娘と過ごす中で嬉しかったことも、苦しかったこともすべて
「ほぼ日手帳」に書きとめてきた5年間。
今回すべてのページを読み返す中で、ある日の記録に
目がとまりました。少し長いですが、引用します。
2015年4月20日(娘、もうすぐ3歳)
何かあればすぐに泣いて「ママーママーだっこー」と
くっついてくる。
それが時にうっとうしくて離れる時間が欲しいと
思う日がある。
言うことを聞いてくれなくて腹を立てる日もある。だけど、娘も成長すれば一人で悩むこともあるだろう。
一人で乗り越えなくてはいけないこともあるだろう。
親子の関係は続けど、いつしか私の手から離れていく。
それを私が止められない日がいつか来るんだ。無条件に「ママ」と駆け寄ってきてくれるこの時間は、
わたしと娘が過ごす人生の中で、とてもあたたかくて
幸せな時間なのかもしれない。
そう思って、我が子をすぐに抱きしめた。
2012年に母親になり、娘と一緒になって
泣いたり笑ったり。嵐のように時間は過ぎていきました。
娘は今年5歳になり、この原稿にわたしが向かう今も、
「ママがんばれー」と度々声援を送ってくれています。
こうして過ごしている間にも、娘の背は伸びていくし、
話すことばも表情もどんどん豊かになっています。
一人の時間が欲しい、わたしの人生って一体なんだろうと
思い悩んできたけれど、娘は少しずつ少しずつ、
そして確実に、わたしの手から離れていっています。
親子でいることに生涯変わりなくても、
一緒に同じものを見て、同じものを食べて、同じ空間の中で
過ごす時間は着実に少なくなっているのだろうと感じます。
女子高生だったころのわたしが漠然と
「早くこどもがほしい」と夢を抱いていたころに
想像していた子育てと、現実は驚くほど違いました。
一人の子どもを育てることの大変さと向き合う中で、
わたしは娘に母親にしてもらったのだと思います。
学生時代の私は、どこか常にさみしさを感じていました。
どんなに好きな恋人と過ごしていても、「さみしい」という
感情を手放すことができずに、悩むことが多くありました。
母親になったいまは、どうでしょうか。
娘とふたりで空を見上げながら歩くある日の帰り道、
ふとわたしは気づきました。
「あれ、わたしいま全然さみしくないや」。
2015年の秋に念願だった仕事をはじめ、あわただしく過ごす
ある日の「ほぼ日手帳」。
2016年9月20日(娘、4歳ごろ)
家で仕事をしていたら、眉間にシワを寄せて
ずいぶん険しい顔をしていたらしい。
けど、信頼の笑みを真っ直ぐわたしに向けてくれる
娘の存在に救われた。
「ないものねだり」。
母親になったわたしは、自分の手元にある幸せに気付かず、
ないものねだりをしていたのだと思います。母親になって
得るもの、時に諦めなければならないものがある。
けれど、自分を必要としてくれる人がいることの
心強さを教えてくれたのは、娘でした。
今のわたしを語る上で、娘がいること、
娘と過ごしてきた日々は欠かすことができません。
わたしの好きなものは、わたしの娘です。
母親として過ごす日々の中で、苦しみも幸せも、
この先まだまだ続いていくと思います。
でも、わたしはこの人生を選んでよかったと思える存在に
出会えたことに、いま感謝しています。
1年後、10年後、わたしの「ほぼ日手帳」には
どんな娘の姿が記されているのでしょうか。
「CAさんになりたい」と夢を語る娘が、
毎日笑顔で元気に過ごす姿を描けていたら、
わたしはとても嬉しいです。
さいごに、手帳からこのことばを引用します。
2015年12月29日(娘、3歳半ごろ)
いつも笑っていてくれて ありがとう。
ママのことを好きでいてくれて ありがとう。
元気にすごしてくれて ありがとう。
すくすく成長してくれて ありがとう。
ママにとって あなたは宝物。

(おわります。お読みいただき、ありがとうございました。)
