これまで、大宅壮一ノンフィクション賞、
新潮ドキュメント賞、
小林秀雄賞、大佛次郎論壇賞‥‥などを
受賞してきた
医学書院「ケアをひらく」シリーズ。
2019年には、同シリーズ全体が
第73回毎日出版文化賞を受賞しました。
そんな傑作シリーズを立ち上げ、
20年間にわたって
40冊の作品を編集し続けてきたのが、
医学書院の白石正明さん。
特集「編集とは何か」第4弾に登場です!
担当は「ほぼ日」の奥野です。

>白石正明さんのプロフィール

白石正明(しらいし まさあき)

1958年、東京都生まれ。青山学院大学法学部卒業後、中央法規出版に15年間勤務の後、96年に医学書院入社。雑誌『精神看護』を創刊。担当する「シリーズ ケアをひらく」は、2019年に第73回毎日出版文化賞を受賞。同シリーズ中、川口有美子『逝かない身体』が大宅壮一ノンフィクション賞(2010年)、熊谷晋一郎『リハビリの夜』が新潮ドキュメント賞(2010年)、六車由実『驚きの介護民俗学』が医学ジャーナリスト協会賞(2013年)、國分功一郎『中動態の世界』が小林秀雄賞(2017年)、『居るのはつらいよ』(東畑開人)が大佛次郎論壇賞(2020年)、鈴木大介『「脳コワさん」支援ガイド』が医学ジャーナリスト協会賞(2020年)などを受賞。最新担当書は、96日発行の森川すいめい『オープンダイアローグ 私たちはこうしている』。

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第1回  ケアをひらく。

──
白石さんの手掛けてらっしゃる
「シリーズ ケアをひらく」の幅広さに、
あらためてびっくりしています。
白石
ぼくもです(笑)。
──
精神障害、躁鬱病、脳性まひ、
伊藤亜紗さんの「どもり」の本から、
哲学者の國分功一郎さんが、
かつて存在した、
能動でも受動でもない「態」である
「中動態」と
「依存症」を関連づけて語る本まで。
白石
ええ。
──
自由自在という感じですよね。
累計でもう40冊も出してらっしゃる。
白石
はい、20年で40冊つくりました。
最新作は『みんな水の中』という本。
大学の准教授で、
発達障害の人に書いてもらいました。
──
きれいな水色のカバーの本ですね。
白石
著者の横道誠さんって文学部の先生で、
発達障害を抱えているんですが、
すごく変わってて、おもしろいんです。
──
おもしろい。
白石
この「ケアをひらく」20周年記念で、
オンラインセミナーと
読書会を開催したんですけどね。
画面上に15人くらいが映るんですが、
1人だけ、
「パソコン画面全体が顔」の人がいて。
──
それが、横道さん?
白石
なんか「距離感」がおかしいんです。
こりゃあ、おもしろそうな人だなあと。
ぼくは「病人に目がない」って、
坂口恭平さんにも
言われたことあるんですけどね(笑)。

──
あ、坂口さんも「ケアをひらく」から、
躁鬱の本を出されていますよね。
ちなみに何の先生なんですか、横道さん。
白石
ドイツ文学。京都府立大で教えてます。
圧倒的な知識があって、
たしか7か国語くらいの言語を話せて、
翻訳もできる人なんです。
アスペルガーの人には多いんですけど、
その圧倒的な量の知識が、
自分でもまとめきれないという感じで、
本人は、すごく苦しいんです。
──
まさしく「氾濫」してしまう、ような。
横道さんは
「つねに水の中にいるような感覚」で
生きてらっしゃるそうで、
それが書名にもなっているわけですが。
白石
なおかつ、子どものころに、
ご両親の信じる宗教の下で育てられて、
心に傷を負っているんです。
彼が言うには、いまでも深夜、
地獄行きのタイムマシンに乗せられて、
向こう側に引きずり込まれて、
そのたび死ぬ思いをしているんだって。
真面目な人なんです、生来的に。
──
発達障害をテーマに書かれたことは?
白石
あるんじゃないかな。
ただ、話してるとわかるんだけど、
純粋に文学に救われてるんです、彼は。
文学がなかったら生きていけない。
──
救われている‥‥文字通りの意味で?
白石
そう、本の原稿の途中で、
急にジャン=ジャック・ルソーの
「エリゼの庭」についての描写を
3ページくらい、自分で翻訳してきて、
これを載せてくださいと言うわけです。
どう考えても、
かなりおかしなことなんですけど、
本人にとっては、そうやって
文学を舐めるように味わうことが
心の慰めになっている。
──
おお‥‥。
白石
なんかね、文学というものが、
ここまで具体的に役に立つものか、と。
趣味の範疇を大きく超えて、
それがなければ生きていけない人って、
本当にいるんだなあと。
──
今年で「シリーズ ケアをひらく」は
20周年とのことですが、
20年前、英単語をカタカナ書きした
「ケア」という言葉には、
そこまで
現代的な意味はなかったと思うんです。
白石
たぶん「お肌のケア」とか、
そういう使われかたがほとんどでした。
──
あるいは、いまの「人流」みたいに、
人工的に
スポットライトの当てられた言葉でも
なかったわけで、
無数の単語のなかのひとつだった。
そういう時代に「ケアをひらく」と。
白石
ええ。
──
つまり「ケア」という言葉が指し示す
ものごとに、興味があったんですか。
白石
ケアにあたる仕事というのは、
もともとは
看護師さんが一手に担っていましたが、
のちに介護福祉士という福祉の職業が、
参入してきたんです。
でもね、たとえば
老人ホームにおける「ケア」に関して、
看護と介護とでは対立がある。
専門性がちがう、というようなことで。
だから看護と介護を同時に扱うのが
難しかったんだけど、
ケアって言葉なら両方入っちゃうんで。
──
ああ‥‥。
白石
まずは、便利な言葉として、
使いやすかったってことだと思います。
──
なるほど。
白石
あと、もっと大きなことで言うと、
医療の世界では、看護師さんの仕事が
下に見られていることが多い。
つまりは身のまわりのお世話でしょと。
科学的な医者のほうがえらいんだと、
思われている。
──
そう‥‥なんですか。
白石
でも、実際の場面では、
病院に看護師さんがいないと困るから、
必要以上に、
ヘンに持ち上げるイヤな雰囲気もある。
本当は見下しているのに何かおだてる。
ぼくは、その違和感に耐えられなくて。
だって、ケア‥‥
つまり「身のまわりのお世話」って、
人間の生活にとって基本的で、
きわめて重要なことだと思うんですよ。

──
そうですよね。
白石
たとえば、ケアを職業としている人は、
電車の中で誰かが倒れていたら、
すぐに、具体的に手助けできますよね。
それは決定的に素晴らしいことで、
人間として「格上」だと思っています。
──
自分も電車の中で倒れたときに
助けられたことがあるのでわかります。
白石
あ、ホントに?
──
地下鉄の中で気を失って倒れたんです。
二子玉川駅を出てすぐに記憶が途切れ、
気付いたら三軒茶屋の駅でした。
意識を取り戻したときには、
女の人に抱きかかえられていたんです。
だから、ものすごく実感がありますね。
あえての表現だと思いますが、
「人間として格が上」っていう感覚は。
白石
その経験は、一生の宝じゃないですか。
そういう身体的な記憶があるのは
素晴らしいし、うらやましいほどです。
自分もいつか助けたいなと思っていて、
誰か倒れてないか探してるんだけど。
──
白石さんも、おもしろいです(笑)。
白石
ふだんからケアに従事している人は、
もうへっちゃらで
倒れている人に手が出せるんですよ。
本当にすごいことだと思っていて、
でも、そのすごさが
なかなか言語化できないって思いが、
自分の中にずっとあったんです。
──
何とかしたい‥‥という問題として、
「ケア」というものに、
ずっと意識的だったってことですか。
白石
そうですね、でも、あるときに、
当時、千葉大学にいた広井良典さんから
ケアっておもしろいんだよ、
というお話を、うかがったんですよ。
ぼくは、広井さんという人のことを、
哲学、社会学、医療‥‥
さまざまな分野を一望するような、
まさに「広い」人だと尊敬していたんですね。
──
ええ(笑)、広い広井先生。はい。
白石
その広井さんが、ケアという領域って
「群盲象を評す」じゃないけど、
ひとつの専門分野からだけ見た場合は
つまんないんだけど、
いろんな角度から光を当てたら、
ぜんぜん別のおもしろさがあるんだと。
その言葉が、ぼくの中の
ケアを尊敬するような気持ちと重なり、
ケアのシリーズやろうと。
──
その、ケアに対する尊敬の気持ちって、
いつごろから芽生えていたんですか。
白石
いやあ‥‥それは、わかんないですね。
あんまり意識したことないです。
最初の就職のときに、
福祉系の出版社に入社したとはいえ、
そこまで
福祉に興味があったわけじゃなくて、
クルマを売るよりは向いてるかなあ、
くらいの感じだったし。
──
最初の出版社でも、すでに
ケア関連の本をつくってたんですか。
白石
ぜんぜん。
いわゆる編集の仕事もしてなかったし。
編集部が岐阜にあって、
そこで校正の仕事をしていたんですよ。
──
あ、そうなんですか。
白石
入社して、すぐに岐阜に引っ越して、
10年間、校正をやってました。
校正というのはつまり、
いわゆる校閲とはまたちがう仕事で、
原稿どおりに活字が入っているか、
一字一句追って確認する仕事です。
しかも、法令書が主だったんで、
読んでも意味がわからない。
ぼくは注意散漫なところがあるんで、
仕事としては非常につらかったです。

──
つらいまま、10年間も‥‥。
白石
そうです。
だから、校正という仕事に対しては
つらかった思い出と同時に、
校正の仕事を「下」に見られると
腹が立つという‥‥
まあまあ、複雑な気持ちがあります。
──
なるほど。
白石
有能な社員であれば、
岐阜から
東京の企画部に引っ張られるんですが、
ぼくにはぜんぜん声がかからなくて、
そのうち後輩にも追い抜かれて、
半ば諦めていたんです。
でも、入社12年目くらいだったかな、
やっと東京へ呼ばれて。
そこで初めて看護の本をつくりました。
──
じゃ、そういった経験や思いもあって、
現在の医学書院に転職されて、
のちに、
毎日出版文化賞とか小林秀雄賞とか
さまざまな賞に輝く
大ヒットシリーズをうみだすんですか。
白石
個人的な経験や思い出に
広井さんからの示唆が重なったことが、
きっかけになった‥‥って、
いま、こうして
しゃべりながら気づいたことですけど。
情動的なものと知的なものとの両方が、
根っこにあったのかもしれない。
──
最初から「シリーズでやろう」と?
白石
それは、そうなんです。
医学書院ですから、
医学が「いちばんえらい」って扱いで、
そういう会社で
ケアの企画を一冊ずつ通していくのは、
大変だろうなと思ったんです。
──
そこで「シリーズにしちゃえば」と。
白石
そう。どうして「医学」じゃなくて
「ケア」なのか‥‥を、
一冊一冊、説明するのは大変だけど。
──
そのときの「ケアをひらく」という
シリーズ名は、すぐ出てきたんですか。
つまり「ひらく」の部分ですが。
白石
わりと最初から「ひらく」でしたね。
──
どういう気持ちで「ひらく」と?
つまり、まさに「ひらいて」いると
感じるので、あのシリーズは。
ケアというものを、
ぼくたち非専門的な読者に対しても。
白石
看護か介護か‥‥みたいな対立じゃなく、
つまり職業的なケアというより、
ふだんの暮らし、日常生活にも
広い意味でケアをひらいていきたいなと。
つまり、お医者さんが注射を打つ場面も
もちろんケアなんだけど、
それだけじゃなく、
ふだん人が生活していく場面でも
ケアを扱いたくて、だから「ひらく」と。
──
シリーズ第1弾は‥‥。
白石
きっかけを与えてくださった
広井良典さんの『ケア学』という本と、
看護師の宮子あずささんの
『気持ちのいい看護』という本ですね。
幸い、どちらとも評判よく売れたので、
その後も続けられたって感じです。
──
大まかな方針はあったと思いますけど、
このシリーズが、
どこへどう転がっていく予想とか‥‥。
白石
まあ、わかんないですよね。最初は。
でも、3冊くらいつくってみたときに、
こういう切り口なら
当面いけるという手応えはありました。
──
それは、どういう?
白石
さっきの話とも重なりますけど、
やっぱり、
看護とか介護とかの「職種」を超えて、
日常生活を含めて、
「困っている人を気にかける」という
テーマで切れば、
どんどんできると思いました。
具体的な案は何もなかったけど(笑)。
──
そうやって、20年で40冊。
白石
はい。

(つづきます)

2021-08-30-MON

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  • 「シリーズ ケアをひらく」最新作は

      「発達障害」の大学の先生の本。

    医学書院「シリーズ ケアをひらく」の第40作は、
    ASD(自閉症スペクトラム)と
    ADHD(注意欠如・多動症)が併発していると
    診断されている
    文学研究者・横道誠さんの「自己解剖記録」。
    タイトルは『みんな水の中』です。
    ぶよぶよしたビニール状のフィルターに包まれて
    生きているような感覚。
    他方で、「発達障害者の特性」と言われるものは
    人生のたぐいまれな喜びでもあった。
    「視覚障害者が社会からの十分な支援を受け、
    生きていく上で
    なんの困難もないと感じる環境を得られれば、
    その人は『眼が見えないだけの健常者』と
    いうことになる」(『みんな水の中』p.42)
    横道さんの言う「脳の多様性」という考えかたに
    深く考えさせられ、納得する一冊です。
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