- わたし
-
じゃあ小山内が思う「やさしい」人って
どういう人だと思う?
- 小山内
-
それこそ、厳しいこともきちんと言えるけど、
ちゃんとフォローもする人じゃない?
- わたし
-
ああ、さっき話してた
小山内とわたしの生きやすさの両立みたいなこと?
- 小山内
-
うーん、いや、例えば、
仕事で何か試作品を作るとして、
自分でもまだまだだなって思うものも、
チェックとかしてもらわなくちゃ
いけないこととかがあって。
その時に「これでもいいんじゃない?」って言われると、
「う〜ん」っていう気持ちになるのね。
わたしが頑張ってきた過程もその人たちは見てきてるから、
「これでもいいんじゃない?」っていうのは
わたしに対する「やさしさ」ではないと思っていて、
そこで何時間もかけて、試行錯誤してるのも知ってるけど、
「これじゃダメだよ」とか
「もっと他にも選択肢があるはずだし、
小山内だったらそれができるはずだから、
もっと時間を費やして自分を鍛えろ」
って言ってくれる人の方が、いい。
それはその人とわたしの間に、「これから」があるってことだから。
この人と長く付き合いたくないな
っていう人に対しては、適当に言ったりするじゃん?
可愛くないのに可愛いっていうし、
間違ってるのに間違ってないよって言う。
でもそこを適当に言ってしまうと、後々まためんどくさいから、
ちゃんと、ダメなところはダメだって言って、
その上で、「長期的にこの関係は続くからよろしくね」
って言ってくれるような「やさしさ」の方がいいよね。
逆にかもちゃんが思う「やさしさ」って何なの?
- わたし
-
うーん、わたしも小山内と同じで、
長い目で考えられるものが優しさだと思ってるよ。
わたし自身は結構その場しのぎの「やさしさ」が多いんだけど、
それって、ただの自己満足だな、って最近思う。
求められてるものを与えられたら、次もまた求められるじゃん。
それをわかってて「自分が求められてる」っていう
承認欲求みたいなものが欲しくてやってるような気がして。
それって本来は誰かに対する「やさしさ」のはずだけど、
結局は自分のためになってしまっていて、
それはエゴな気がするし、
それによって一時的に救われる人もいるかもしれないけど、
少なくとも為にはならないな、と思って。
- 小山内
-
でもそれで、かもちゃんが自分の存在意義を問えるなら
わたしはそれでいいと思うよ。
「やさしい」って何なんだろう。
ちょっと話が変わるかもしれないんだけど、
わたしは自分が厳しいことを言うときって、
相手を批判してるわけじゃなくて、
ディスカッションがしたいんだよね。
だから、ディスカッションを批判だと
捉えてしまう人からしたら多分きついけど、
ディスカッションをディスカッションだと思える人とは、
うまくやっていけるんだと思う。
- わたし
-
たしかに、その相手って人を選びそうだよね。
どういう人ならできるんだろう。
- 小山内
-
やっぱりディスカッションができる人って論点がブレないと思う。
批判って、例えば、この人のタバコを吸うところが嫌い、
っていう話から、この人の格好が嫌いとか、
この人の呼気が臭い、みたいな
根本と関係のない具体的な話になっちゃうんだけど、
ディスカッションをするときって、
そもそも、タバコを吸うことって
どういうメリットとデメリットがあって、
それを踏まえた上でなぜ吸うのか、って考えるのが
大切じゃないかなって思ってる。
- わたし
-
たしかに。一つのポイントに留まり続けて、
深掘りできる人ならディスカッションができる。
- 小山内
-
そう、目的は言い争うことじゃなくて
その問題を解決することだってわかってるから、
そこからブレない。
- わたし
-
相手を信頼してるから
そういうディスカッションができるのかな?
- 小山内
-
どうなんだろう、信頼なのかな‥‥?
多分、批判をされてきた人だからなんじゃないかな。
人として、自分が叩かれることも、
自分が人を叩くこともあって
それで誰かを傷つけたことも、もちろんあって、
「自分って何やってるんだろう」って一周回って考えた人、
一周も二周も三周も回って考えて、
その上で、これでいるって決めた人な気がする。
わたしはなんかその、かっこいいことを言うわけじゃなくて、
自分の中でその事象について、
一周も二周も三周も四周も五周も、何周もして考えを巡らせて、
その答えをプレゼントできる人が「やさしい」人だと思う。
一周だけして、
「この人はここで落ち込んでるから
こう言っておけばいいや」って答えを出す人と、
一周目で
「ああこの人はこういうことが言って欲しいんだろうな」
って思って、
二周目で
「あれ、でもこれに今『うん』って言っちゃったら
わたしのためにもならないし、この人のためにもなんないよな」
って考えて、
三周目で言おうか言わまいか迷って、
四周目でやっぱり
「言ったほうがいいな、でも相手が傷つかないかな」って考えて、
五周目でようやく言えるような人の方が
わたしは「やさしい」と思う。
- わたし
-
それはそうだね‥‥。
「やさしさ」だと思う。
なんだろう、それって考えた深さなのかな。
- 小山内
-
そうだね。
それかその人とか問題に対して
どれくらいの時間を割いたかじゃない?
時間のかけ方もあるのかもしれないけど。
その人の問題を全力で解決しようといろんなことを考えて、
時には厳しいこともちゃんと言わなきゃって思うかな。
- わたし
-
なるほど‥‥。
いかにその人に真摯に向き合う
時間を持つか、ってことが大切なのかな。
(つづきます。)