祖母は、戦時中の生まれで、終戦を迎えたのが小学校1年生の時のこと。
祖母の家へ遊びに行く度に、
戦時中や戦後の食糧がなくて大変だった、という話を聞いていたので、
なんとなく、当時の芋煮はどんなものなのか、
そもそも芋煮をつくることができたのか、想像もつかない。
今度は、ばあちゃんの芋煮の話を聞こうと、
さらに話をすすめることにした。
ー
ばあちゃんの一番古い「芋煮会」の記憶って、いつ?
ばあちゃんが子どもの時も、芋煮会ってあった?
祖母
あったよ。一番古いのは、そうだなぁ‥‥。
小学校の時だなぁ。
その時は、くじらの肉だった。
ー
くじら?!
祖母
今はくじらの肉なんて食べないし、高いけど、
昔はすごく安くってなぁ~。
あとは冷蔵庫なんてないから、しょっぱく漬けてあるんだ。
ー
くじら肉で、芋煮つくったの?
祖母
そうそう。あと、芋は里芋じゃなくて、じゃがいもだった。
ー
じゃがいも!里芋じゃなかったんだ。
祖母
終戦してあんまり食べ物なかったからかなぁ。
なんでじゃがいもだったかは覚えてないけど。
ー
それは、小学校の授業でやったの?
祖母
そう。やっぱり、包丁の使い方とか、
芋煮のつくり方とか、そういうのを子どもたちに
教えるためかねぇ。
ー
そうなんだ。私も小学校の時にやったよ。
今とあんまり変わらないんだね。
場所は、どこでやったの? 学校?
祖母
みんなで河原に集まってなぁ。
ジャガイモは一人2~3個くらい、自分が食べるくらいは持ち寄って。
それで、みんなでつくって食べたなぁ。
ー
くじら肉で、ジャガイモって、想像つかないけど、
その時の芋煮は、おいしかった?
祖母
おいしかった! あれは、おいしかったなぁ。
* * *
「戦争」とか、「食べ物がなかった」とか、そういう話を聞くと、
祖母とは全く別の時代を生きているような気がしていたけれど、
「みんなで持ち寄って、芋煮会をした」という話を聞くだけで、妙に親近感が湧く。
当たり前のことだけれど、
祖母だって、子どもだった時があったんだな。
芋煮は、単純に「おいしい」から好きなのだとばかり、思っていた。
けれど、それだけじゃない。
昔、お腹を空かせた船頭や商人たちが最上川の河原ではじめた「芋煮」。
食材や味を少しずつ変えながら、
今も最上川の河原で、お腹を空かせた人々を幸せな気持ちにしてくれる。
大げさかもしれないけど、そういう文化を受け継ぐ力というか、
時代を超えて愛されてきた力のようなものも、感じる。
そんな文化がある土地に生まれて、
その文化を受け継ぐうちの一人でいられるという、
うれしさというか、ちょっと照れくさいけど、
誇りのようなものを、感じる。
それに、芋煮の周りには必ず、いろんな人の笑顔がある。
きっと、船頭や商人たちだって、
ばあちゃんが戦後に食べた時だって、
みんな、いい笑顔をしていたんだろうと思う。
おいしいだけじゃないんだな、芋煮って。
もうすぐゴールデンウィークだ。
まだ秋じゃないけど、帰ったら家族で芋煮を食べよう。
もう、今すぐにでも食べたくって、仕方ないや。
(終わります)