もくじ
第1回空の色合い 2019-02-26-Tue
第2回離婚、そして外国 2019-02-26-Tue
第3回本当のところ 2019-02-26-Tue
第4回おまけの美味しい写真 2019-02-26-Tue

駆け出しの漫画原作者。連載目指して奮闘中。一人トキワ荘から脱出なるか?

私の好きなもの</br>カフェで珈琲と甘いもの

私の好きなもの
カフェで珈琲と甘いもの

担当・セキアトム

第3回 本当のところ

私は、広尾に住んでいる。
しかしながら、いわゆる広尾のイメージからは程遠い。
向かいの家からは朝10時に三味線の音が聞こえてきて、
窓を開ければ日向ぼっこをしている野良猫と目が合う。
家の前の通りからは、銭湯の煙突が見えて、
夜には桶を抱えた人とすれ違う。
そして私の家は、築44年の木造アパート。
台所の窓は磨りガラスで、それが桜の模様なのが可愛い。
 
ここに住むことになったのは、
働いていたシチリア料理屋の近くだったから。
そのお店は、東京の大人たちが夜な夜な集う人気店だった。
実は私、一度求人に応募して、フラれている。
返事がこなかったのだ。
「仕方ないなあ、もう年だしなあ」
そのころ寒い寒い冬の松本にいた私は思った。
 
春のある日、私はパリから帰国した友人と、東京で会うことになった。
そして、せっかくだからと、
彼女は私の憧れだったそのお店に行こうと言ってくれた。
 
雑誌で見たとおりの店内(当たり前だ)。
阿部寛顔負けの濃ゆい顔立ちのカメリエールがオーナー。
彼が店の雰囲気をつくり、それにお客さんが応える。
料理と会話が、次々と笑顔を咲かせていくのを目の当たりにし、
私は感動して、ここで働きたいと強く思った。
「私、直談判してみる」
思い切って、阿部寛に話しかけた。
彼は自家製のリモンチェッロをグラスに注ぐ手を止めて言った。
寛「ああ!あの時、パソコンが壊れてて!」
私(は?!)
寛「いいよ、働いてよ!ちょうど、今度隣にカフェをつくるから、人を探してて!履歴書持ってきてよ!」
私は、東京で仕事を見つけた。
 
あれから4年。
その場所は、今はカフェではなく、シチリア料理屋の離れになっている。
カフェとしての営業期間は決して長くなかった。
あの計画があのタイミングでなかったから、
私は雇ってもらえなかっただろう。
「カフェに呼ばれた」といえば、大げさだと思うが、
こうして時間を辿っていくと、カフェとの縁の深さに驚く。
カフェがなければ、今の私はいなかった。それは事実だ。
 
私は憧れのお店で、尊敬するオーナーと、
ずっと年下のスタッフと、全力で楽しく働いていた。
しかし人の体は、どうしたって死に向かう。
私は20代の頃のように若くなかった。
オーナーの阿部寛(仮)を見習って、
私はいつもテンションのギアを5段階あげて接客をしていたが、
日に日にやつれていき、お客さんに心配されるほどだった。
 
そんなある日、あるお客さんにワインの説明をしているうちに、
なぜだか人生の話になった。
「私、小説家になりたかったんですよ!」(ギアレベル4)
「そうなんだ。じゃあ、書いてみたら?漫画の原作」
「え?・・・書きます!!」(ギアレベル5)
9割勢いだった気がするが、1割は本気だった。
その1割は、ゼロにならず、
これをきっかけに、私は漫画原作者の道を歩み始める。
そのお客さんは、漫画の編集者だったのだ。 
 
原作者とは、漫画のストーリーを作る人。
映画にもなった『BAKUMAN』で、
その存在を知っている人もいるかもしれない。
『あしたのジョー』や『北斗の拳』も、
原作者と作画家がいる漫画で、実は昔から取られてきた手法でもある。
しかしながら、実は私は漫画をほとんど読んでこなかった。
それに原作がどういう体裁なのかも、全く知らない。
 
しかし、書き始めた。
書き始めたら、止まらなかった。
楽しくて楽しくて、仕方がなかった。
大学生の頃、あんなに書きあぐねていたのはなんだったのだろう。
シナリオの形式が、合っていたのかもしれない。
書いたら、読んでくれる人がいるというのもよかったのだろう。
じゃんじゃん書いては、送りつけた。
迷惑かもと思うより、創作の喜びの方がまさっていた。
 
そのうちの一つの話が、ある有名な漫画家の目に留まり、
あっという間に商業誌でデビューした。
それはなんと、アンケートで2位をとった。
 
「私、天才?」・・・んなわけないのである。
偉大な勘違いから、2年。
書いてはボツの連続。途中まで進んだ企画も、結局ダメになった。
 
大学生の頃、私は何者かになりたかった。
妻という肩書きを手に入れた時、私は小説を書かなくなった。
今、私は、何者かではなく、肩書きがほしいわけでもなく、
漫画原作者になりたい。
ちゃんとなりたい。
だから、不安でも、お金がなくても、心が折れても、
とにかく書きつづけている。
 
根気よく私に付き合ってくれている、
信頼する担当編集者に、
この文章を書く前にぽろっと話をした。
「私の好きなもの」という題材で
エッセイを書くんです、カフェにしようと思って。
すると彼は、
そういうのはさ、人生をかけたものの方がいいんじゃない?
と、言った。
私は、本気で書けってことかな、とぼんやり思ったのだったが、
結果、予想外に人生をかけたエッセイになってしまった。
暑苦しいし、なにせ長い・・・
 
でも、それでよかったと思う。
だって、命だか、魂だか、言い方はいろいろあると思うが、
そういうものを差し出さなければ、人の心に届くものなど作れない。
たくさんのボツをもらってきた今の私は、本当にそう思う。 
 
「自分を守りたい」って思っていたら、思いっきり生きられないのだ。
 
本当の自分は、年収でも、才能でも、若さでも、美醜でも測れない。
それはきっと、体の内側でキラキラ輝いている核のような何かだ。
貧乏だからとか、あいつは使えないとか、
おばさんのくせにとか、ブサイクが調子に乗ってとか、
そんな言葉に傷つく必要はない。
 
そういうもやっとした感情や感想は、
人間の自然な反応で、そう思うことで人は自分を守っている。
だけど、私はそれに支配されたくない。
その心の作用、反作用につられて、
誰かを攻撃することも、傷つく必要もない。
本当に守るべき自分の本心を、自分がわかっていることが大事。
 
だから、まあ、否定されたり、
バカにされたりすることを恐れて、守りに入るのではなく、
私はえいやっと自分の本当のところをぶちまけることにした。
そうしていくことが、作家として生きていくことのような気がする。
 
もし、大学生の私が、
スタバでキーボードをたたく今の私をみたら、
仕事しているのかな、なんだかいいな、と思うかもしれない。
 
いやいや、いろいろとギリギリなんですよ。
キャラがたってないとか、セリフが説教くさいとか、
ダメ出しばかりで、なかなかな毎日なんだよ。
 
だけどね、と、
あの頃の、不安ばかりだった自分に言ってやろう。
 
今が一番幸せだよ、と。

これから、君もいろいろあるんだけどさ、
なんとかなるもんだよ。
君は意外とたくましくて、
世界にはカフェがあるんだから。
 
誰かにとっての、小説や、ペットや、バーのような、
私にとってのカフェのような、
大切な何かに、私の書く物語もなれたら、最高だな、と思う。
 
原チャリで転んだ時に、
たまたま車が後ろにいなくて、生き長らえた命だ。
その幸運に感謝して、私はこれからも、
何かを削りながら、書いていこうと思う。生きようと思う。

いつか素敵な絵とともに漫画になって、
誰かの手に届くことを夢見て、
明日も私はカフェに行き、パソコンを開くのだ。

第4回 おまけの美味しい写真