もくじ
第1回「やさしい人 」ランキング1位のわたし。 2019-03-19-Tue
第2回本当はわたし、「やさしく」なかった。 2019-03-19-Tue
第3回正反対の考え方。 2019-03-19-Tue
第4回「やさしさ」ってなんだと思う? 2019-03-19-Tue
第5回「やさしく」あるために。 2019-03-19-Tue

1993年生まれ、愛知県出身の獅子座です。みんなで食べるおいしいごはんとたのしいお酒の席が生きがいです。下の名前は「ながこ」と読みます。

「やさしさ」ってなんだろう。

「やさしさ」ってなんだろう。

担当・溝部暢子

第4回 「やさしさ」ってなんだと思う?

わたし
じゃあ小山内が思う「やさしい」人って
どういう人だと思う?
小山内
それこそ、厳しいこともきちんと言えるけど、
ちゃんとフォローもする人じゃない?
わたし
ああ、さっき話してた
小山内とわたしの生きやすさの両立みたいなこと?
小山内
うーん、いや、例えば、
仕事で何か試作品を作るとして、
自分でもまだまだだなって思うものも、
チェックとかしてもらわなくちゃ
いけないこととかがあって。
その時に「これでもいいんじゃない?」って言われると、
「う〜ん」っていう気持ちになるのね。
 
わたしが頑張ってきた過程もその人たちは見てきてるから、
「これでもいいんじゃない?」っていうのは
わたしに対する「やさしさ」ではないと思っていて、
そこで何時間もかけて、試行錯誤してるのも知ってるけど、
「これじゃダメだよ」とか
「もっと他にも選択肢があるはずだし、
小山内だったらそれができるはずだから、
もっと時間を費やして自分を鍛えろ」
って言ってくれる人の方が、いい。
それはその人とわたしの間に、「これから」があるってことだから。
 
この人と長く付き合いたくないな
っていう人に対しては、適当に言ったりするじゃん?
可愛くないのに可愛いっていうし、
間違ってるのに間違ってないよって言う。
でもそこを適当に言ってしまうと、後々まためんどくさいから、
ちゃんと、ダメなところはダメだって言って、
その上で、「長期的にこの関係は続くからよろしくね」
って言ってくれるような「やさしさ」の方がいいよね。
 
逆にかもちゃんが思う「やさしさ」って何なの?
わたし
うーん、わたしも小山内と同じで、
長い目で考えられるものが優しさだと思ってるよ。
わたし自身は結構その場しのぎの「やさしさ」が多いんだけど、
それって、ただの自己満足だな、って最近思う。
求められてるものを与えられたら、次もまた求められるじゃん。
それをわかってて「自分が求められてる」っていう
承認欲求みたいなものが欲しくてやってるような気がして。
 
それって本来は誰かに対する「やさしさ」のはずだけど、
結局は自分のためになってしまっていて、
それはエゴな気がするし、
それによって一時的に救われる人もいるかもしれないけど、
少なくとも為にはならないな、と思って。
小山内
でもそれで、かもちゃんが自分の存在意義を問えるなら
わたしはそれでいいと思うよ。
 
「やさしい」って何なんだろう。
ちょっと話が変わるかもしれないんだけど、
わたしは自分が厳しいことを言うときって、
相手を批判してるわけじゃなくて、
ディスカッションがしたいんだよね。
だから、ディスカッションを批判だと
捉えてしまう人からしたら多分きついけど、
ディスカッションをディスカッションだと思える人とは、
うまくやっていけるんだと思う。
わたし
たしかに、その相手って人を選びそうだよね。
どういう人ならできるんだろう。
小山内
やっぱりディスカッションができる人って論点がブレないと思う。
批判って、例えば、この人のタバコを吸うところが嫌い、
っていう話から、この人の格好が嫌いとか、
この人の呼気が臭い、みたいな
根本と関係のない具体的な話になっちゃうんだけど、
ディスカッションをするときって、
そもそも、タバコを吸うことって
どういうメリットとデメリットがあって、
それを踏まえた上でなぜ吸うのか、って考えるのが
大切じゃないかなって思ってる。
わたし
たしかに。一つのポイントに留まり続けて、
深掘りできる人ならディスカッションができる。
小山内
そう、目的は言い争うことじゃなくて
その問題を解決することだってわかってるから、
そこからブレない。
わたし
相手を信頼してるから
そういうディスカッションができるのかな?
小山内
どうなんだろう、信頼なのかな‥‥?
多分、批判をされてきた人だからなんじゃないかな。
 
人として、自分が叩かれることも、
自分が人を叩くこともあって
それで誰かを傷つけたことも、もちろんあって、
「自分って何やってるんだろう」って一周回って考えた人、
一周も二周も三周も回って考えて、
その上で、これでいるって決めた人な気がする。
 
わたしはなんかその、かっこいいことを言うわけじゃなくて、
自分の中でその事象について、
一周も二周も三周も四周も五周も、何周もして考えを巡らせて、
その答えをプレゼントできる人が「やさしい」人だと思う。
 
一周だけして、
「この人はここで落ち込んでるから
 こう言っておけばいいや」って答えを出す人と、
一周目で
「ああこの人はこういうことが言って欲しいんだろうな」
って思って、
二周目で
「あれ、でもこれに今『うん』って言っちゃったら
 わたしのためにもならないし、この人のためにもなんないよな」
って考えて、
三周目で言おうか言わまいか迷って、
四周目でやっぱり
「言ったほうがいいな、でも相手が傷つかないかな」って考えて、
五周目でようやく言えるような人の方が
わたしは「やさしい」と思う。
わたし
それはそうだね‥‥。
「やさしさ」だと思う。
なんだろう、それって考えた深さなのかな。
小山内
そうだね。
それかその人とか問題に対して
どれくらいの時間を割いたかじゃない?
時間のかけ方もあるのかもしれないけど。
その人の問題を全力で解決しようといろんなことを考えて、
時には厳しいこともちゃんと言わなきゃって思うかな。
わたし
なるほど‥‥。
いかにその人に真摯に向き合う
時間を持つか、ってことが大切なのかな。

(つづきます。)

第5回 「やさしく」あるために。