あいつっていうとちょっとかわいそう
かもしれない。
でも、ぼくとあの人の関係を大きく
ゆるがした存在であることは間違いない。
あいつってだれかって?
あの人の家の新しい仲間として迎えられた
犬のDだ。ぼくとは違って、しっぽも動く、
正真正銘の犬である。
ちょっぴりくやしい。
たまにむきになって自分のしっぽを
動かそうとするけど、やっぱりだめみたいだ。
「ぷらいばしー」のこともあるだろうから
本名は一応ふせといてあげる。
ぼくはやっぱり気遣いのできるやつなのだ。
実はあいつの名前もぬふぃーになるところ
だったらしい。
当時のあの人の日記に書いてあった。

ぬふぃーという名を使ってくれてうれしい
と一瞬思ったが、ぼくにとっては大事な名前だ。
簡単に使われちゃあ困る。
でも、そのせいで、ぼくの名前を呼ぶことは
めっきり減った。
あの人が学校から帰ってくると、
真っ先に向かうのはぼくではなくて、
あいつだ。
あの人に悲しいことがあって泣いているとき、
寄り添っているのは、やっぱりあいつだ。
一気にこころの距離が離れていくのを
感じた。
かといって何か関係修繕のために
できるわけではないし、
ぼくはただそばにいた。
でも、そばにいるだけでもいいと
思うこともあった。
あの人の21歳の誕生日。
あの人は一人日本を離れ、暮らしていた。
もちろん、ぼくはそばにいた。
パソコンをけたたましく打ち込む音が鳴り響く。
「コンコンコン」、とドアをノックする音が
聞こえると、あの人はドアを開けに行き、
同じ寮に住んでいる女の子と話し始める。
どうやら、2人とも「卒論」
というものを書いていて、ストレスがたまっているらしい。
なるほど。どおりでパソコンに打ち込む強さも、
速さも、いつもの倍になるわけだ。
あと、おやつを食べるスピードもいつもより速いけど、
そういうのは「おせっかい」らしいからやめておく。
その誕生日の夜、あの人は家族とテレビ電話で
しゃぺっていた。「Dー!」と電話越しに
あいつに向かって呼びかけるのをみて、
ぼくはちょっと優越感にひたった。
あの人のそばにいるのは、あいつではなく、
ぼくだ。
そんなこころの余裕が出てくると、
あいつを見る目がちょっと変わる。
なかなかかわいいやつかもしれない。
以前はおもちゃのようにDにかまれ、
振り回されたこともあったけど、
こころの余裕のせいか、
「まあ、犬のあるべき姿なのか」
なんて納得するようにさえなった。
今ではこんな至近距離でも、あいつは
湿った鼻を「・・・・すんっ。」
と押当ててくるだけだ。

と、余裕をかましていたぼくだったけど、
たとえあの人とあいつの間に物理的な
距離はあった時でさえ、あの人と
あいつの関係は密になっていき、
ぼくとの距離は離れていってることに気づいた。
21歳、あの人が一人暮らしを終え、帰国するとき、
ぼくは前のように一緒に飛行機には乗れなかった。
あの人が15で日本を離れたときは、まだぎりぎり
飛行機に乗れたというのに。
かわりに、他の荷物と一緒にダンポールに入れられて、
何やらゆらゆらと海の上を通って日本へと向かった。
飛行機であの人にぎゅーっと力づくで握られたときより
体は窮屈ではなかったけど、今度はこころを
ぎゅーっと締め付けられた気分だった。
ぼくは目的があってあの人のもとへ行ったのに、
なんかそばにいる意味がちょっとだけわからなく
なった。ダンポールの中で思う。
「もし日本に着いて、ぼくがどこかへ
しまいこまれてしまったら、役目は終わりと
考えよう」。
(つづきます)