会社はこれからどうなるのか?
「むつかしかったはず」の岩井克人さんの新刊。
『会社はこれからどうなるのか』(岩井克人/平凡社)
これは、いま読むべき、とても重要な本だと思います。
経済学のプロ中のプロが持っている重要な知識を、
1冊で「素人の知識」として受け取ることができるから。

「会社」を経営する人も、「会社」で働いている人も、
「会社」からモノやサービスを買う人も、
「会社」って何で、「会社」をどうしたいのか、
どうつきあっていくか、考えてもいい時期だと思うのです。

あまりにもおもしろい本だったので、
岩井克人さんに、興奮気味に、いろいろ訊いてきましたよ!
インタビュアーは、「ほぼ日」スタッフの木村俊介です。

第3回 違和感が発見をきりひらく


『会社はこれからどうなるのか』
(岩井克人/平凡社)

自分のいまいる環境に
違和感や疑問を抱いた時こそ、
実は、チャンスが見つかる…?
岩井さん、今日も熱いですよ!
ほぼ日 主流派から離れる危険を冒して
7年かけて理論書を書いた経験のある
岩井さんのお話を伺うと、読者としては、
「そういう経緯を経た人が
 一般の人が最も悩んでいるものについて
 強い動機を持って、書いたんだなぁ」
と感じると思うんです。

ですので、若いころのお話もうかがって、
いま、「ますますおもしろいなぁ」と思いました。

生物学かなんかの世界では、
むしろ、一流の学者ほど、
一般の人向けの偉大な著作を、書きますよね。
岩井 スティーブン・J・グールドなどは、
わたしも大ファンで。
『パンダの親指』は、
エッセイのネタに使ったこともあります。
ほぼ日 岩井さんが、若いころに、
アメリカの経済学の主流派と
対立したとしてもやりとげたかった
「偉大な著作を書きたい」という気持ちは、
いまでも、つづいていますか?
岩井 それが、わたしの
学者としての生き甲斐ですから。
ほぼ日 ……おぉ!
岩井 7年かけて本を書いた時の補足ですが、
当時のわたしは、もちろん、
「偉大な著作を書きたい」
とも思っていたわけですが、その背景には、
主流派の経済学の「資本主義万歳」という
姿勢への違和感がありました。


人間が、市場のなかで、
自分の利益さえ追求していれば
それこそ、神の見えざる手に導かれるように
すべては、よい状態になるという、
アダム・スミス的な世界の捉えかたです。

「存在するものは、すべてよい」という、
そういうスタンスで、資本主義を見ていますよね。

しかし、たとえば、アメリカにいる
わたしのような日本人というのは、
「すべてよい」の中に、
入っていない場合もある。

どうふるまっていても、外部の存在なわけです。

存在するものは、すべてよい?
……じゃあ、
わたしの存在は、なんなのだろう?

そういう違和感は、毎日アメリカ人と
接する中では、どうしても出てきました。

わたし自身は、もっともアメリカ的な
経済学を学んで、そこで博士号を取り、
その経済学をアメリカの学生に
教える立場にさえいたわけですが、
「やはりこれは、我々の生きている
 現実の資本主義社会を捉えきっていない」
という意識は、常に持っていました。

その違和感を、
なんとか理論化したい。

そういう強い思いが、
わたしの動機にあったのだと思います。

マルクスだったり、
ケインズ、ハイエクといった
そういう人たちの過去の歩みにも導かれて、
いろいろヒントを受けていました。
そのヒントをもとに、
なんとか、自分なりの理論を生みだしたい……。

そんな中で生まれた『不均衡動学』は、
「主流派理論の枠組みのなかで
 その理論を主流派以上に徹底的に追及すると、
 主流派経済学の前提が壊れてしまう」

という、戦略的な理論の立て方をしました。

今から思うと、
のちに日本に帰って
いろいろ思想的なことをやった時に、
自分の『不均衡動学』の理論とは
当時のフランスの脱構築派だとか、
ああいう人たちがやっていたことと

同じようなことをやっていたのだということを、
あとで、気がついたんです。

自分はすでにそういう論法で
主流派の経済学を見つめなおしていたので、
当時フロンティアとされていた
フランスの思想の流れは、
とてもよくわかりましたね。

「内部から徹底的にものごとを追及していくと、
 それが結果的に理論そのものをひっくりかえす」
という手法については、
『会社はこれからどうなるのか』でも
利用しています。

……ところで、
いま、わたしが話してること、
「ほぼ日」で書いて、よろこばれるの?
ほぼ日 読者の方々は、きっと、
おもしろがって読んでくださると思います。

「ほぼ日」って、だいたい、
20代や30代の仕事や勉強に一所懸命な人たちが
読んでくださっている、という印象があるんです。

ですから、分野は違えど、
「ひとつの仕事を極めた結果、
 ある分岐点を迎えた」とか、
「そうとうがんばっている途中で、
 自分のいる組織そのものに疑問を感じた」
とか、そういう岩井さんの経験は、
かなり、共感されるんじゃないでしょうか。

岩井さんは、その後、日本に行く……?
岩井 ええ。
『不均衡動学』を書いたあとは、
それに連なる仕事を、
論文を量産するプレッシャーのない中で、
じっくりやっていこうと思って
日本に戻ってきました。

いちばん重要だと思っている
テーマについて、細々と論文を書いて、
たまに外国の雑誌に出したりするという、
そういうスタンスの研究活動になったんですね。

言語的にも、アメリカの中では
日常生活での言葉以上のことは
自由に語れなかったのですが、
いや、日常生活ですら
言葉が不自由であったのですが、
日本の中では、
自分の中で蓄積された哲学的な問題を、
言語的に、自由に話せるわけでしょう?

哲学と言っても、常に、経済との関連で
わたしは語ってきましたが、
そういうことも、やってきています。

そんなうちに、
1980年代の後半に
わたしの妻……今は小説家ですが、
彼女の書いた批評理論の論文が
アメリカの英文学者に読まれて、
それをきっかけに、
プリンストン大学によばれたんです。

それじゃあ、ついていくか、ということで、
わたしもアメリカに行くことにしました。
ま、いわゆる夫唱婦随の逆転ですね。
……単に、ついていったんです(笑)。
ほぼ日 その、2回目のアメリカについての話も、
おもしろそうですね。

最初に行った時は、それはもう若いし
野心もあるし攻撃的でもあるし……
やってやろうっていう時期。
岩井 もちろんその気持ちは、
若い時、ものすごくありましたね。
ほぼ日 でも、それとはまた違うスタンスで、
2回目のアメリカ生活がはじまるわけで、
そのふたつの生活の違いに興味があります。
岩井 そうですね。
はじめに学者になった時は、ある意味、
すぐに論文を書け、就職できちゃったので、
「これをずっと続けては
 人生つまんないだろうなぁ」と思いました。

わたしのまわりで、
論文を量産していた人たちは、
アメリカの経済学の世界のみならず、
アメリカ政府の中でも活躍していますけれど。

……自分は、そういう道へは行かなかった。
まぁ、それは、しょうがない。

2回目、妻についていった時、
わたしが向こうで客員教授になるために、
いちばんラクなのは、日本経済を教えることでした。
そこでわたしは、
プリンストン大学とペンシルバニア大学で
日本経済担当の客員教授になりました。
学部生に、マクロ経済学なども
教えさせられましたが。
ほぼ日 奥さんについていくというお話をする時、
岩井さん、顔が、とてもうれしそうですね。
岩井 (笑)

わたしの仕事は、日本経済というものを、
アメリカ人に教えるということで、
ですから、にわか勉強をしました。
その過程で、日本の会社というものが、
いかにおもしろい存在か
ということに
行きあたったんです。

そこからは、法人論というものを
ほんとに勉強してみると、
自分が日本の会社の特徴を説明するために
考え出した理論が、どうやら、
法理論研究の歴史のなかでも、
あたらしいらしい。

そういうことに、気づきました。
  (※次回も気合いが入っていますよ。
  近日中の更新を、おたのしみに!)



もくじ
  第1回  悩みは無知から生まれる
  第2回  成功を約束されていたけれど
  第3回  違和感が発見をきりひらく
  第4回  会社は株主のものではない
  第5回  「信任」こそ社会の中心
  第6回 差異だけが利潤を生む

2003-04-18-FRI


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