もくじ
第1回空の色合い 2019-02-26-Tue
第2回離婚、そして外国 2019-02-26-Tue
第3回本当のところ 2019-02-26-Tue
第4回おまけの美味しい写真 2019-02-26-Tue

駆け出しの漫画原作者。連載目指して奮闘中。一人トキワ荘から脱出なるか?

私の好きなもの</br>カフェで珈琲と甘いもの

私の好きなもの
カフェで珈琲と甘いもの

担当・セキアトム

私、「セキアトム」は駆け出しの漫画原作者です。
駆け出しの、と言うのがミソで、
2年ほど前に、読み切り作品でデビューして以来、
次の掲載を勝ち取れず、未だ修行中。

これはカフェとともに歩んで来た、けっこうしょっぱい人生のおはなし。
しかも3部作&おまけ付き(長いな!)。

自分が何者未満すぎて恐縮なのですが、読んでいただけたらうれしいです。
コーヒーのおともに、よろしければ、お付き合いくださいませ。

第1回 空の色合い

私は何度か「死ぬ・・・」と思ったことがある。
印象深かったのは、大学卒業後に就職した、
カフェで働いていたときのことだ。
そのカフェは、今で言ういわゆるブラック企業だった。

営業時間は11時から深夜まで。
あろうことか金、土、休前日は29時、つまり朝5時までであった。
今はどうなっているのかな、と調べてみたら、23時閉店に変わっていた。
良かった。時は経った。
 
当時、私はとにかく眠かった。
何もわからない新入社員なのに、なぜか店長代理という、
責任のあるポジションにぶち込まれた私。
「店のことを把握するためには、とりあえず店にいないとね」
その本社社員の一言で、金、土、休前日は、
朝10時から、クローズ作業が長引けば翌朝7時、8時まで、
店にいなければならなかった。
 
オープンしたのは4月。ひと月後にはGWがある。
その間は毎日朝5時まで。狂気の沙汰だ。
その頃のカフェ周辺は異常なほどの人気スポットだった。
お店の前の行列はまったく途切れない。
つまり、ずっと満席。ずーっと忙しい。
全力疾走でマラソンをしているような毎日。トイレにさえ行けない。
 
それはある日のこと。
明け方の国道一号線。
夜はひっそり去りゆこうとし、
車道を照らす街灯が、薄明の中でまたたいていた。
 
電車がある時間に帰れないので、
原動機付き自転車(通称原チャリ)で通勤していた私は、
運転しながら、寝た。
 
頰に風を感じ、
通りすぎるタクシーの気配を感じながら、
あと少し、あと少しで家に帰れる、と自分を鼓舞しながら、
寝ていた。
 
原チャリを運転しながら寝るとどうなるか? 
転ぶのである。
 
転んでやっと、目が覚めた。
あんなに眠かったのに、目が覚めた。

私、原チャリに乗りながら、寝た?
 
アスファルトに打ち付けた体が痛い。
意識はちゃんとある。体も動かせそう。
この感じは、重傷ではなさそうだ。
体を起こし、鋭い痛みに右腕を見ると、
擦りむいた皮膚からどんどん血が滲み出してきた。
 
混乱しつつも、状況を把握し始めて、
私は、後ろに車がいなかったことに感謝した。
 
何してくれてんだよ、とばかりに、
ブルルルルルと不快なエンジン音をたて、
原チャリは道路の真ん中に横たわっていた。
 
それを見ながら、私は思った。
このままでは死ぬ、と。
 
あの、すみません。
読んでくださっている皆さんの頭に、
そろそろ「?」が浮かんでいるかも・・・
あれ?これ好きなものの話だよね?
そうです。
私はカフェが好きです。
 
少し時間を遡りましょう。
 
高校生の頃、私は小説家になりたいと思っていた。
しかし、大学生になっても、
たったの一作品も、書ききることができないでいた。
少し前に父親を亡くし、
巻き込まれ体質の弟は問題を起こし、
母親と二人暮らしの私は、平凡な悩める大学生。
 
その頃世間は、カフェブームというものに沸いていた。
 
喫茶店ではなく、カフェ。
私は、定期券を駆使し、渋谷や表参道のカフェに通った。
カプチーノやショコラテや、何語だかわからないスイーツに胸を躍らせた。
  
「カフェでもお酒のみたいじゃん」とか、
「同じ椅子じゃなきゃいけないって誰が決めたんですか?」とか、
既成概念とは違う発想でつくられたカフェが、
イケてる場所だった。
 
こじらせていた私にとって、カフェの自由さや新しさは、
「タブーはタブーじゃない」を、体現したものだった。
それは、あの頃の私にとって、大げさじゃなく、生きる希望だった。
 
就活どうする?という同級生たちの会話を片耳で聞きつつも、
カフェへのあこがれは強くなるばかり。
 
ついに私は就職活動を放棄し、カフェで本気のアルバイトを始めた。
 
現実の飲食業は大変だった。
労働時間は長く、厨房は暑かった。
分煙もなかった時代、
タバコの煙はダクトの下にいる私に襲いかかった。
お客さんには、いろいろな人がいて、
カフェではいろいろなことが起こる。
 
とにかくヘトヘトだったけれど、
今思えば、頭でっかちだった私には、いいリハビリだったのだ。
サニーレタスをちぎらなければ、サラダはできない。
鱗を落とし、三枚に下ろし、
骨を抜かなければ、真鯛はカルパッチョにならない。
卵黄とビネガーに油をゆっくり注ぎ入れながら、
泡立て器を動かさなければマヨネーズはできないし、
生クリームを立てなければ、ガトーショコラは完成しない。
学校とアルバイトで、1週間全ての予定は埋まり、体はかなりきつかった。
だが、あこがれの場所で、
自分にできることが増えていくことが嬉しかった。
私は真面目に働いた。
 
そしてその合間に、なんとか小説を書き上げた。
心酔していた吉本ばななさんのように、
在学中に作家デビューすれば、
就職しなくても面目が立つ、心労の多い母も喜んでくれる。
私は、名前のある何者かになれる、そう思ったのである。
 
その小説は、あっさりと一次選考で落ちた。
就職しなくてOK!という、甘すぎた私の夢はあっさり消えた。
 
かくして、近所のカフェから、
大勢の人で賑わうカフェ(ブラック企業)に場所を移し、
初めに戻る、というわけである。

真夏が過ぎ去り、原チャリを走らせると、
半袖から出た腕に鳥肌が立つようになった頃、
私は再び、運転しながら寝てしまった。
この時も運良く、私の後ろに車はいなかった。
私は「マジで死ぬ・・・」と思い、やっと仕事を辞めることを決意した。
 
カフェの外側にいた頃、カフェは私にとって、あこがれだった。
初めて食べる料理、ごきげんな音楽、
スーツじゃない人たちが遊ぶように働いている。
そこに行けば、何かステキなものがある。
 
カフェの内側に入ったとき、あこがれの世界の裏側を見た。
ブラックカフェの同期は、私より先にバタバタと辞めていった。
「石の上にも3年」とよく言うが、
あのままいたら、3年経つ前に私は死んでいただろう。
 
カフェを辞めたあと、私は長野県の松本市で、
定時で帰れるの仕事に就き、また小説を書き始めた。
打って変わって、のんびりとした職場だった。
カフェで磨いた腕を生かし、お菓子をつくっては持っていった。
そして家に帰ってからは、地味に小説を書き続けた。
 
そんなある日、
パソコンと自分に向き合っていたら、
頭が冴えて、眠れなくなり、そのまま朝を迎えてしまった。
穏やかな日常に、ふとひずみが入った。
 
ベランダに出て空を見上げると、
その色合いに、私は目が離せなかった。
なんだか胸の奥が静かになった。
 
この感じはなんだろう、と
記憶を手繰って、ああ、と思った。
国道一号線の、
黒いアスファルトの先に広がっていた淡い空を、
私は思い出していたのだ。
顔を地面にこすりつけて見上げた、夜と朝のあいだの色。
気を抜いたらすぐに過ぎ去ってしまう瞬間の景色。
あんな時にでも、空はとても美しかった。
 
あの頃を思うと、
戻りたいとはちっとも思わないけど、
ちょっとだけ懐かしい。
毎日が命がけで、今なら疲労で心が荒みそうなのに、
いい人を保ちつづけた若い自分を誇らしく思ったりする。
 
無知だからこそ、頑張れたりするものだ。
元気なうちに、ああいう経験をしておけて、よかった。
 
何かをしておいてよかった、と思えるのは、
多分、今が幸せだからだ。
 
後悔に飲み込まれそうな時は、
後悔しているその「過去」ではなく、
実は「今」が好きじゃないのだと思う。
受験に失敗したとか、運命の人と別れたとか、
その瞬間はこの世の終わりだと思っても、
時が過ぎ「今」を好きになれば、
最低だと思っていた「過去」も、
そんなこともあったと、笑って思い出せる。
その「過去」を経てきた自分を、
「今」を生きる自分を、誇らしく思える。
 
カフェにあこがれて、カフェで死ぬほど働いて、死にかけたけど、
こうして生きている。
命がけの日々で得られたものは、大きい。
二度と同じ生活はしたくないけれど。
 
そして思ったりする。
あの空の色を思い出せることが、人生の面白さなのだと。

第2回 離婚、そして外国