日本に帰国し、大学を卒業した僕は、
東京で働きはじめた。仕事は忙しくて、
なかなか余裕がなかったけれど、
年に1回は、休みをつくって旅に出かけた。
インドのムンバイ、ポルトガルのリスボン、
アメリカのシアトルなど、それぞれ匂いの違う、
たくさんの国を訪れ、トランジット(乗り換え)では、
ドバイや、韓国の仁川空港にも立ち寄った。
東アジアのハブとも言われる仁川空港は広大で、
5時間トランジットの時間があるのをいいことに
空港内で温泉に入るわ、ビールは飲むわで、
あやうく航空券を紛失しかけて、
慌てたこともあったり(苦笑)。
何事も、慣れというのはおそろしい。
けれど、空港のターミナルに行き交う
たくさんの人の背中を眺めながら、
少し美化された過去の記憶を思い出す、
そんな時間が僕は好きだった。
空港でのそんな時間が、僕の心の充電となり、
次なる挑戦に向けた後押しをしてくれたり、
大切な人の存在を再確認させてくれたりもした。
そんな僕に転機がやってきたのは、
東京で働きはじめて4年近く過ぎたころだった。
ご縁があって、島根県の隠岐諸島にある
海士町という小さな町に、仕事と暮らしの
拠点を移すことになったのである。
当時、僕には好きな人がいた。
馬がとても合うという感じではなかったけれど、
自分にはないものをたくさん持っている人だった。
その人も、たまたま空港という場所が好きで、
トム・ハンクス主演の「ターミナル」という
空港を舞台にした映画の話や、
ANAの機内誌「翼の王国」に連載されている
作家の吉田修一さんの旅エッセイがいいよね、
という話で、盛り上がったこともあった。
そして、東京を離れる少し前だった気がするが、
僕らは特に用もないのに、どちらからともなく
羽田空港に行こうという話になった。
京急に乗って、品川から羽田空港の国際線
ターミナルに向かい、屋外デッキで飛行機を眺めながら、
僕らはコーヒーを飲んで、とりとめもない話をした。
冬のデッキは寒かったけれど、その日は快晴で、
空港の夕日は、とても綺麗だった記憶がある。
そして僕は島に移住し、彼女は東京に残った。
それから1年くらいが過ぎたころ、
彼女から「結婚することになったんだ」
という知らせが島に届いた。
少し驚きはあったけれど、僕は、
ごく自然にその知らせを受け止めた(気がする)。
でも、その日は何だか久しぶりに羽田空港に
行きたいなあという気持ちになっていた。
(おわり)

