生まれて初めての失恋から少しだけ立ち直って、
ほんのわずか余裕が見えてきた矢先だった。
ささいな出来事がきっかけで、
慕っていた人たちに失礼なことをしてしまった。
どんなに謝っても、どんなに弁明しようとしても、
自分の認識と相手の認識が、
コミュニケーションをとるたびにどんどん
離れていくことを感じた。
私はどうにかしようと必死になったが、
もがけばもがくほど苛立ちが募ってしまった。
ひとたび軋轢が生まれてしまうと、
ささいなことへの感謝すらできなくなってしまう。
本当はそういうときにこそ感謝が大切なのに。
私のだめなところは、
目の前のものにのめり込んでしまうあまり、かえって
近くにある大切なものが見えなくなることだ。
相手のことを汲み取ろうとしても、
自分の考えを説明しようとしても、
空回りしてしまう状態だった。
そのときの私は、
何が良くて何が良くないのかという
区別すらつかないほど狼狽していた。
結果、私は慕っていた人たちから離れることにした。
自分が仲間外れになってしまったようで、
孤独だった。
別れ際に慕っていた人たちから言われたことがある。
「あなたは、人の気持ちを考えない」。
ぐさりと突き刺さる一言だった。
今まで私は人の気持ちを充分に考えてきたと
思っていたからだ。
でも、それは他人からみれば全然できていなかったのだ。
「これまで充分にやってきたはずなのに、
どうすれば人の気持ちをもっと考えるようになるの?」
と、自分自身に問いかける日々が始まった。
「あなたは、人の気持ちを考えない」
の一言は、私の足をすくませた。
もう誰とも話ができないのではないかと
不安におびえた。
そのときの私は、まるで片足で立っているような
ぐらついた状態で、身の限界を感じていた。
「人の気持ちを考えるってどういうこと?」と、
考えに考えていたせいか、
食べる、寝る、お風呂に入ることすらもむずかしかった。
生きているだけで精いっぱいだった。
ひとりで悩むのが限界になってしまい、
「人の気持ちを考えるってどういうこと?」と、
身近な人たちに悩みを相談した。
思えば、今まで私は誰かに悩みを相談したことがなく、
ひとりで抱え込み、自然に解決するのを待つのみだった。
しかし、今回はひとりでは到底解決できなかった。
だから、身近な人たちのアドバイスをもらって、
世の中には人の数ほど考えがあることを知って、
とても安心した。
そして、私自身でも真剣に考えをめぐらせた。
でも、今もなお、
「人の気持ちを考えるってどういうこと?」
と思っている。
答えがみつからない。みつけられない。
どんな本にも書いていない。
だけど、私の中で変わったことがただひとつある。
人と話をしているとき、
つねに考えるようになったことだ。
思えば、今まではなんとなくで話をしていた。
だから、自分で考えるようになったのは、
大きなパラダイムシフトだった。
とはいえ、いくら考えても
「人の気持ちを考えるってどういうこと?」への
答えはわからないのだと思う。
答えを探すというよりも、
暗闇を、手足を使って歩くしかない。
そんななか、先日、慕っていた人たちに
今までのお礼とお詫びを綴った手紙を送った。
そして、返事をいただいた。
返事を読みながら、いさかいが起こったときに
相手が私を
一生懸命に考えてくれていたことを知り、
あのとき、自分のことで精一杯で、
相手を考える余裕すらなかった自分の未熟さを
深く反省し、恥じた。
そして、返事の最後に、
「大きくなってまた会いましょう」
と一言綴られていて、
その優しさに心の奥がぶわっと熱くなった。

絶対に大きくなってまた会いに行こうと思った。
今より大きくなった私を見て欲しい。
慕っていた人たちは花が好きだったから、
いい匂いのする綺麗な花束を持っていきたい。
いつか慕っていた人たちに会えたとき、
お互いはどんな顔をするのだろうか。
嬉しがっているのか、それとも怒っているのか。
でもそんなこと、神様だって知らないはずだ。
だけど早く顔が見たい。
そのためにも、1秒たりとも無駄にしたくない。
やるしかない。進むしかない。
そう誓った。