若くして老舗の文芸誌『新潮』の編集長に
抜擢された矢野優さんは、
東浩紀さんの『存在論的、郵便的』をはじめ、
阿部和重さんの
『インディヴィジュアル・プロジェクション』、
平野啓一郎さんの『日蝕』など、
いくつもの、個人的に思い入れの深い作品の
担当編集者でもありました。
矢野さんのようなすぐれた編集者は、
輝く才能を、どうやって見極めているのか?
矢野さんにとって「物語」とは?
編集とは「選んで、綴じる」ことであり、
それは脳と肉体が一体化したな営みだ‥‥等々。
とにかく、刺激に満ちた2時間でした。
担当は「ほぼ日」奥野です。

>矢野優さんのプロフィール

矢野優(やの・ゆたか)

1965年生まれ。1989年、新潮社に入社。「ゼロサン」編集部、出版部(書籍編集)を経て、2003年より「新潮」編集長をつとめる。担当書籍に阿部和重「インディヴィジュアル・プロジェクション」、東浩紀「存在論的、郵便的」、平野啓一郎「日蝕」など。「新潮」では、大江健三郎「美しいアナベル・リイ」、柄谷行人「哲学の起源」、筒井康隆「モナドの領域」などを担当。

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第2回 選んで、綴じること。

──
矢野さんの「編集者としてのよろこび」って、
どういうところにありますか。
矢野
日本の場合、
作家が特定の出版社と独占契約するケースは、
ほぼ、ありませんよね。
つまり、いろんな出版社、いろんな編集者と
つき合うことになるわけですが、
そのなかで、
ひとつの作品を生み出すときの伴走者として、
自分を選んでくれたことが、
まずは、単純にうれしいことだと思ってます。
──
なるほど。伴走者のよろこび。
矢野
はい。ただ緊張感は、つねにあります。
前任者からのバトンタッチであったり、
自分から口説きに行ったり、
出会いのかたちはさまざなんですけど、
一度ご一緒してダメだと思われたら、
その関係性って、
次にはもうなくなってしまいますから。
──
ダメだと思われてしまうのって、
たとえば、どういう点なんでしょうね。
矢野
まあ、それはさまざまあると思います。
自分の文学を理解してないとか、
読者に届ける力がないとか、
単に、人として好かないとか。
──
人対人の部分も、大きいんでしょうね。
矢野
つくる本のピントがずれているとかね。
──
作家さんとお話をしているうちに、
新しい小説の構想が
うまれることもあると思うんですけど。
物語が誕生する瞬間‥‥といいますか。
それって、どういう感じですか。
矢野
本当にケース・バイ・ケースですけど、
阿部和重さんの
『ニッポニアニッポン』という作品は、
とくに思い出深いです。
ちょうど、阿部さんの
『インディヴィジュアル・プロジェクション』
が、ヒットして少し経ったタイミングでした。
──
それまでは、デザイナーだった常盤響さんの
「はじめて撮った写真」がカバーで、
まず、見た目からしてカッコいい作品ですね。
解説は、東浩紀さん。
矢野
で、次の作品をやりましょうということで、
『新潮』の担当者とふたりで、
阿部さんのところに会いに行ったんですよ。
それで、何かアイディアはありますかって
聞いたら、おもむろに、
「引きこもりがトキを逃がす話」と言った。
──
おおお‥‥。
矢野
それだけでわかるじゃないですか。
間違いなく、すごい作品になるということが。
──
その一文を聞いた側にも、
物語がうまれちゃう感じ!
矢野
ふたりで同時に仰け反るみたいな感じだった。
その「引きこもりがトキを逃がす話」という、
そのアイディアだけで、
間違いなく
すごいものになるはず‥‥ということは、
『新潮』の担当者にも、
ぼくにもわかったんです。
──
なにせ、引きこもりの少年が、
天然記念物のトキを逃がす‥‥んですものね。
矢野
たとえば、コンラッドの『闇の奥』を
フランシス・フォード・コッポラが撮りますと。
すごい映画になるということはわかりますよね。
もう、それだけで。
──
事実、『地獄の黙示録』がうまれた。
矢野
阿部和重という小説家が、
そのアイディアで物語を書くとしたら‥‥って。
考えるだけで、ぞくぞくしませんか。
──
作家さんとの関係にもよると思いますけど、
文芸の編集者さんも
執筆の途中で助け舟を出したり、
サジェスチョンをしたりとかしてますよね。
矢野
そういうこともありますね。
──
ぼくは、それがすごいなあと思うんです。
作家のクリエイションというひとつの世界に、
どう「介入」するのか‥‥。

矢野
まず、話の前提ですけど、
作品を書く人は、もちろん小説家なわけです。
編集者は1文字たりとも書かない。
ただ、つねに近いところにいて、
声をかけたり、手伝ったりしているんですね。
──
手伝う‥‥というと、わかりやすいことだと、
資料を集めたりみたいな。
矢野
そういう仕事も、もちろん大切です。
伴走者って、ランナーと一緒に走るんだけど、
走っている人の筋肉は、
1ミリたりとも代行してないですよね。
でも、してないんだけど、
ランナーが走り抜くためのサポートはしてる。
──
ああ、「走り抜くため」の。なるほど。
矢野
やっぱり「助ける」という行為は、
人としてベーシックですけど重要なことです。
資料を、徹底して集めることもそうだろうし。
コミュニケーションを通じて、
作家に決定的なアイディアをもたらすことも、
たまにはあったりするだろうし。
──
なるほど。
矢野
書くということは本当に大変なので、
作家が折れそうなときに声援を送ったりとか。
書き上がったあとには、
いったい何が生まれたんだろうということを
ディスカッションするのも、編集者。
──
作品を前にして。
矢野
そう、感想からはじまるコミュニケーション。
そして、その作品をどんな器に入れて、
社会へ向かって差し出すのがいいだろうって、
宣伝などのプランを相談して考えたり。
──
それらすべてのことを「伴走者」として。
矢野
もっと言うなら、
本文の行と行の間を何ミリにするかなんかも、
編集者が決めることですよね。
ひとつの作品が出来上がるまでには、
編集のできること、やらなきゃならないこと、
それは、さまざまな面でありますね。
──
そこまで関与してうまれた小説作品は、
当然ですが、「作家のもの」なわけですよね。
そのとき、編集者として、
「作品がうまれてうれしい」という気持ちは、
どういうところにありますか。
矢野
やはり新しい何かをうみだす人を手助けして、
物語や情報や概念に「かたち」を与える‥‥。
それが「編集」なのだとしたら、
それって原始時代からあると思うんですよね。
──
なるほど。
その役割と、そこに対するよろこび‥‥とは。
たしかに大昔からありそうです。
矢野
文字のなかった時代にだって
「編集者的な役割」ってあったと思うんです。
比喩的な言い方になりますが。
何かのビジョンを表現しようとする人がいて、
その実現に向けてサポートしようと、
いろんな提案をしたり、
周囲の人に広めたり‥‥という役割の人って、
原始時代からいたんじゃないでしょうか。
──
たしかに!
本じゃなくたって、いいんですもんね。
実現したいビジョンって。
矢野
で、そういう行動とセットであるんですよ。
うれしい‥‥という感情は。
──
なるほど、なるほど。
でも、縄文時代に編集者がいた‥‥と思うと、
じつに愉快な感じがするなあ(笑)。
矢野
ふだんの自分は、
きわめてリアルな目の前の問題だけに
集中しているので、
「編集とは何ぞや?」みたいなことは、
あんまり考えないんですけど。
──
ええ。
矢野
でも、ずいぶん前のことですが、
現代美術家の大竹伸朗さんの初のエッセイを
つくらせていただいたとき、
ちょっと、そういうことを思ったんです。
──
編集とは何ぞや‥‥ということを、ですか?
ぜひ、おうかがいしたいです。
矢野
あのとき、大竹さんに、
デビュー以来の20年に書いたものの束を、
ポンと渡されたんです。
「これで本をつくろう」って感じで。
──
おお‥‥。
矢野
そのとき、編集のいちばんの核にあるのは、
ひとつには「構成」だと思ったんです。
つまり、何を選んで、何を選ばないか。
──
それが、編集‥‥の、大きな側面。
矢野
そう。
そして、選んだものを、どうならべるのか。
どういう構造で見せていくのか。
渡された原稿の束は、
さまざまな媒体に掲載されたものの集積で、
大きさも紙もバラバラだったんです。
──
ええ。
矢野
そこで、会社でいちばん大きな机のうえに、
ズラーッとそれら原稿を並べて、
深夜から朝までかけて、
すべてに目を通して、順番を決めたんです。
で、最後に、
いちばんでっかいクリップで留めたんです。
──
おお。ガシッと。
矢野
その瞬間に「ああ、本ができた」と思った。

──
クリップで原稿の束を留めた瞬間に。
矢野
そして、自分にしてはめずらしく
「編集の本質とは、何か」みたいなことに、
思いをめぐらせたんです。
つまり「選んで綴じることが編集」だって。
──
選んで、綴じること。それが、編集。
矢野
そう。
綴じるのは羊皮紙でもいい、
なんなら、道に落ちてる「葉っぱ」でも、
それを編集者が「選んで、綴じ」たら、
それだけでオリジナルの本になると思った。
──
一文字たりとも、書かれていなくても。
矢野
文字さえ、いらないですよ。
出版社のつくる本は「複製品」ですけど、
すべての本には、
「オリジナル」が存在しているわけです。
──
大竹伸朗さんのエッセイで言えば、
20年もの間に書かれた原稿を精査して、
選り抜いて、順番を決めて、
クリップで留めた束にあたるもの‥‥が。
矢野
選んで、綴じて、その束をつくることが、
編集者の最重要な仕事なんだ、と。
とくに「綴じる瞬間」が、重要なんです。
──
というと?
矢野
だって、「綴じたら、もうバラさないぞ」
「誰に何と言われようが、
フィックスなんだ」ということだから。
そこに出版の意思が宿っているというか。
──
綴じる行為は、じゃあ‥‥慎重に?
矢野
乱暴に‥‥って感じかな。
──
乱暴に。
矢野
うん、無数の可能性をひとつに限定して、
ジャンプするようなことですから。
選んで順番に並べるという行為が、
そこで「完結する」わけじゃないですか。
もう、あと戻りできないんですよ。
──
選んで、綴じる‥‥。
矢野
そこが編集の根本だって思い至れたのは、
たぶん、それが、
肉体的な作業だったからでもあると思う。
なにしろ「20年ぶんのテキスト」って、
頭の中だけで
整理できる限界を超えているんです。
一望するのにも、
まずもって「巨大な机」が必要だったし。
──
実際に「肉体に訴える必要」があったと。
本を「編集」するために。
矢野
脳と身体が、一体化した経験でした。
──
このインタビューを続けていると、
いまみたいに、
身体とか肉体というものが、
その人の編集観に
抜きがたく関わり合っているんだなあと
感じることがあるんです。
編集とは正しく身体的な営みなのか‥‥
というか、
脳と身体はこうしてつながっているのか、
というか。
矢野
本当ですね。
──
いまのお話って、
矢野さんが何歳くらいのときなんですか。
矢野
30ちょいくらいです。
──
つまり、編集者になって
10年も経ってないころの「編集観」を、
いまだにお持ちなんですか。
矢野
そうですね。
いまは文芸誌をやっていて、チーム制で、
数多くの作家に
数多くの作品を書いてもらっていますが、
最後の最後は、
校了紙の束をみんなでチェックして、
クリップで留めているんです。
──
やっぱり「選んで綴じて」で終わってる。
矢野
だから、
いい感じのクリップとか選んでますよ。
──
おお(笑)。適当なクリップじゃ、ダメ。
それくらい気持ちを載せているんですね。
一種の儀式のような、神聖だけど乱暴な。
矢野
大きすぎても不格好だし、
でも、ちっちゃすぎたら、綴じられないし。
妙に硬いやつだと、
深夜にちから尽きてるときは、
なかなか、
クリップを開けられなかったりして(笑)。

(つづきます)

2021-10-12-TUE

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  • 応募総数2396篇!
    最新の『新潮』は新人賞発表

    矢野優さんが編集長をつとめる
    文芸誌『新潮』の最新号は、
    第53回を数える新潮新人賞発表号です。
    「小説の未来のために
    編集部の総力をあげて取り組んでおり、
    2396篇の応募作すべてを
    検討する作業は
    『業務』『損得』というよ
    『文学の営み』という感じです」
    (矢野さん)
    2396篇!
    物語が、全国から、そんなにも!
    いつもながら、表紙もかっこいいです。
    誌名を手がけたのは大竹伸朗さんです。
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