ことし2025年で終結から50年をむかえた
ヴェトナム戦争の記憶をめぐる旅、
まずは、アメリカ研究の生井英考先生に
お話をうかがいました。
ヴェトナム戦争に従軍した兵士たちが、
アメリカ社会から、
どんなイメージを抱かれてきたかについて。
泥沼と呼ばれた戦争に疲れ、
傷ついたアメリカを「癒やす」ために建設された、
ヴェトナム戦争戦没者の記念碑のこと。
映画や物語の観点から語られる、
いまのアメリカ社会の分断の源流としての
ヴェトナム戦争。
その「教訓」は、活かされたと言えるのか。
担当は「ほぼ日」奥野です。

>生井英考さん プロフィール

生井英考 プロフィール画像

生井英考(いくい・えいこう)

1954年生まれ。慶應義塾大学卒業。アメリカ研究者。2020年春まで立教大学社会学部教授、同アメリカ研究所所長。著書に『ジャングル・クルーズにうってつけの日――ヴェトナム戦争の文化とイメージ』『負けた戦争の記憶――歴史のなかのヴェトナム戦争』『空の帝国 アメリカの20世紀』ほか。訳書に『カチアートを追跡して』(ティム・オブライエン著)、『アメリカ写真を読む』(アラン・トラクテンバーグ著)など。最新刊に『アメリカのいちばん長い戦争』(集英社新書)がある。

前へ目次ページへ次へ

第5回 アメリカを「癒やす」ために

──
ヴェトナム戦争戦没者慰霊碑の
デザインコンペで選ばれたのは、
戦争を知らない世代の、
アジア系のイェール大の女子学生だった
マヤ・イン・リン。
生井
大反響を呼びました。
デザイナーがヴェトナム戦争中に生まれた
「戦争を知らない世代」で、
かつ「アジア系の女性」だということで。
──
あまりにも
「ヴェトナム戦争で死んだ、アメリカ兵」
という属性とかけ離れていたから?
生井
しかしながら、
彼女の出したデザインはすばらしかった。
いまでは彼女は、
アメリカを代表する建築家のひとりです。
大きな公共建築も手掛けている、
「アメリカを代表する建築家30人」にも
数えられるような存在です。
──
あのデザインは「課題」だったんですよね。
生井
はい。「葬儀建築」という演習の授業で、
先生から
「コンペがあるから、参加してみたら」と。
そこで、11月の感謝祭の休暇の前に
ニューヘブンの大学から
中西部の実家へ里帰りする道すがら、
ワシントンの記念碑建設予定地へ足を運び、
現場の風景に触れ空気を感じ、設計した。
最初は「一枚の壁」だったらしいんですが、
あの「V字型」のアイディアについては、
先生のアドバイスから来ていると
言われています。
──
すでに話に出ましたが、
すべての戦死者の名前を入れること‥‥が、
デザインの条件だった。
生井
そうです。記念碑の躯体のどこかに、
5万8000人近い名前を刻む必要があった。
それが可能なスケールで、
設計しなければならなかったんです。
──
つまり、ある程度の大きさになることは
当初から想定されていたわけですけど、
そのサイズに比して、
非常に「静謐」といった印象を受けます。
生井
黒い御影石の表面に、
サンセリフ体で、
戦没者の名前だけが彫られているんです。
階級も、部隊名も、出身地もない。
亡くなった年の順に並んではいますけど、
それ以外の情報は、一切なし。
──
ぼくは現地へ行ったことがないのですが、
特定の人名を探し当てるのって、
じゃ、けっこう大変なんじゃないですか。
生井
いまはインターネットで検索できますが、
ひところまでは、
氏名のほか、出身州や没年、
海兵隊などの「所属」などが記された
分厚い電話帳みたいな冊子が、
記念碑のかたわらに
アクリルケースみたいな雨除けをつけて、
置かれていたんです。
その冊子を辞書みたいにひいて、
めあての名前の場所を特定していました。
──
壁の表面には
亡くなった人の名前しか書かれていない。
そのシンプルさが、
「鎮魂」や「神聖」というような印象を、
訪れる人に抱かせるんでしょうか。
生井
しかも、壁はぴかぴかに磨き上げられた
黒い御影石なので、
その前に立つ自分の姿が、ぼんやり映る。
つまり、自分の姿が、
死者の名前のなかに浮かび上がるような、
そんな感覚を覚えるんです。

Jon - stock.adobe.com Jon - stock.adobe.com

──
その効果は最初から狙っていたんですか。
まるで、現代アートのようですが。
生井
どうでしょうね。
影が映ることまでは考えてなかったかも。
でも、結果としてそうなっています。
──
よく、肉親なのか、友人なのか‥‥
戦没者を悼む人たちが、
名前のところに触れている写真を見ます。
そんな気持ちにさせる壁なんでしょうか。
生井
みんな、自然に触っていますよ。
誰も咎めないし、
そうすることがあたりまえのような空気。
国立公園の中なので
パーク・レンジャーと呼ばれる
公園管理官もいますが、
彼らは「警備員」という雰囲気ではない。
慰霊碑を「守る」んじゃなくて、
亡くなった人や、そこを訪れる人を
どこか「手助けしている」感じなんです。
──
サイゴン陥落から50年を経た、いまでも。
生井
いまでも。
戦争を知らない若い世代も訪れますが、
敬意を持って、あの慰霊碑に接しています。
かといって、かしこまるような場でもない。
季節によっては短パン姿の人もいるし、
暗い雰囲気ではないんです。
──
なるほど。
生井
でも、「しめやかさ」は感じる。
そういう特別な場所なんです。
──
先生の本にも、当時のマヤ・リンさんの
写真が載ってますが、本当に若いですね。
生井
まるで、高校生みたいでしょ。
これが、慰霊碑の最初のスケッチです。
緑の丘に横たわっているようなイメージ。
緩やかな坂道を登っていくと、
自分の横に、
名前の彫られた壁が徐々に現れてくる。
さらに歩いていくと、
その壁がどんどん高くなっていくんです。
頂点は、3メートル以上にもなる。
──
片翼が75メートルくらいとのことなので、
全長は直線にして150メートルほど。
生井
だから、かなり緩やかなV字型なんです。
伏せた本みたいな感じ。
ちなみに「順番」というか、
どこからが「スタート」だと思いますか。
──
あ、それは、考えたこともなかったです。
えーっと、すなおに考えたら、
いちばん左が、
いちばん先に亡くなった人‥‥ですか?
生井
それがまた、おもしろくて。
左から右へ進んでいくんじゃなく、
本で言えば真ん中のノドの部分が最初、
そこから右へ。
で、右の端っこまで行きついたら、
こんどは左端へ飛んで、
最後、また真ん中へ戻ってくるんです。
──
へええ。
生井
はじまりと終わりが中央で接している。
そういう構造なんですよ。
──
その間、時間にすると10年以上。
生井
最初の戦死者が1960年代の初頭なので、
そこから
1975年のサイゴン陥落までの10数年。
──
V字の壁のノドからスタートして
10数年の時間をかけて
ぐるっとひとまわりし、
最後はまた、ノドへと戻ってくる。
そういう構造にしたのには、
何か特別な意味があったんでしょうか。
生井
あの壁の前に立つと‥‥
まるで、
戦死者の名をびっしりと刻んだ長大な壁の、
長くのばしたその腕の中に、
自分が「包み込まれる」感じがするんです。
──
わああ‥‥なるほど。
生井
アメリカで「ヒーリング」という言葉が
流行りはじめたのも、
じつは、この慰霊碑がきっかけでした。
──
癒し‥‥という意味の「ヒーリング」。
生井
そうです。ヒーリングミュージックとか、
ヒーリングアロマとか、
いろんなジャンルで流行語になりました。
その言葉が
日本へ入ってきたのも、このころですし。
ジャン・スクラグスの著書のタイトルも
『To Heal a Nation』でした。
──
「アメリカ国民を癒すために」。
生井
そうですね。この場合の「nation」は
「国家」という意味でなく、
集合名詞で「国民の集団」を指しています。
つまり「人びとを癒す」という名の本。
慰霊碑の維持管理を担っている団体は
「NVVMF」と言います。
つまり
「National Vietnam Veterans Memorial
Foundation」の略なんですが、
この場合の「ナショナル」も、
「国立」という意味ではありません。
──
国費でつくったわけじゃないですもんね。
生井
すべての費用は「寄付」で賄われました。
日本語では
「国立」と訳してしまうことが多いけど、
それだと誤解を招いてしまいます。
あくまで個人の寄付や運動で建設された、
慰霊碑なんです。
──
ヴェトナムで亡くなった兵士の名前と、
その後のアメリカを生きる人たちの姿を、
黒い壁に、静かに重ね合わせるだけの。
生井
ただただ、「癒やし」を目的とした壁。
だから、そこには「政治性はない」と、
そういうことになる。
非政治性という政治性がある‥‥
という見方をすることもできますけど。

(つづきます)

2025-06-03-TUE

前へ目次ページへ次へ
  • ヴェトナム戦争/太平洋戦争にまつわる
    読者のみなさんからのお便りを募集いたします。

     

    ご自身の戦争体験はもちろん、
    おじいちゃんやおばあちゃんなどご家族や
    ご友人・知人の方、
    地域のご老人などから聞いた戦争のエピソード、
    感銘を受けた戦争映画や小説についてなど、
    テーマや話題は何でもけっこうです。
    いただいたお便りにはかならず目を通し、
    その中から、
    「50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶」
    の特集のなかで、
    少しずつ紹介させていただこうと思います。

    メールを送る

  • 生井英考先生の新刊は
    『アメリカのいちばん長い戦争』

     

     

    アメリカのいちばん長い戦争、といえば
    長らく「ヴェトナム戦争」でした。
    でもいまは、その座(?)を
    アフガン戦争に取って代わられています。
    あれほど反戦を叫ばれ、忌避され、
    「症候群」まで生んだ
    ヴェトナム戦争の「教訓」は、
    どのように活かされてこなかったのか。
    現在のアメリカ社会の「分断」は、
    どのようにヴェトナムから地続きなのか。
    待望の、生井英考先生の最新論考です。

     

    Amazonでのおもとめはこちら

     

    特集 50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶