。
他方では、ビートルズもいて‥‥。
- 生井
- あの年は、とりわけ特別でしたね。
アメリカでは、民主党の党大会の目前で
キング牧師が暗殺されてしまう。
公民権運動の象徴であり、
非暴力の思想を掲げた
指導者の生命が奪われたショックは、
とんでもなく大きかったはずです。
そして国全体が揺れているそのさなかに、
今度は
ジョン・F・ケネディ大統領の弟である
ロバート・ケネディが、
カリフォルニアでの遊説中に暗殺される。
リベラルの希望を担っていた人物が、
またひとり斃(たお)れてしまうんです。
- ──
- 気持ちが追いついていかなそうです。
- 生井
- アメリカは、どうなってしまうんだろう。
- リベラルの側、とくに若者たちの間には、
不安や絶望感が広がっていた。
大統領選挙の党大会も大混乱しました。
あの当時、民主党内では
州代表だけでなく市民団体やグループが、
大統領候補を
自分たちで擁立することができたんです。
- ──
- 独自に。なるほど。
- 生井
- 民主的社会のための学生同盟、
略してSDSという反戦団体の中の一派は、
「不死身のピガサス」
と名づけた「子豚」を連れてきて、
「われわれの大統領候補である!」と。
- ──
- それってつまり‥‥
「誰がやっても同じことだ」という皮肉ですか。
- 生井
- 首謀者は、
SDSの中でもいちばんの跳ねっ返りだった
ジェリー・ルービンとアビー・ホフマンなので、
まあ、冗談ですよ。
世の良識をせせら笑う、という。
SDS議長だったトム・ヘイドンは
真面目な政治活動家なので怒ったみたいですが。 - で、そんなことが行われていた会場の外では、
反戦運動だけじゃなく、
平和運動に関わる市民団体の人たちも加わった
抗議デモが展開されていた。
そして、彼らと警察の機動隊とが
正面からぶつかり合うことになったんです。
当時の記録映像を見ると、
そのすさまじさが、よくわかりますよ。
反戦運動というものが、
すでに一般の市民にまで広がっていたので、
ごくごうふつうの中年女性が、
声を張り上げて
『We Shall Overcome』を歌っていたり。
- ──
- ジョーン・バエズが歌っていた、あの反戦歌を。
- 生井
- そして、その女性を警官が乱暴に引っ張って、
拘留用車両に放り込む。
1980年代にアメリカで放映された
「ヴェトナム戦争」という
全13回のテレビドキュメンタリーがありますが、
その中にも
そうした映像が引用されているはずです。 - 日本でもNHKが放映したので、
大学の図書館みたいなところに行けば、
VHSなどで所蔵されているかもしれませんね。
それらの映像を見ると、
当時の「分断」状況が本当によくわかります。
- ──
- 国が完全に「割れてしまった」ような‥‥。
- 生井
- 一口に「戦争反対」と言いますが、
その陣営の中にもさまざまな立場がある。 - そもそも「反戦運動」と「反戦世論」は
違いますしね。必ずしも一致しない。
- ──
- 「運動」と「世論」の不一致?
- 生井
- 多くの場合、「反戦運動」は、
開戦の前に、
政府の方針に反対して行われるわけですね。 - 戦争がはじまったら、たいていの社会では
仲間割れになるのを避けて、沈静化する。
それでもやるのが「運動家」です。
独裁国家や全体主義の国だと、
それも事実上もみ消されてしまうんですが。
- ──
- なるほど。
- 生井
- 60年代アメリカでは、その「反戦運動」が、
いわゆる「若者革命」‥‥
「Youthquake」と呼応するかたちで、
盛り上がっていったわけです。 - 一方で、「反戦世論」も人々の考えなので、
よほどのことがなければ
戦争中に盛り上がってくることはない。
しかし、戦争が長期化すると、
厭戦的な気分はどうしても芽生えてくる。
60年代のアメリカでは
そこに若者たちの「反戦運動」が
つながるかたちで世論が高揚したんです。
- ──
- 必ずしも一致しない「運動と世論」とが、
接続したような場面もあったと。
- 生井
- さらに、そうした
若者中心・学生主体の反戦運動に対して
腹を立てる労働者の男たち‥‥
なんていう「反・反戦運動」も出てきた。 - つまり単に「運動家」のレベルで
政治的対立が起こっていただけじゃない。
国民の「世論そのもの」が、
鋭い対立状況のさなかにあったわけです。
- ──
- 社会が、分裂どころか四分五裂していた。
- 生井
- はい。
(つづきます)
2025-06-04-WED
-
生井英考先生の新刊は
『アメリカのいちばん長い戦争』
アメリカのいちばん長い戦争、といえば
長らく「ヴェトナム戦争」でした。
でもいまは、その座(?)を
アフガン戦争に取って代わられています。
あれほど反戦を叫ばれ、忌避され、
「症候群」まで生んだ
ヴェトナム戦争の「教訓」は、
どのように活かされてこなかったのか。
現在のアメリカ社会の「分断」は、
どのようにヴェトナムから地続きなのか。
待望の、生井英考先生の最新論考です。

