会社はこれからどうなるのか?
「むつかしかったはず」の岩井克人さんの新刊。
『会社はこれからどうなるのか』(岩井克人/平凡社)
これは、いま読むべき、とても重要な本だと思います。
経済学のプロ中のプロが持っている重要な知識を、
1冊で「素人の知識」として受け取ることができるから。

「会社」を経営する人も、「会社」で働いている人も、
「会社」からモノやサービスを買う人も、
「会社」って何で、「会社」をどうしたいのか、
どうつきあっていくか、考えてもいい時期だと思うのです。

あまりにもおもしろい本だったので、
岩井克人さんに、興奮気味に、いろいろ訊いてきましたよ!
インタビュアーは、「ほぼ日」スタッフの木村俊介です。

第5回 「信任」こそ社会の中心

資本主義社会って、
ダマしあいで成りたつ
弱肉強食の世界なの……?
「実は、そうでもないかも」
岩井さんは、社会の根っこを
経済理論から考えなおしてる!


『会社はこれからどうなるのか』
(岩井克人/平凡社)
ほぼ日 私的利益を追求する資本主義が、
実は、その真ん中に、
「倫理」を含んでいる、
という岩井さんの考えを、
もうすこし、ご説明いただけますか?
岩井 「信任」という言葉が、あります。
信頼によって
ほかの人から、仕事を任されることです。

たとえば、
無意識ではこばれてきた患者がいる。
手術する医者は、患者と契約をむすべません。
患者の命を、信頼によって任されているのです。
そのとき、なにしろ患者は無意識ですから、
怠慢ならば、いい加減な手術でごまかせますし、
悪意があれば、人体実験すらできる。

医者が、自分の利益を抑えて、
患者の利益のみに忠実に、行動しなければ、
誰もおちおち医者にかかれなくなる。

つまり、信任という関係が成立するには、
「倫理性」が要求されるというわけです。

じつは、私の会社論の中核には、
経営者とは、会社にたいして、
この信任の関係にある、

という主張があるのです。

会社は「法人」です。
本当はヒトではないのですが、
法律の上で、ヒトとして扱われているのです。
その会社が契約を結ぶときには、
会社を代表して、交渉したり、
契約書を書いたりする本当のヒトが必要です。
それが「経営者」なのです。

ということは、もしその経営者が
自分の利益のみを追求したら、
巨額のボーナスや退職金などの契約を
会社の名前で、自分と結べてしまいます。
好きなことをしほうだいです。

つまり、会社がまともに動くためには、
経営者が「倫理」的であることを、
要請されているというわけです。

私的利益を追求している資本主義には、
会社の存在が不可欠ですが、
その会社の中核に
「信任」という関係が必然的にあって、
それが「倫理性」を必要とするということになる。


だが、アダム・スミスの教えに忠実に、
会社の中核に「倫理」があることを
無視してしまったのが、
最近のアメリカ型の資本主義で、
その必然的な結果が、エンロン事件なのです。

アメリカのエンロン社が、2001年末に
粉飾決算の発覚をきっかけとした
大型倒産をし、2002年にも
有名会社の粉飾決算がつぎつぎと発覚しました。

じつはわたしは、
この本を作っている最中の2001年の夏に、
すでに、それを予測してたんです。

「アメリカ型の
 コーポレート・ガバナンス(会社統治機構)
 には、本質的な矛盾が含まれているから、
 かならず何らかの不祥事が起きるはずです」と。

でも、忙しくて、
本を作るのに手間取っているあいだに
不祥事が起きてしまったのですから、
予言にもなりません。そこは書き換えました。

実は、いまは、会社の信任についての
一般理論を作れないかなぁと、
それをやりはじめたところです。
まぁ、学部長(東大経済学部)に
させられなければ、
もっとはやくやれたのですけどね。

このテーマは、おもしろいです。

資本主義における基本的な関係というのは、
ふつうは、「契約関係」とされています。

「自立した、
 合理的計算のできる人間が、
 お互い、自分の利益に
 プラスになれば契約を結ぶ」

契約の関係の中では、失敗しても成功しても、
どちらにしても、自己責任の問題になる。

ところが、資本主義の中には、
実は、会社の中だけじゃなくて、
先ほどの医者と患者の関係のように、
いたるところで「信任」の関係が
本質的な役割を果たしていることに
いまさらながら気がついたのです。
ほぼ日 おもしろい話です。
「信任」について岩井さんが研究をしていく
その過程について、話していただけますか?
岩井 わたしがいまやっているのは、
「信任と契約には、
 どこに根本的な違いがあるか?」

ということを理論化することが、
まず、ありますね。

それから、信任と契約の関係は、
従来の経済学だと、契約が主で、
信任は、あってもせいぜい付属物でした。
しかしわたしはいま、
それを等しく重要な関係だと考えています。

実はもっと言えば、わたしは、
「市民社会っていうのは
 信任関係が
 いちばん基礎にあるのではないか?」

そういう仮説を、立てているんですよ。

いままでの市民社会論は、
だいたい契約関係から入るんだけど、
実は、そうじゃないと考えています。
市民社会の基本は、
人と人の間の信任の関係であって、
その中で、対等な人と人との関係が
契約関係になるというかたちで、
市民社会の新しい規定ができるんじゃないか、

という、それがちょっといま、
長期的にやってみようかなという問題です。

会社の話をきっかけに、
信任の問題に入っていって、たぶん
市民社会論の問題につながっていく……。

いま
「グローバル資本主義が
 世界を覆い尽くしている」という時に、
唯一、それに対抗できるのが、
いま述べたようなかたちで理解された、
「市民社会」の概念なのではないでしょうか。

この場合の市民社会とは、
カントの倫理論を基礎にしていますけど。
つまり、倫理とは、基本的には
「ほかの人間を、
 自分のための手段として扱わない」
という非常に抽象的な原理ですね。

資本主義とは、
「おカネさえ持っていれば、
 相手がどんな人間かさえ問わない」
という、
ものすごい抽象的なシステムですよね。
だから世界性をもつ。

それには、地域社会ネットワークや
共同体的な連帯では、とうてい対抗できません。
わたしとしては、
資本主義と同じぐらい抽象的な原理として、
唯一あるのが、
いま述べた市民社会だと考えています。

この市民社会の原理は、
たとえばNPOとかNGOとかとも
深い関係がありますが……。
ただ、いまのままのNPOやNGOでは、
「グローバル資本主義に反対する」
と言っているだけに留まっていますよね。

何と言っても、
今のところは時間がないんですが、
あと半年で学部長を辞めることになりますから、
そこからはまた、図書館通いとかをして、
時間をかけて、市民社会論を
じっくりやるより仕方がないと。
ほぼ日 時間がないのは、
この単行本の執筆もだったと思いますが、
この本で、
もうちょっとあそこはこうしたかった、
ということがあれば、それは、どこですか?
岩井 やっぱり後半の部分。
資本主義論のところは、
もう少し時間をかけたら、
もうちょっと、整理しなおせたかなぁ、
と思ってますけどもね。
ほぼ日 そうなってくると、
いまやっている「信任」まで含めた、
ものすごい大部な本ができちゃいそうですね。
岩井 それだと、
この本は、すでに出版が1年半遅れたのに、
また余計に、時間かかかっちゃう!(笑)
  (※あなたは、どのようなことを思いながら、
  今回の原稿を、読みましたか?
  次回の最終回も、どうぞ、おたのしみに……。
  「差異が利潤を生む」という話が展開するよ!)



もくじ
  第1回  悩みは無知から生まれる
  第2回  成功を約束されていたけれど
  第3回  違和感が発見をきりひらく
  第4回  会社は株主のものではない
  第5回  「信任」こそ社会の中心
  第6回 差異だけが利潤を生む

2003-04-22-TUE


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