そもそも、芋煮はどうしてこんなに山形で愛されているんだろう?
芋煮のつくり方やおいしさについては知ってるけれど、
どうして芋煮ができたのかまで、私は知らなかった。
こういう時は、ばあちゃんに聞くのが一番だ。
というのも、ばあちゃんは「芋煮発祥の地」である中山町に住んでいるし、
商工会の女性部長なども務めた人物だからだ。
ばあちゃんに聞けば、何かわかるはず。
仕事から帰ってきて、夜8時過ぎ。
さっそく、ばあちゃんに電話をしてみた。
ー
ばあちゃん? 久しぶり。
祖母
もしもし? 誰だ?
ー
しおりだよ。聞きたいことあって、電話したの。
祖母
あぁ、しおりかぁ。久しぶりだな~。聞きたいことって、何や?
ー
芋煮について、知りたくって。
なんで、芋煮ってできたのかなぁと思って。知ってる?
祖母
あぁ、あぁ、知ってだよ。
昔、最上川から酒田港に出て、そこから京都と交易してたのは、知ってだべ?
ー
うん。紅花とかお米を舟に乗せて、最上川から京都の方へ送って、
京都の方からは雛人形とか上方文化が送られてくるんだよね。
それで、山形は栄えたんだよねぇ。
祖母
そう。中山町の最上川には、当時は湊があって、
船頭さんとか商人とかが、荷物を下ろしたりしてたんだ。
芋煮は、その船頭たちが始めたって、言われてる。
お腹すかせて、河原で煮たのが始まり。
ー
船頭さんたちが始めたんだ!
どんなのだったの? だって、まだその時代は牛肉ってないでしょう。
祖母
肉(牛肉)はないし、冷蔵庫もない。
だから、「棒鱈」を使ったんだと。
棒だらはしょっぱく味付けてあって日持ちするから、
山形まで運んできて、それを最上川の水で戻すの。
ー
最上川で?!
祖母
そうそう。昔は今とは比べられないほど、水がきれいだったから。
棒鱈に紐を結って、それを舟にくっつけて、
最上川で棒鱈を戻したんだって。
ー
へぇ〜。肝心の里芋は?
祖母
里芋は近くの百姓から買ってきたのか、もらったのかして、手に入れて。
たしか、里芋がよくとれる土地だったんだ。
ごぼうとかネギとか、他の材料も百姓から手に入れて、
河原にある松に鍋ひっかけて、
そこで煮て食べたのが「芋煮」のはじまりって、言われてる。
その松は「鍋掛松」っていうんだよ。
鍋掛松は、今は5代目になっていて、今も芋煮会をする人々を見守っている。
芋煮会は河原で行うのが当たり前で、
当たり前すぎて何の疑問も抱いたことがなかった。
やっぱり、ばあちゃんに聞いて正解だった。
芋煮の発祥については、ばあちゃんの説明のおかげで、
よくわかった。ここで、もう一つ、聞きたいことが生まれた。
ばあちゃんが子どもの頃は、どんな芋煮だったんだろう。
(つづきます)