静岡浅間神社の境内にいます。
神社をひととおり廻り終えました。
そもそもの目的は古墳です!
この階段を登りきれば、
賤機山古墳(しずはたやまこふん)があるはずです。






 
いよいよ
階段登りました。
心臓がはち切れそうー。
おっ! 古墳の石標がありますよ。

ああ、たいへんだった。
 

こんにちは。
まいどおなじみ、
スソさんのかばんのなかから
解説めいたことを
ぶつぶつと申しております、
ミミズク土偶でございます。
姓はミミズク土偶(なのか?)
名は健太郎。
略してミミケンでございます。

ところで、
ページのトップの階段の写真が、
いまのぼってきた階段でございます。
ミミケン、正直もうしあげて、
階段をスソさんが
登っているときはヒヤヒヤします。
なにせ土製品でございますので、
衝撃には弱いので、
ゴツゴツとかばんのなかで
iPhoneに何度も
あたってしまうというようなことは、
避けねばなりませんが、
階段を登っているときというのは、
かなり多くの状況でそうなるのでございます。
(説明が長くて恐縮です。
しかも、いらぬ説明を長々と……。)



 
右手には
まだ上に登る階段がありますが
おそらくは、
麓山神社(はやまじんじゃ)が
あるのでしょう。

ぎょえー。
 

スソさん、まだいくのですか??









 
念のため
以前倉敷に行った時に、
神社境内をくまなく歩くのを
さぼったために
大事な磐座を
見そこねたことがあったので
一応、見ておくことに…

やっぱり社殿がありました。
かつては、富士山が
すっきりと見えたことでしょうね。
ここには依り代が
あったのかもしれません。

教訓。
 

神社、遺跡などは、
後悔をせぬように、
くまなく歩くべし、と。





 
さらに念のため確認
特にもう何もないようです。


 
戻ります
石標の広場に戻ってきました。
古墳の案内看板があります。
ここは古墳の後ろ側ですね。
横穴式石室が南向きで
開口しているようです。

さらに教訓。
 

古墳、神社などをめぐるときは、
かなり歩くことになります。
足が棒になってしまって、
くまなく歩かなくなるようなことを避けるため、
地図の確認を怠ることなかれ。
無駄にあるくことなかれ。







 
そっかー
この見えているこんもりが
古墳の墳丘です!
墳丘の上には
登らないようにと書いてあります。

はい。わかりました。
では、ぐるりとまわって……。

登れる古墳もあります。
 

この古墳は登ることを禁じられていますが、
なかには、
登ることができる古墳もあります。
まわりの人が「お墓だから……。」と
躊躇しているなかで、
スソさんは「研究対象」ということで、
ガシガシと登り、
そこからみえる風景や地形を確認しています。









 
降りていくと
左手の丸い山が古墳です。
せっかく階段を登ったのに、
降りるとは~。

古墳は、一番高いところではなく、
すこし下った丘陵の
南端を利用して造ったんですね。

読みが甘かった!

降りるってことは。
 

また、元の道にでるためには、
登るということになるのですね……。
スソさん……。
がんばってください……。





 
やっと
着いたーと思ったら
今度はまたこんなに上り階段?!
とほほー。

今回はキビチイ!
 

今回の古墳部は、
指折りの階段数!







 
はあはあ
ぐんぐん近くなる円墳!
着きましたよ!

到着!
 

もふっとしていますね。
スソさん!
もふっとしています。
お疲れ様でございます!



 
振り向けば
おおー空が広がっているー。
安倍川の西の山も見えている。

いいながめ。
 

「古墳のある場所は
きもちの良い場所が多い。」
とは、スソさんのことば。
駅から遠い場所にある古墳に
苦労してたどり着いて、
振り向いたところには、
多くの場合、いいながめが
広がっています。





 
そして横穴式石室は
なんと扉がある!
鍵だ!
うーーむ。






 
しかーし
覗き込むと、ライトが点きました!
横穴室石室の奥に家形石棺が置かれています。

敷き詰められた細かい川原石と巨石の対比!
そして、人工的な家形石棺。

なかなか見応えありますね~

家形石棺とは。
 

まあ、読んで字のごとくなのでございますが。
蓋石が屋根形となり、
ボディーのほうが、
箱状になっている石棺のことです。
出現するのは
古墳時代中期後半から終末期です。
ミミケンは、取っ手があるから、
蓋が持ち上げやすいな、とおもいました。













 
さて
解説を読みましょう。
ところで、出土品は
どこで見ることができるのかな~

それはミミケンの仕事。
 

では、読みます。

6世紀後半にこの地方を治めた
豪族の墓と考えられる。

古墳の形は
直径約32m・高さ約7mの円墳。

この横穴式石室は県内最大規模。
長さ約18m。
天井石の中には14トンを超える巨石もある。
石材は高草山(たかくさやま)南端の
大崩(おおくずれ)海岸から
運ばれたと推定されている。

家形石棺は、くり抜き式で、
伊豆の凝灰岩製。
8個の突起がついているのは珍しい。
蓋と身の合わせ目には
ベンガラが塗られていた。

盗掘はされていたものの、石室内に
土器や六鈴鏡・装身具・
馬具類が残っていた。







 
入口の横には
古墳の立体模型があります。

石室入口の蓋石は、
川原石を積み上げたのですね。
これでは、盗掘者に優利だったかも。

古墳の上に登れなかったのは残念だけど
満足、満足。

入り口の蓋。
 

たとえば、入り口に蓋をしている石が、
巨石だったとしたら、
それを移動するは大騒動です。
盗掘も難しくなります。
しかし、このように
小さい石を積み上げているのならば、
入り口を開けるのは容易なことです。











 
階段を下りると
神社の屋根が見えてきました。
そして目の前には赤鳥居。

そうです。
スタート地点に戻ってきたのです。




 
赤鳥居の前で
あーちょうどお昼です。
参道の商店街を歩いていると、
なんだか良さそうなお店を発見!

迷わず入って、冷やしたぬきを注文。
いつもは「きつね」なのに、
なぜか「たぬき」を…
あ、家康のお膝元だから?
美味しかった!

次回は!
 

再び登呂遺跡にむかいまして、
田んぼの土で土器を造ります。


 
2016-07-31-SUN
 
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