23歳にして、生まれて初めて失恋をした。
頭の中に穴がうがたれたような、
ぽかんとした感覚だった。
失恋は思ったよりもあっけなく、
だけど後味はずっしりしているのだ。
それは初めての失恋だけでなく、
初めての恋でもあった。
2年ほど前、うっかり恋に落ちてしまった。
今までどうでもよかった人のはずが、
「この人に抱きしめられたい」という思いに、
あるとき突然、駆られてしまった。
それから毎日のように、
勉強をしているときも、仕事をしているときも、
いや、どんなときも、その人のことが頭から離れなかった。
ときどき「離れてくれ!」と思うときもあった。
だけど、本当はその人のことを
いつもそばに感じていたくて、
ごはんを食べたり、映画を観たり、
音楽を聴いたり、変なことを思いついたときも、
「これすごく楽しいね」とか、
「おいしいね」とか、「あのシーン大好きなんだ」とか、
頭の中に描かれたその人の幻に語りかけていた。
疲れきったり、悲しかったりしたときも、
「もうしんどいよ」などと語りかけていた。
そんなときは、「もうだいじょうぶだよ」と、
その人の幻はいつも私を励ましてくれた。
今思えば、
そのときの私はちょっぴりイタかったかもしれない。
でも、その人の幻は、私にたくさんの勇気を与えてくれた。
どこまでも変わることができる、そんな気がした。
その人は近いけれども遠い存在だった。
かっこよくて、何でもできて、
私と趣味が似ていた。
ときどき話すことはあったけれども、
どきどきしすぎて言いたいことのほとんどを
伝えることができなかった。
それだから、私はその人に告白する勇気がなかった。
今まで恋をしたことがなかったから、
どうやって「好き」を伝えるかわからなかった。
それに、ずっと好きでいたかった。
ふられたらその人に飽きてしまう気がした。
あと、なによりも自信がなかった。
私は美人でも可愛くもない。
いっそのこと、好きにならなかったほうがよかった、
と思ったり、
好きで好きで仕方がなくてどきどきしたり、
不安定だった。
その人を好きになって、
私の中にはたくさんの私が住んでいることを知った。
私の中の私たちは、
男くさい飲んべえの私だったり、
バリバリのキャリアウーマン風の私だったり、
キャピキャピしたギャルっぽい私だったり、
じつにキャラクターにあふれていた。
恋をして、いろいろな私が目覚めたのかもしれない。
それでもなお、いろいろな私たちがいても、
みんなそろって「好き」を伝える方法がわからなかった。
どうしよう、どうしよう、と途方にくれているうちに、
とうとう恐ろしい日が来てしまった。
それは2017年の元旦だった。
初詣を済ませてぼおっと歩いていたら、
その人が恋人とおぼしき女の子と一緒にいた。
その人と女の子は手をつないで歩いていた。
その瞬間、私の中にいた
その人の幻が音もなく消えていった。
目の前の景色を本物と思えなくなってしまった。
頭の中は深夜のテレビの砂嵐のように、
ジー、ジー、と不気味な音をたてていた。
しかし、不思議にも嫉妬がわいてくることはなく、
悲しみだけが残された。
「私もあの子もいる世界で、
どうして私ではなくてあの子を選んだのだろう」と。
そしてもうひとつ、
「誰かと一緒に遊べる、次の約束ができるなんて、
付き合うって楽しいことなんだな」と、
ひとりぼっちの私を悲しく感じた。
やっぱりひとりはさみしいんだ、と思う。
「ひとりでできるもん!」と今まで意地をはりすぎていた。
でも、ひとりでできることなんて、限られている。
本当はひとりになると人恋しくなる。
その失恋のせいか、
私はすこしだけその人のことを嫌いになってしまった。
でも、
同じくらいその人のことをもっと好きになってしまった。
好きと嫌いが、私の中で同居している。

失恋から立ち直ったかどうかはわからない。
でも、その人の幻にまた会いたくなるのだ。
その人の幻とおいしいビールを飲みながら、
くだらないことを延々と話したい。
その人本人を目の前にするとどきどきしてしまう。
だから、何の気兼ねなく話せそうな、
その人の幻のほうがいいのだ。
たぶん、プシューっと瓶をあけて
「ああ!ビール!」とビールをグラスに注いで
乾杯して飲み始めたとたんに、
どちらがより多く飲めるか競争してしまいそうだ。
その人はお酒に弱いので、
すぐにべろんべろんになってしまうだろう。
そしてお酒に強い私の一本勝ちになってしまう。
もうちょっとくらい、お酒に弱くなりたかったなあ‥‥。
と、すべての妄想を肴に、やっぱりひとりで飲む。
失恋はビールの泡みたいにほろ苦く、
妙なのどごしがある。
私の失恋は、まだ喉元すら通りすぎていない。