あの編集部の人たちは、
いま、どんな特集をしているんだろう、
何を見ているんだろう‥‥と
気になる雑誌が、いくつかあります。
そのなかのひとつが『美術手帖』です。
現代アートをあつかう雑誌‥‥
のはずなのに、
「アニメ」や「人類学」や「食」まで、
アート視点で取り上げる軽やかさ。
特集「編集とは何か。」第5弾は、
紙とウェブの『美術手帖』を統括する
岩渕貞哉総編集長に聞きました。
担当は「ほぼ日」の奥野です。どうぞ。

>岩渕貞哉さんのプロフィール

岩渕貞哉(いわぶち ていや)

『美術手帖』総編集長。1975年、横浜市生まれ。 1999年、慶応義塾大学経済学部卒業。 2002年、美術出版社に入社、『美術手帖』編集部へ配属。 2007年に同誌副編集長、2008年に編集長に就任。2018年からは紙とウェブ版の『美術手帖』を統括する総編集長に就任。ウェブの『美術手帖』は、こちら

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第3回 拡張する「美術」の概念。

──
2000年からの20年で、
それほどまでに
日本の美術界が大きく変わっていたとは。
聞くだに「激動」という感じがします。
岩渕
そうなんですよ、じつは。
──
恵比寿にある写真美術館が開館したのも
1995年で、
それまでは
写真を大きく展示できる場はなかったと
知ったときにも驚きましたが。
写真的に大きな潮流は、
それまでにもいろいろあったと思うので。
岩渕
当時は、国立新美術館もまだないし。
──
ああ‥‥そうやって動きの激しい時期に
岩渕さんは
美術雑誌の編集者として歩み出しますが、
価値観も相対化し、
美術の発信地も多極化していくなか、
編集者として
どこを見たらいいかわかんなくなること、
ありませんでしたか?
岩渕
そうですね‥‥。
──
編集者って、
とかく、すべてを把握したい、
すべてを俯瞰できる位置に立ちたいって
思ったりとかしがちですが‥‥。
岩渕
それができたら、いいのでしょうけどね。
ただ『美術手帖』って
「現代美術の専門誌」なので、
いわゆる日展や院展、銀座の老舗画廊や
百貨店の画廊などは、
あまり対象にしてはいないんです。

──
なるほど。
岩渕
そのあたりに関しては
『月刊美術』『美術の窓』などの雑誌が
カバーしてくれているので。
──
じゃあ岩渕さんは、どこを見ていますか。
現代美術を専門誌を編集するにあたって。
ぼくら読者は
『美術手帖』を見ていればいいんですが、
つくり手である岩渕さんは。
岩渕
無意識的に肉体化しているので、
あらためて聞かれると、
その質問‥‥難しいですね(笑)。
ギャラリー、美術館、美大‥‥
あまり意識したことがなかったですけど、
まあ、やっぱり「人」なのかな。
──
人。
岩渕
はい、作家個人はもちろん、
美術評論家や美術館のキュレーターなど、
「あの人はいま何を見ているか」
を、ぼくらは、見ている気がしますね。
──
なるほど。いや、と言うのも、
「いま、あの雑誌は、何を見ているのか」
が気になる雑誌がいくつかあって、
その中のひとつが『美術手帖』なんです。
岩渕
ああ、それは光栄です。
──
だって『美術手帖』さんって、
ストレートに現代の美術を扱いながらも、
他方で「食」とか「人類学」とか
「テレビドラマ」とか「アニメ」とか
「表現の自由」‥‥とか、
特集の振り幅がかなり広いと思うんです。
岩渕
そうですね、ええ。
──
だから『美術手帖』は、
いま、どこを見ているんだろう‥‥って。
岩渕
ひとつには「残すため」というかな‥‥。
──
残すため?
岩渕
ようするに「美術」というジャンルには、
そのときどきの美術作品や活動を、
いかに美術史に‥‥
もっと言えば人類の歴史に残していくか、
という視点があるんです。
500年、1000年後にも残るような
可能性を持つ美術作品を
より確率高く「残す」ために、
「批評」という言葉で価値付けけしたり、
分類したり、整理したりしてきたんです。
──
なるほど。
岩渕
その点「食」とか「アニメ」とかって
規模の大きなカルチャーは、
もともと
歴史に残すことが前提になっていない。
評価のフィードバックが、
すぐに受けられるので。
──
おいしいとか、おいしくないとか。
なるほど。
岩渕
欧米で「ART」というと
ハイカルチャーの中でも最高位にあり、
教養ある人たちにたしなまれ、
研究者や大学、学問によって
制度化もされているので、残るんです。
でも、日本人の好きなサブカルチャー、
つまり
「アニメ」「マンガ」「テレビドラマ」‥‥
などは、
受容する人がたくさんいるのに、
なかなか残していくための土壌がない。
──
はい。
岩渕
アニメやマンガのミュージアムもできて、
少しずつですが、
残す動きも出てきているのですが。
──
ええ。
岩渕
つまり、ぼくらがやっていることは
「作品を長い目で見て、
批評の言葉で記述して価値づけする」
という
美術が得意としてきた方法論を、
他のジャンルに適用しているんです。
そうすると、既存のジャンルの
まったく新しい側面が見えてきたり、
そちらの世界の人たちに、
よろこんでもらえたりするんですよ。

──
『美術手帖』に取り上げられた側も、
美術の視点で見られることで、
新しい何かに気付かされたりしそう。
そのときの「方法論」って、
具体的にはどういうものなんですか。
岩渕
たとえば、年表を起こして、
歴史の中でどう位置付けられるかを
考察してみたり、
思想性をも含めてインタビューして、
作品世界を深く読み解いてみたり。
これまで美術に適用していた手法を、
他のジャンルに当てはめる。
『美術手帖』って、
そういうことができる媒体なんです。
──
たしかに『美術手帖』って、
表紙に書かれた特集名を見ただけで、
へええ‥‥と思う雑誌です。
あ、それは読んでみたいぞと思える、
新しい見方を提示していそう、
そう感じる特集が多い‥‥というか。
岩渕
それは、うれしいです(笑)。
──
たとえば「食」にしても、
新型コロナの蔓延で、
家から外へ出られない時期が続くと、
毎回の食事をつくること、
食べることが、
それまでとは
ぜんぜんちがったものに思えてきて。
岩渕
うん、うん。
──
大げさでなくエンターテインメント、
ここを適当にしちゃうと、
一緒に住んでる人との関係にしても、
いろいろ
ダメになると思うようになりました。
忙しい、時間がないとか言って、
以前は、気を使わなかったんですが。
岩渕
わかります。食もいま、
ソーシャリー・エンゲイジド・アートの文脈で
語られるようになっているし。
──
それは?
岩渕
はい、アーティストが
アートという閉じた領域から外に出て、
現実の世界と交わり、
観客の参加や対話を通じて、
社会の変革をうながすような活動です。
食ってやっぱり
人と人とをつなぐコミュニケーション。
その意味では、
美術と通じる部分があると思うんです。
──
基本的に視覚のメディアだった美術も、
時代の移ろいとともに、
いろんな方向へ拡張しているんですね。
岩渕
古くはジョン・ケージが
音を美術の中で表現したのと同じように、
最近では、
味覚を表現の対象とするアーティストも
出てきています。
──
へえ‥‥味覚そのものを、美術として?
たとえば、どういうことですか。
岩渕
このあいだも、資生堂ギャラリーでは、
「感情」とか「感覚」を、
香りや味覚で表現する試みをやっていました。
または地方の芸術祭へ行ったりすると、
アーティストと地元の人たちが
「一緒につくって食べる」ことをやりながら、
その場で
ワークショップをしていたりしますね。
──
2013年くらいの森美術館の企画で
台湾のリー・ミンウェイさんが
個展をやったんですが、
そのなかに、
抽選で選ばれた誰かとリーさんが、
2人きりで、
閉館後の展覧会場でゴハンを食べるという
「作品」があったんです。
その場でうまれる
コミュニケーション自体が表現だ‥‥って。
岩渕
リレーショナル・アート、
つまり「関係性の美術」の文脈ですね。
これまでは色や線などを用いて
何らかの形態をうみだすのが美術でしたが、
人と人との関係がつくる
コミュニケーションの線やかたちも、
アートだとする考えが広がってきています。
そのこともあって、
食にも注目が集まっているんだと思います。
──
そんな背景があったんだ。勉強になります。
岩渕
歴史的に有名なリレーショナル・アートに、
タイのアーティストが、
ニューヨークのギャラリーで
パッタイというタイの焼きそばをふるまう、
という「作品」があったんですよ。
1990年代のことなんですけど。
──
へええ‥‥そんな30年も前に?
岩渕
来場者は、
できたてのバッタイを食べるだけ、
なんです。
──
それが、アート‥‥?
岩渕
はい。いつもなら、セレブな人たちが
壁にかけられた美術作品の前で、
シャンパンでも飲みながら
澄ました会話をしていたんでしょうが、
そこでは、
東南アジアの郷土料理がふるまわれた。
──
なるほど、なるほど。
それは、話す内容も変わりそうですね。
岩渕
変わると思いますよ。
階層の取り払われた状況で、
コミュニケーションはどう生まれるか、
どう変容するのか。
状況そのものを「作品」にしたんです。
──
もうまったく、
絵とか彫刻だけじゃないんですね。
岩渕
美術って、方法論さえ守れば
何でも「料理」できるんです。
そういうものになっていますね、もう。
──
ただ、タイの焼きそばを食べさせる人も、
それだけじゃお金になりませんよね?
岩渕
いや、それがそうでもなくて、
そのパフォーマンスを撮影した映像だったり、
そのような会を開催する権利、
みたいなものを買う人も出てきたりとか。
そこがアートのおもしろさでもありますよね。
──
顧客を生み出している‥‥のか。すごいなあ。
アートの力ですね、魅力というのか。
岩渕
もちろん美術を批評する専門家たちの言葉や、
作品を所蔵する美術館という「制度」が、
価値を担保している、
そういった状況を成立させている要因ですが。
──
なるほど。食とアート‥‥って、
考えもしなかったけど、おもしろいです。
岩渕
いま、人と人とがつながろうとするとき、
「食」は強いなあ‥‥と感じていますね。
──
『美術手帖』で「食」を取り上げるときは、
一般の食やグルメの雑誌とは、
まったくちがうアプローチになりますよね。
そこにやっぱり、興味を惹かれます。
ここのお店が隠れ家的でおいしいですとか、
そういう情報は一切載らないわけで。
岩渕
まあ、グルメの情報ももちろん必要ですし、
役に立つわけですけど、
『美術手帖』にしかできない
「食の特集」にするにはどうしようかと。
そう考えたときに、
あくまで
食に対するアプローチの興味深いものを、
取り上げました。
──
つまり、何十軒も食べ歩いたりとか‥‥。
岩渕
してないです(笑)。
──
でも、そうやって、美術的な視点や
美術が培った方法論から、
いろんな別ジャンルを捉え直してみると、
新しい発見が、どんどんありそう。
岩渕
ええ、ありますし、おもしろいですよ。
で、そういう動きと呼応するかのように、
美術それ自体も、
これまで
美術に分類されてこなかった事象を
次々と取り入れて、
自己を更新していってる部分もあります。
──
美術の捉え方のみならず、
美術そのものも変わってきていると。
岩渕
それこそ、村上隆さんが出てくる以前には
アニメのような絵は、
美術の表現とはみなされませんでしたよね。
でも、村上さんは
「アニメもマンガも
美術のペインティングとして価値を有する」
という信念のもと、
美術の世界に積極的に取り入れてきました。

──
それも、世界各地のアーティストや批評家、
美術館に認められるかたちで。
岩渕
そう。
──
たしか『美術手帖』でも、
村上隆さん個人の特集をされていましたね。
岩渕
ええ、何度もしています。
ぼくが担当したのは、
村上さんが
ベルサイユ宮殿で展覧会をやったときです。

(つづきます)

2021-09-08-WED

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  • 『美術手帖』最新号の特集は
    「女性たちの美術史」

    このところ、特別展や企画展だけでなく、
    コレクション展などでも
    ひとつの重要なセクションとなっている
    女性アーティストの美術作品。
    最新号の『美術手帖』では、
    女性作家の作品が置かれてきた状況や、
    「現在」と「これから」について、
    いろいろと学ぶことができました。
    とくに、東京国立近代美術館や
    東京都現代美術館、
    アーティゾン美術館などでよく見かけて
    気になっていた
    具体美術協会の田中敦子さんについて、
    おもしろく知れて、よかったです。
    読みごたえがあります。ぜひ、ご一読を。
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