
ことし2025年で終結から50年をむかえた
ヴェトナム戦争の記憶をめぐる旅、
まずは、アメリカ研究の生井英考先生に
お話をうかがいました。
ヴェトナム戦争に従軍した兵士たちが、
アメリカ社会から、
どんなイメージを抱かれてきたかについて。
泥沼と呼ばれた戦争に疲れ、
傷ついたアメリカを「癒やす」ために建設された、
ヴェトナム戦争戦没者の記念碑のこと。
映画や物語の観点から語られる、
いまのアメリカ社会の分断の源流としての
ヴェトナム戦争。
その「教訓」は、活かされたと言えるのか。
担当は「ほぼ日」奥野です。
生井英考(いくい・えいこう)
1954年生まれ。慶應義塾大学卒業。アメリカ研究者。2020年春まで立教大学社会学部教授、同アメリカ研究所所長。著書に『ジャングル・クルーズにうってつけの日――ヴェトナム戦争の文化とイメージ』『負けた戦争の記憶――歴史のなかのヴェトナム戦争』『空の帝国 アメリカの20世紀』ほか。訳書に『カチアートを追跡して』(ティム・オブライエン著)、『アメリカ写真を読む』(アラン・トラクテンバーグ著)など。最新刊に『アメリカのいちばん長い戦争』(集英社新書)がある。
- ──
- アメリカが大混乱、四分五裂していた
1968年の大統領選挙では、
最終的には、共和党候補の
リチャード・ニクソンが勝利しました。
- 生井
- ニクソンは、1960年の大統領選で
ジョン・F・ケネディに敗れましたが、
政治の表舞台へ返り咲きました。
彼はケネディに負けたあと、
もう政治的には目がないと見なされて
いっとき政界を引退し、
ニューヨークで
企業弁護士をやっていたんですが。
- ──
- あ、そうなんですか。知らなかったです。
そのあと再び大統領に挑戦して、勝った。
- 生井
- そうです。ペプシコーラのペプシコ社を
クライアントにしていたそうです。
そこから、じわじわと政界復帰を狙い、
最終的には
共和党の大統領候補の座を勝ち取ります。 - 先日、わたしが出した
『アメリカのいちばん長い戦争』では、
大統領ニクソンによって
ヴェトナム戦争の終戦交渉をするために
打ち出された政略が、
現代アメリカの
社会的分断の遠因になったことを
論証していますが、
実際、このころからアメリカ国内では
「war comes home」‥‥
つまり、戦争が
(戦地ではなく)故国にやってくる、
という
切羽詰まった空気が色濃くなります。
- ──
- 1万マイル彼方の戦場の、国内化。
- 生井
- アメリカの内側では国民が分裂して
互いにいがみあう、
そういう世相が、
ヴェトナム戦争の半面の姿なんです。
- ──
- そのようにして
分断や対立といった空気に覆われるなか、
結局のところ、
ヴェトナム戦争戦没者慰霊碑は、
アメリカを癒したと言えるのでしょうか。 - 先生は、どう思われますか。
- 生井
- どうでしょうね。いま申し上げたように、
ヴェトナム戦争は、
軍事や政治だけでなく、
アメリカという国を社会的に引き裂いた、
そういう戦争だったんです。
- ──
- はい。
- 生井
- あの時代に生きていた人びとにとっては、
他人事ではいられない出来事だった。 - あの戦争のせいで、
アメリカ人であることへの信頼や自尊心、
そういったものが、
いちど粉々になったという感覚があった。
それほどの傷や痛みから立ち直ることは、
簡単ではないですよね。
- ──
- そうでしょうね。そう思います。
- 生井
- ただ、他方では、こうも思うんです。
- 1980年代のアメリカでは
「ヴェトナム戦争症候群」という‥‥
つまり、あの戦争の失敗で
外交も軍事もすべてうまくいかなくなった、
機能不全に陥ってしまったと
盛んに言われるようになったんです。
でも、アメリカだろうが他の大国だろうが、
戦争に敗れることはあり得るわけで、
そのことだけをもって
自信を喪失し完全にダメになるというのも、
愚かしいという以外にない、と。
- ──
- なるほど‥‥なるほど。
- ちなみに、現代のアメリカに暮らす人たち、
とくに若者たちにとって、
「ヴェトナム戦争のイメージ」って、
どういうところから来ているんでしょうか。
- 生井
- 現代のアメリカの若い世代にとっては。
ヴェトナム戦争のイメージなんか、
ほとんど「ない」んじゃないですかね。
- ──
- ない?
- 生井
- もちろん戦争があったことは知っているし、
「負けた」という認識もある。
でも、それっていったい何だったのか、
どんな意味を持っていたかは、わからない。
ヴェトナム戦争について、
特別な関心を寄せるってこともたぶんない。 - というのも‥‥。
- ──
- はい。
- 生井
- ひとつには、アメリカの政治指導者たちが、
ことごとく
「ヴェトナム戦争に行っていない」んです。 - ドナルド・トランプもビル・クリントンも
ジョー・バイデンも、
徴兵されてもおかしくなかった世代なのに、
実際に戦地へ行った人はいない。
- ──
- それはつまり「特権的な扱い」で?
- 生井
- ジョージ・W・ブッシュもアル・ゴアも‥‥
みんな、
いわゆる「ヴェトナム・ジェネレーション」
ではあるけれど、軍歴はない。 - オバマは1961年生まれですから、
ヴェトナム戦争のころはまだ子どもでした。
- ──
- ここ最近の歴代アメリカ大統領たちは、
ヴェトナム戦争には行っていないのか‥‥。
- 生井
- ほぼ唯一の例外が、2004年の大統領選で
民主党の統一候補になった
ジョン・ケリーです。
オバマ政権2期目の国務長官ですが、
ブッシュ政権の対テロ戦争で
アメリカが分裂状態に陥ったときに、
戦争の英雄と見なされつつあった人です。 - ケリーは、ビル・クリントンより
いくつか年上なんですが、
イェール大学を卒業したあと海軍へ入り、
ヴェトナムで戦って
パープルハート(戦傷章)や
ブロンズスター(青銅星章)を受けた。
- ──
- おお。
- 生井
- ところが帰国後に反戦帰還兵の仲間入りをして、
議会で戦地の混乱ぶりを証言したり、
議事堂前の反戦デモで勲章を投げ捨てたりした。 - この彼の行動は、
長く、一部の帰還兵からの「遺恨」のもとに
なっていたらしいんですが、
2004年の選挙で、ケリーが
「戦争の英雄」として脚光を浴びたときに、
じつはケリーの英雄的行動はでっち上げだ‥‥
という「暴露」が行われたんです。
- ──
- ええ。
- 生井
- 騒ぎ自体は、同じ警備艇に乗り組んでいた
元部下の隊員たちの証言で否定されました。 - でも、勲章遺棄のような
「非愛国的」なふるまいをした人間が、
なんで「戦争の英雄」なんだという恨みが、
伏流のように社会の底を流れていたんです。
- ──
- 結局のところ、ケリーはブッシュに負けて
大統領にはなれませんでしたが、
もしもヴェトナムへの軍歴のあるケリーが
大統領選で勝っていたら‥‥。 - いまの若者にとっての
ヴェトナム戦争のイメージが「ない」‥‥
という状況も、
少しは変わっていたと思われますか。
- 生井
- 勝っていたら‥‥という想定自体が、
どこか、虚しいような気もしますね。
- ──
- 虚しい・・・・?
- 生井
- これと相前後して
大統領のブッシュ(ジョージ・W)のほうも
軍歴詐称疑惑が報じられたんですが、
それはCBSテレビのキャスターの
ダン・ラザーによる誤報だと騒ぎになった。
ラザーは結局、この騒動で
ジャーナリズムから引退に追い込まれます。 - つまり、ケリーはヴェトナム戦争の遺恨で
大統領選に勝利できず、
戦時中にはヴェトナム特派員であり、
ウォーターゲート事件でも、
ニクソンを追及する急先鋒だったラザーは、
ヴェトナム時代の
ブッシュの軍歴の「誤報」騒ぎで失墜する。
- ──
- はい。
- 生井
- かつてのリベラルな政治や報道を
牽引した人々がことごとく、
ヴェトナム戦争の時代のことで
逆風にさらされていったわけです。 - そのあたりのことを思うと、ね。
(つづきます)
2025-06-05-THU
-
生井英考先生の新刊は
『アメリカのいちばん長い戦争』
アメリカのいちばん長い戦争、といえば
長らく「ヴェトナム戦争」でした。
でもいまは、その座(?)を
アフガン戦争に取って代わられています。
あれほど反戦を叫ばれ、忌避され、
「症候群」まで生んだ
ヴェトナム戦争の「教訓」は、
どのように活かされてこなかったのか。
現在のアメリカ社会の「分断」は、
どのようにヴェトナムから地続きなのか。
待望の、生井英考先生の最新論考です。

