母としての人生と、一人の女性として人生、
ふたつの狭間でわたしの心が揺れ動くあいだも、
娘のできることは一つひとつ増えていきます。
初めて寝返りができた日、つかまり立ちができた日、
わたしのことを「ママ」と呼んでくれた日。
娘と一緒にたくさんの初めてを経験してきました。
嬉しい出来事もある反面、
早く社会に出て働きたいと焦りが募ってゆく毎日。
一日も早く社会に戻らなければ
もう一生戻れないような気さえしていました。
「子どもを育てることは社会的に大きな意義があります」と
どんなに耳にしても、社会との溝を感じるこの閉鎖感。
今思えば、「わたしは社会から隔離されているんだ」と
外の世界との間に壁を隔てていたのは、
わたし自身の心だったのかもしれません。
そんな心の余裕のなさから、時にきつく娘を
叱りつけてしまう自分の姿に
はっとした日の「ほぼ日手帳」。
2014年2月8日(娘、1歳半ごろ)
我が子を傷つけてしまう人と我が子を愛せる人、
誰しもその境界線に立つ瞬間があるんじゃないのかな。
わたしは一体どんな母親になりたいんだろう。我が子と言えど、子どもは別の人間だ。
そんな簡単に育てられるわけがない。
冷静になるために、少し娘と離れる時間も欲しい。
イライラの原因は、振り返ってみると
どれも大したことはありません。
たとえ我が子だとしても、すべてを思うように
コントロールできるわけではない。
冷静に考えれば至って当たり前なことですが、
母としての自分と距離を置くことを
何より難しく感じていた当時のわたしは、
冷静に物事を考えるための娘との距離感を
強く求めていたのかもしれません。
ある日、たまには一人で出掛けておいでと
家族が声をかけてくれました。図書館にでも行こうかなと
一人で家を出た日の「ほぼ日手帳」には、こんな記録が
残されていました。
2015年2月21日(娘、2歳半ごろ)
いざ図書館に行こうと思っても、ものすごい罪悪感。
何ひとつ悪いことをしていないのに、なぜ?
一人で歩くのはこんなにも速くて軽いのかと
忘れていたことに気付く。想像以上にわたしは母親だった。娘は家で何をしてるんだろう、泣いてないかな。
気付けばそんなことばかり考えている。
一人になれたらせいせいするだろうと思っていたけれど、
結局、娘に会いたい気持ちを耕して家へ戻った。
家を出たときよりも、また違った意味で
帰り道の足取りは軽かった。
たった40分。自らの意志で、わたしは母に戻っていた。

あれだけ一人になりたいと嘆いていたのに、
いざ離れてみると心配になる。我が子を抱きしめたくなる。
心の余裕をなくす瞬間も多くあって、
わたしは母親になれているのだろうかと不安もあったけれど
知らず知らずのうちに母親として生きていることを
実感した瞬間でもありました。
こうした日々を繰り返して、
わたしは少しずつ、母として生きていくことを
理解していったのかもしれません。
(つづきます)