- 糸井
- やっぱり仕事をしていて
嬉しくなる瞬間は、
人が喜んでくれたっていう
話を聞いたときですよね。 - 古賀
- そうですね。
- 糸井
- いまやりかけてる仕事が、
はじめて億単位で数えられるような
仕事になったんですよ。
そうすると、
何億という人たちを
想像しながら働くわけじゃないですか。 - 古賀
- はい。
- 糸井
- もう、そういうのって
「どうだおれはすごいだろ」
みたいなレベルじゃなくて、
ヒマラヤを見上げるような感覚ですよね。
ヒマラヤのふもとに立ったときって、
「大きいなー来てよかったなー」って
素直にそう思うじゃないですか。
仲間と一緒に見ることもできるし。 - 古賀
- それはいいですよね。

- 糸井
- たとえば、
「お金がないです」っていう子を
「ちょっと儲かったからいいよ」って
ヒマラヤが見えるところに連れて行くとする。
自分が「ほら」って言うと、
その子が「ほんとだあ」って
喜ぶわけじゃないですか。 - 古賀
- はいはい(笑)
- 糸井
- その「ほんとだあ」が、
自分のこと以上に嬉しいんですよね。
古賀さんも、
この間そういうことがあったじゃない。 - 古賀
- そうですね、あれは気持ちいいですね。
会社の子が担当した本が
10万部いったんですよ。
その時は、自分のこと以上に嬉しかったです。 - 糸井
- 嬉しいでしょうね。
「人の喜びが自分の喜びです」って、
きれいごととして言葉にすると
伝わらないんだけど、
そういう例って日常のなかに
たくさんありますよね。
おいしいイチゴを子どもに食べさせて、
お母さんは食べないっていうのもそうでしょ。

- 古賀
- はい。
あれも全く同じですよね。 - 糸井
- そういう経験をすればするほど、
人の喜ぶことを考えつきやすくなりますよね。
ぼくは、古賀さんよりももうちょっと、
自分は主役じゃないけど苗を植えたぞ、
みたいな仕事が増えてるんですけど。 - 古賀
- そうなんですね。
- 糸井
- そうすると、
そこで実った米やら果物を食べて
喜ぶ人が増えていくっていう、
循環そのものを作れるようになって。
仕事の面白さが、
飽きない面白さになったんですよ。 - 古賀
- 最初から、
その喜びを得ようと思って
動いていたわけではないですよね。 - 糸井
- もちろん。
何か解決したい問題があるから
ぼくがやるっていう形をとってますけどね。
でも、問題がなくてもやりたいんじゃないかな。 - 古賀
- そう思いますね。

- 糸井
- たとえば、老人になった自分が、
むかし時計職人をやっていたとして。
近所の中学生の時計が壊れた時に、
「おじさんが直すから貸してごらん」
って言いたくなっちゃう感じですよね。
お礼なんて要らないから
「どうだ!」
って1回だけ言わせて、みたいな(笑) - 古賀
- (笑)そうですね、分かります。
- 糸井
- あと、よく考えるのは、
自分のお通夜の席でみんなが
楽しそうに集まったらいいなって。
もう本人がいないんだから
集まらなくてもいいのに、
「あいつが死んだ時に集まるのは
楽しい人たちに違いない」
って思われたら、
生前ぼくがどれくらい楽しかったか
分かるじゃないですか。 - 古賀
- そうですね、うん。
- 糸井
- それは、ずっと考えてることですね。
家族だけで小さくやる
お葬式もありだと思うけど、
誰がいてもいいよっていうお葬式を
すごく望んでるんですよね。
それにかこつけて遊んで欲しいというか、
最後まで触媒でありたいというか(笑)

- 古賀
- なるほど。
たしかに、結婚式だと、
おれたち主役をちやほやしてくれ
っていう場所になりますよね。 - 糸井
- そうですね。
- 古賀
- お通夜とかお葬式って、
おれはもう居ないし主役じゃないけど、
君達で楽しんでくれよっていう。
そこが全然違いますよね。 - 糸井
- ちょっと自信があるなあ。
みんながこう、
遊ぶために集まってくれるようなお葬式。
50円玉ぐらい包んでいくか、みたいな。 - 古賀
- (笑)

- 糸井
- 「おお、すごいな。50円か」
っていう(笑)。 - 古賀
- なるほど(笑)
- 糸井
- まあ古賀さんも、
いまのぼくの年齢になるまでの間が
ものすごく長いですから、
これから面白いことがいっぱいありますよ。 - 古賀
- 楽しみです。
- 糸井
- 楽しみだと思いますよ。
そう、年齢を重ねることを
楽しみにしてもらえるような
おじさんでいたいですね。
(古賀さんと糸井の話はこれでおしまいです。
どうもありがとうございました!)
