もくじ
第1回あこがれ 2017-05-16-Tue
第2回再生の朝 2017-05-16-Tue
第3回命のスピード 2017-05-16-Tue
第4回大丈夫、どこまでも行ける 2017-05-16-Tue

1993年東京生まれ。一にカレー、二にあんこ、三にビール。とにかくおいしいものに目がない人です。

はなればなれに

はなればなれに

担当・柴萌子

第3回 命のスピード

私の誕生日の
2月15日はうれしくない日になってしまった。
これから先も、誕生日を迎えても、
素直に喜べないと思う。
2017年2月15日は、伯父の命日だったからだ。
日付が16日に変わろうとする直前に、
伯父は亡くなった。
 
失恋して、人間関係もぼろぼろになって、
たくさんのものを失った末、
「もうこれ以上何も失えない」と思っていたら、
幼い頃からお世話になっていた伯父が亡くなった。
 
伯父との思い出はそれほど多くないが、
色濃かった。
家が近かったので、小学校を卒業する前までは
頻繁に伯父の家をたずねていた。
幼稚園生のとき、大好きなチョコボールの
金の缶詰をプレゼントしてくれた。
中学受験で志望校に受かったときは
とても喜んでくれた。
祖母が亡くなったときは、
毎晩のように父と電話越しで喧嘩をしていて、
少し悲しかった。
伯父は広島に単身赴任していたので、
帰京するといつももみじ饅頭をくれた。
伯父の訃報を聞いたら、
伯父とともに過ごした頃にまた戻りたくなった。
 
伯父の通夜と告別式に参列した。
親戚の通夜と告別式に参列するのは、
これで4回目だ。
でもこれまでの3回とは何かが大きく変わった。
これまでと違って、
私はお酒を飲めるようになっていたから、
久しぶりに会った親戚のおじさんたちは、
私をもう、
何をしても可愛い子どもとして見ていなかった。
そのかわり、
新しく生まれた子どもたちが、
親戚のおじさんたちから
お菓子をもらったり遊んでもらっていた。
年をとったと思った。
また、12年前に祖母が亡くなったとき、
告別式で献杯の挨拶をしたのは、
亡くなった伯父だったが、今回は私の父がおこなった。
私もいずれこの場で、家族の遺影を持ったり、
献杯の挨拶をしたり、喪主になったり、
いつかは死に、誰かに弔われ、灰になるのだと強く思った。
  
命が静かに受け継がれていく瞬間を見た。
そして、人の命はあまりにも短いことを
初めて体で知った。
今までは頭ではわかっていたけれども、
いったいどんなことなのか、
抽象的すぎてよくわからなかった。
人生がどんなに長くても、短くても、
やり残したと思うことはきっと同じくらいあるに違いない。
それだとしても、いや、それだからこそ、
精いっぱい今を生きるしかないのだ。
先のことなんて、明日のことなんて
誰も知りやしない。
だから、ただただ、今この一瞬を生きているだけでも
尊いと思った。
 
伯父が亡くなった今、私はこの文章を書いている。
下書きとして紙に殴り書きしている。
書くスピードのあまり、ペンのインクがほとばしる。
インクが指先についてしまう。
きっと、これでいいのだ。
生きているとは、こういうことだ。
 
しかし、書けば書くほど、
伯父と過ごした頃が恋しくなってしまう。
祖母もいて、伯父もいて、親戚で揃って
こたつに入って話をしたり、
お菓子を食べたり、ペットと遊んでいたあの頃が。

 

もし昔に戻れるならば、
伯父と一緒にもみじ饅頭を食べたい。
カステラのようにふわふわした生地に、
あんこがつつまれている懐かしい食感。
カステラとあんこが大好物の私にとって、
もみじ饅頭はおいしいとこどりのお菓子だ。
これからももみじ饅頭を食べるたびに
伯父を思い出してしまうのだろう。
 
伯父との日々を思い出すと、
子どもに戻ったような気分になる。
何もかもが大きくて、得体が知れなくて、
ちょっぴり臆病だった子どもの頃の私に。
いつまでも子どもでいたかった。
「死」や「別れ」という言葉のもつ恐ろしさなんて
知りたくなかった。

第4回 大丈夫、どこまでも行ける