もくじ
第1回ひろ君の24年間 2017-03-28-Tue
第2回気づけば7,000字 2017-03-28-Tue
第3回読みたいから書く 2017-03-28-Tue
第4回「ご近所」の距離感 2017-03-28-Tue
第5回釣りとブルーハーツ 2017-03-28-Tue

1981年生まれ。東京生まれ東京育ち、一時期京都、いま東京。

人生相談的</br>「書く書くしかじか」の話

人生相談的
「書く書くしかじか」の話

担当・大城和美

第2回 気づけば7,000字

糸井
ここ2年よりも前には、
田中泰延名義で個人的な何かを書くってことは
なかったんですか?
田中
一切、なかったんです。
糸井
そっかぁ。
田中
僕たちコピーライターの仕事といえば、
キャッチコピー20文字、ボディコピー200文字とかで。
それ以上長いものを書いたということが、もう、
人生でまったくないですから、あのぅ‥‥
糸井
うん、うん(笑)。
田中
それまでで一番長く書いたのは、大学の卒論でしたけど、
これは人の本の丸写しでしたから。
書いたうちには入らないですね。
糸井
ちなみに、それは何の研究なんですか?
田中
芥川龍之介の『羅生門』についてです。
原稿用紙200枚だから‥‥8万字くらい書きました。
いろんな本から切ったり貼ったり、切ったり貼ったりして。
担当教授にそれを見せたら、
「これは私は評価できません。
荒俣宏先生に送りますから、
おもしろがってもらいなさい」と。
だから、そのときからすでに多少ヘンだったんでしょうね。

糸井
いわゆる「博覧強記」っていうジャンルに
入りそうなものを書いたんですね。
田中
その切ったり貼ったりを、とんでもないところから
持ってこようっていう意識はあったんですよ。
たとえば、ほんの1行、
「大きな円柱に、蟋蟀(きりぎりす)が一匹とまっている。」
っていうのがあるんですけど、
「舞台となっている1100年代の京都には、
なんという種類のきりぎりすがいたのか」
を延々調べたりとか、
まったく無関係なことをたくさん書いたんですね。
糸井
のちに、僕らがあの「石田三成研究(※)」で
味わうようなことですね(笑)。

「秒速で1億円稼ぐ武将 石田三成 ~すぐわかる石田三成の生涯~」のこと

 
じゃ、本当にそれしか書いてないんですか?
田中
それだけなんです。
糸井
ラブレターを書いてみたりとかは?
田中
まったくもう、苦手で‥‥。
卒論の後に、個人的に何かを書く機会といったら、
2010年にツイッターに出会ってからですね。
140文字までしか書けないので、
広告のコピーを20字や200字で書いてる身としては、
これはラクだと思って始めたんです。
糸井
つまり、
本当にずっと、まったくの「広告人」だったということ?
田中
もう真面目な、ものすごく真面目な、
これ、活字で伝わるかわかりませんけど、
ものすご〜く真面目な広告人です。
糸井
なるほど(笑)。
田中さんはコピーライターとして文字を書く仕事と、
プランナーもやってたんですよね。
田中
仕事としては、
ずっとテレビCMの企画がほとんどだったんです。
関西は、ポスターや新聞、雑誌っていうのは
すごく少ないんですよ。
企業本社や新聞社、出版社は、ほぼ東京がメインですから。
いわゆる文字を書くコピーっていうのは、
ほとんど仕事がなくて。
 
だから、自分が書いた文字が、
たくさんの人の目に触れるっていうことに関しては、
飢えていた感覚はありました。
糸井
その飢えが20年。すごい溜まり方ですね。
田中
溜まってましたねぇ。
糸井
性欲、じゃなくて(笑)、「欲望」が。
田中
もうすごいんですね。溜まりに溜まった何かが(笑)。
糸井
あのリレーコラムの次が、映画評ですか。
田中
はい。
電通を辞めてクリエイティブ情報サイトの編集長をしている
西島知宏さんに依頼されまして。
糸井
西島さんは、田中さんから見ると先輩?後輩?
田中
7、8年後輩なんです。
もちろん彼が電通に一緒に在籍していたのも、
辞めたのも知ってるんですけど、
個人的にはほとんど付き合いがなかったので、驚きました。
糸井
えっ?そうなんですか。

田中
2015年の3月に、
西島さんが突然大阪を訪ねて来られたんですよ。
「明日会いましょう」って言われて行ったら、
大阪のヒルトンホテルで、すごくいい和食が用意してあって、
「まぁまぁ、そこ座ってください」って。
料金表見たら、1人前6,000円くらいのお昼ごはんで
「うわぁ、たっかぁ!食べていいのかな」と思いつつ(笑)。
 
そうしたら案の定、
「食べましたね。食べましたよね、今」
「つきましてはお願いがあります」と来まして。
それで、
「田中さんがツイッターで時々、
『昨日見た映画、ここがおもしろかった』って書いてますよね。
それ、うちで連載してください」と言われたんです。
糸井
ほう(笑)。
田中
もう食べちゃったし(笑)、わかりました、と。
 
「原稿の文字量はどれくらい必要ですか?」って聞いたら、
「ツイッターの映画評で十分面白いので、2、3行でいいです」
って言うんですよ。
「えっ、いいの? 2、3行で? ほんとに?
映画観て2、3行書けば、仕事的なことになっちゃうの?」
って確認したら、「そうです」って。
 
そうか、なあんだ、と。
次の週に、映画を観て、とりあえず7,000字書いて送りました。
一同
(笑)
糸井
溜まった「欲望」がね。
田中
(笑)そう!書いてみると、やっぱり、出ちゃいますね。
糸井
最初の映画はなんだったんですか?
田中
『フォックスキャッチャー』っていう、
わりと地味な映画なんです。
アメリカ有数の大財閥の御曹司が、
レスリングのオリンピック金メダリストを射殺するという
実際にあった事件をもとにした映画でした。
 
で、さあ書こうとなったら、生まれて初めて、
手が勝手に動いて。
無駄話を書くのが止まらないっていう経験をしたんですよね。
キーボードに向かって、
「俺は夜中に何をやっているんだ、眠いのに」っていう。
糸井
それは‥‥うれしさ?
田中
なんでしょうね?
‥‥。
「これを明日ネットで流したら、笑う人が絶対にいるだろうな」
って想像したら、ちょっと取り憑かれたようになったんです。
糸井
あぁ、なるほど。
一種の、大道芸人の喜びみたいな感じですねぇ。
田中
あぁ、たしかに。
糸井
もし雑誌とかだったら、そんな急に7,000字の原稿って、
まずはありえないですよね。
田中
そうですね。
糸井
頼んだほうも頼んだほうだし(笑)、
メディアもインターネットだったし、
本当にそこの幸運はすごいですねぇ。
田中
映画評を始めてからは、
雑誌に依頼されて寄稿することもあったんですけど、
やっぱりネットに比べると反響が感じられないんですよ。
「おもしろかった」とか「読んだよ」とかが
僕に直接聞こえてこないので、
いくらその雑誌が本屋に置いてあっても、
なんだかピンと来ないんですよね。
糸井
それはまさに、インターネットネイティブの発想ですね。
若くないのにねぇ(笑)。
田中
46歳にして(笑)。
糸井
でも、田中さんがおっしゃった感覚は、
まさに25歳の人とかが感じてることですよね。
田中
そうでしょうね。
糸井
はぁ、おもしろい。すごいことですね。
だって、40いくつって言ったら、
酸いも甘いも、一応知らないわけじゃないのに。

田中
すごくシャイな少年みたいに、
ネットの世界に入った感じですね。
「何か自由に文字書けば、明日には必ず誰かが見るんだ」
と思うと、うれしくなったんです。
糸井
新鮮ですねぇ。
あぁ、そういうことを聞けると、うれしいなぁ。
田中
でも、糸井さんはそれを18年以上
ずっと毎日やってらっしゃるわけでしょう?
糸井
あぁ(笑)。
田中
休まずに。
糸井
でもね、それは、仕事だから。
おにぎり屋さんは毎日おにぎりを握ってるわけですし。
「大変ですね」って言われても、
「いやぁ、みんな大変なんじゃない?」って(笑)。
だから、あえて言えば、
休まないって決めたことだけがコツなんで。
あとは、なんでもないことですよね。
田中
なるほど。
糸井
たぶん田中さんは今、
書くことが、その「仕事」になってきてると思うんですよね。
田中
でも、たいして食えないんですよ。
前は会社員で、仕事が終わったあとに書いてましたけど、
これからは今までどおり書いてるだけでは
生活の足しになりませんから。
じゃあ、どうするんだ?っていうフェイズには入っています。
糸井
イェーイ(笑)。
僕は今、27歳の人と話してますね。
田中
(笑)そうですね。
糸井
いやぁ、そうかそうか。
「独立したんだって?誰かに相談したのかい、それは?」(笑)
田中
ははは。まさに若者の悩み相談。
糸井
うわー、愉快だわ(笑)。
田中
ただ、僕の中では相変わらず、お金ではなくて、
「おもしろい」とか、「全部読んだよ」とか、
「この結論は納得したよ」っていうような
読んでくれた人の声が報酬になってますね。
それが報酬じゃ、
家族はたまったもんじゃないでしょうけど(笑)

〈つづく〉

第3回 読みたいから書く