カルコ(つがる市縄文住居資料館)での見学を終え
お隣のお食事処「華かるこ」で
昼食(漬け丼)を食べてから出発です。




 
薄曇りの空
車は、どこまでも広がる
りんご林や田畑を抜けて
ひたすら北へ北へと向かいます。


あっ集落や神社があるよ!
という風景を何度か繰り返して
40分ほど経ったでしょうか。

小さな池や沼がちらほらと見えて来ました。

このあたり、
実は、2007年に『四月と十月』の古墳部で
一度訪れたことがあるのです。
(写真はそのときのもの)

今もほとんど変わっていない感じがします!

良い風景だなー。
 
スソさん、良い風景ですね。
ミミケンも懐かしい感じがします。
あ、申し遅れました。
わたくし、
2代目・スソさんのかばんのなかの土人形、
ミミズク土偶のケンタロウともうします。
ミミケンとおぼえていただければ幸いです。
前回より、登場しております。
それにしても、「漬け丼」
おいしそうでした。
ミミケンも一口たべたかったな。




 
湿地帯の中に
つがる市
木造亀ヶ岡考古資料室に
到着しました。

さっそく展示室へ!

壁に、
縄文時代の土器の型式名の表が
貼り出されています。

縄文晩期に亀ヶ岡式土器あり!
その土器がずらりと並んでいます。
わりと小さめの土器が多いですね。

かわいい。
 
大きい土器もかっこよかったり、
美しかったりいたしますが、
ちいさいものもいいですね。
ミミケン、あらためて感じ入りました。
ほっこり、と申しましょうか。
ところで、小生は身長12センチです。




 
注口土器
ガラスケースに
急須のような形の土器や壷の形をした
土器が並んでいます。

特に赤漆が塗られた特別な物もあります。


 
道具
赤漆がお皿に入ったままで見つかっています。

ここで、赤漆を作ったり、
土器に塗っていた人がいた、
作業していたという証拠ですね。

お化粧。
 
ミミケンも土人形なので、
赤く染まることができますぞ。
スソさん、いかがかな?


 
赤い色は
こちらは
赤い岩から顔料となる
ベンガラを取り出すために
刷り石でこすっていたんですね。

この赤い粉と生漆とを混ぜるのですが、
少しでも不純物が含まれていると、
赤くならずに黒くなってしまうそうです。

ここでは縄文時代晩期に
精度の高い赤漆を
作る技術があったということになります。




 
土偶
小さな土偶と、
バラバラになっているのを
元の状態に組み合わせた土偶があります。

なんか、悲しい感じがするな〜
死んでる人を見て作ったっぽい。


 
これですか!
綿にそっと置かれて
ひときわ存在感がある
黒い遮光器土偶が!

これですね!
今日私がさわっていいという土偶は!

頭部がないけど足は両足そろっています。
そして文様が精密に描かれています。

すこし赤みを帯びた黒色です。

これなのです。
 
スソさんがさわる土偶が登場です。
まあ、ミミケンもいちおう土偶ですけどね。
しかし、遮光器さんに触れるならば、
それはもうエキサイトしますよ。
ミミケン、わかります。
それにしてもつやつや。
ミミケンは、
そんなにつやつやじゃないのですが。


 
さぁーて
一同かたずをのんで見守る中、
学芸員の佐野さんがガラスケースから
そおっと取り出して
ガラスの上に置きました。

さあ!
これから触ります!


 
むふふ...
とうとうさわりました!

解説しましょうぞ!
 
じつは、この取材旅行は、
オロナイン軟膏の企画サイト、
「さわる知り100 
 Supported by オロナイン軟膏」

連載のその5のためだったのでございます。
「サワラー」としてスソさんが
登場なのでございます。

いいですね。「サワラー」。
ミミケンは固いので、
何かにさわると
傷がついてしまうことがあるので、
オファーがきてもお断りしよう。

(は!いけないいけない。妄想が。)

スソさんの様子、
ぜひ動画でごらんくださいませ。
ミミケンはこの動画をみると、
自分がさわられているみたいに
くすぐったくなってしまいます。

同時に掲載されている、
スソさんの土偶に関する仮説も
ミミケンはふむふむと読みました。
しかしながら、土偶なものですから、
パソコンに慣れなくて、
目がしばしばになりました。







 
遺跡の現地へ
土偶をそっと元に戻して
遮光器土偶が出た
亀ヶ岡遺跡の
現地を見に行くことになりました。

縄文室から東北方向に約1.5キロぐらい。

10分ぐらいで到着しました。
県道12号線沿いの
この看板が目印です。




 
あっち?
あ、ここにもしゃこちゃんがいる!
駅にくらべると
文様がちょっと省略されてます。

遺跡は後ろの原っぱに?

さすが。
 
ほんと、さすが遮光器さんですよ。
このように石像になっているとは、
同じ土偶として誇らしい限りでございます。


 
そこまで?
佐野さんが
「遺跡はこの奥にありますが、
 湿地でずぶずぶなので
 絶対に入らないでくださいね」
とおっしゃっています。

えーーー!
行きたいーー!

一歩前に出ようとすると
「だめだめ、ほんと危ないから!
 足が抜けなくなるから!」
と声が飛んできました。




 
むり...
はい、
ご迷惑をかけたらいけません!
あきらめます。

ほ。
 
ああ、よかったです。
あまりご無理をなさらぬよう!
スソさん!
転んでしまったら一大事です。
ついでに、
ミミケンが粉々になってしまいます!
登場したとたん土に返ってしまうのは、
あんまりです!




 
うーーむ
あのススキの先の
段になっているところあたり
すっごく怪しいんだけどな〜〜
あそこまで行きたかったな〜〜


 
捨てた?
亀ヶ岡遺跡は、
標高7〜18mほどの舌状台地とその南北の
低湿地にあります。

国立博物館にいる遮光器土偶は、
まさに、ずぶずぶの先、
南側の低湿地で見つかったということ。

そして、先ほどさわった
首のない遮光器土偶は
北側の低湿地の
近江野沢地区で見つかったそうです。

台地の上には住居域があって、
南北の低湿地に
土偶や土器を
「捨てた?」「投げた?」
と推定されるそうです。

ミミケンが
ちょっと解説!
 
まずは写真をご覧に入れます。


この写真の下の方の赤い囲みが、
亀ヶ岡遺跡(正式には亀ヶ岡石器遺跡)。
この北に、田小屋野貝塚がございます。

貝塚から、
ヤマトシジミ・鯨やアシカやトドの骨、
土器・骨角器、ベンケイ貝の貝輪、
人骨、住居跡などが見つかっておりますよ。
ちなみに、ミミケンは、鯨は大好きです。
おいしいですよね。

縄文時代には、
海水面が上昇した期間があるのでございます
(「縄文海進」ともいいます)。
その上昇のピークの
縄文時代の早期末から
前期初頭(約7000年前ごろ)に
このあたりにも、
海が奥地まで入ってきておりました。
スソさんの図を
ごらんいただくとわかるように
貝塚のすぐ東に
“古十三湖”が
広がっていたのでございます。



このような海の変化で、
まわりの環境がかわってしまったので、
田小屋野貝塚に住んでいた人々が
ちょっと南に移動し、
亀ヶ岡遺跡を残したのだろうと
考えられているのでございます。
また、弥生時代には
さらにすこし南へ移動して
集落を作ったとか。

さてさて、ミミケン、
解説が長くなってしまいまして、
もうしわけございません。

スソさんのサワラー取材はこれで終わり。
でも、せっかく青森まできたので、
石神遺跡の出土品も
見せていただくことに
なりましたのでございます

一行は、ふたたび移動。
つがる市
森田歴史民俗資料館 へと向かいます。

こちらでの様子は、
また次回。
それまでお元気で!

 
2015-08-09-SUN
 
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