もくじ
第1回天狗になる人、ならない人 2016-05-16-Mon
第2回「業界のために」ってなんだろう? 2016-05-16-Mon
第3回目立ちたいことはないですか? 2016-05-16-Mon
第4回お金のことは、リスクになる 2016-05-16-Mon
第5回仕事嫌いなのに、働く理由 2016-05-16-Mon
第6回「友達」の言うことは、素直に聞ける 2016-05-16-Mon
第7回楽しみにされるような、おじさんでいたい 2016-05-16-Mon

おいしいものの周りで、暮らしています。毎日せっせとお料理の本を作っています。

裏方のヒット論【糸井重里×古賀史健】

第6回 「友達」の言うことは、素直に聞ける

古賀 
糸井さんが少し前に、
“3年後の話”というのを書かれてたじゃないですか。
※2016年3月26日更新分「今日のダーリン」より。
糸井 
あれ、ビリビリくるでしょ? 
僕に来たの(笑)

古賀 
(笑) 

でも、見えもしない10年後、
20年後を語りたがる人って……。

糸井 
それは嫌だね。
古賀 
そうですよね。そこで、満足してる人たちは、
若い人にも、ある程度年齢がいってる人にも、
けっこうたくさんいて。

僕はどちらかというと、
今日、明日しかなくて、未来はわからないじゃん
って立場だったんですよね。

でも、三年後にこっちに向かってるとか、
あっちに向かってるとか、
大きなハンドルは切れるんだっていうあの話は、
けっこうビリビリきましたね。

糸井 
それを、僕は今の年でわかったわけです(笑)
古賀 
ああ(笑)
糸井 
そんなに簡単に、
その考えになりたくないみたいなところもあって。
古賀 
うんうん、そうですね。
糸井 
大きな災害があった後とかに、
「今を精一杯ちゃんと生きようよ」
というのは説得力があるんです。
古賀 
そうですね。
糸井 
僕も、本当にそう思えたんじゃないかな、一旦は。
でも、それを繰り返していったら、
「どうしましょう?」って聞かれるようになって、
「俺もわかんないけど……」ってずっと答えてきた。

でも、今日ぐらいのところは、
3年前くらいからわかってたなって
思うようになったんですよ。

古賀 
それって、
震災に関わるようになったのは関係してますか?
糸井 
それは大きいですね。

僕が思ってることはひとつなんですよ。
みんなが優しくしてくれる時に、
素直にその行為を受け取れるかどうか。
だから、震災にあった人たちと「友達」になりたい、
と早くから言いました。

古賀 
はい。
糸井 
「友達」が言ってくれることは、
素直に聞けるじゃないですか。
古賀 
そうですね。
糸井 
そうじゃない人からいろんなことを言われても、
「ありがとう」って言うけど、
やっぱり「ございます」が付くんだよね。
古賀 
ああ、なるほど。
糸井 
いつか、誰と誰に何されたから返さなきゃとか、
僕は思っちゃうたちだから。
その意地っ張りみたいな部分を、
ストレートにわかってくれたり、
普通に「ありがとう」って言い合えるような
「友達」みたいな関係がいいなぁって。

僕が、普通の「ありがとう」以上のことを、
恩着せがましくしたら、彼ら、彼女らは、
「ありがとう」って言わないと思うんですよね。
そこが基準でした。

古賀
はい。

糸井
あげればあげるほど、
いいと思ってる人もいるじゃないですか。
古賀 
そうですね。
糸井 
でも、それは絶対違いますよね。
向こう側から僕を見て、
「余計なこと」をしてないかなっていうのは、
いつも考えるようになりましたね。

糸井 
東京大震災が、
先にくるとずっと言われていましたよね。
古賀 
そうですね。
糸井 
その時に、いろんな地方の人が優しくしてくれるとします。
着古したセーター送ってくる人もいれば、
自分の身を顧みずに親身になってくれる人もいる。
そのいろいろを、自然なこととして見られるだろうか。
「ありがとう」を言いっぱなしで、
何年間も生きていけるだろうか。
古賀 
はい。
糸井 
きっと、すごく焦って、事業欲が出るような気がします。
ここから、すごい成功してみせるぞ、みたいな。
それは、僕の本能なんだと思うんだけど、
それが東京にいて刺激されたような気がしますね。

古賀 
震災の時、糸井さんは
「自分は当事者じゃなさすぎる」という
言い方をされていたじゃないですか。
特に福島との付き合い方、距離感の問題とか。
そのヒントが、「友達」ということになるんですかね。
糸井 
そうですね。前から知ってる人がそこにいたら、
こういう付き合い方したいっていう感覚です。
たぶん、それが「親戚」でも僕はダメなんですよ。
「家族」って考えると、ちょっと大きすぎて、
限りなく当事者に近くなってしまいます。
古賀 
そうですね。
糸井 
福島に転校して行った「友達」がいて、
どうしてるかな? と思った日に、
そんなことがあったみたいな。
古賀 
うんうんうん。
糸井 
「お前、ほんとにマズイな」って言いながら、
やり取りできるような。
それで考え方が1本見えたかな。

古賀さんは、
どうやって自分の考えを納めようと思いましたか?

古賀 
僕は、ちょうどcakesの加藤さんといっしょに、
本を作っている時でした。
5月ぐらいに出版予定だったので、
もうすぐ入稿するというタイミングです。
このまま何もなかったように、震災に触れずに、
本がポンと出てくるのは、おかしいよねっていう話をして。
その本のテーマとは、関係なかったんですけど、
とりあえず、現地に行こうと決め、
著者の方と3人で取材して回りました。
糸井
はい。
古賀
その時は、ほんとに瓦礫がバーッとなってる状態で……。
糸井 
まだ、全然ですよね。
古賀 
そうですね。もうほんとに……。
糸井 
行くだけでも大変ですよね。
古賀 
はい。交通手段も限られてる状態だったので。

その状況を目の当たりにして思ったのは、
今は自衛隊の方とか、
そういう人たちに任せるしかないなということです。

とにかく、東京にいる僕らにできるのは、
自分たちが元気になることだな、と思ったんですよね。
ここで下を向いて、つまんない本を作ったり、自粛したり、
そういうようなことになるんじゃなくて。

東京の人間が東を向いて何かをやるというよりも、
西の人たちに向かって、
俺たちちゃんと頑張ろうよ、というような。

糸井 
はい。
古賀 
それを僕たちがやらないと、
東北の人たちも立ち直ることが難しいだろうからと、
逆に意識を西に向けていた時期でしたね。

瓦礫を見た時の迫力……。
もう、何もできないなと思ったので。

糸井 
無量感ですよね。
あの、自分には何もできない、という思いは、
形を変えて、小さくずっと僕の中にも残ってます。
実際にやった人たちに対する感謝といっしょに。
古賀 
そうですね。
糸井 
瓦礫、ないんですから、今。
古賀 
ほんとに20年ぐらいかかるだろうなと思いました。
糸井 
気配、ないですよ、ほんとに。
古賀 
そうですね。

糸井 
『モテキ』っていう映画を撮ってたのも、
あの頃だったんですね。
監督の大根さんと話したら、
とにかく『モテキ』を止めないでやるって。
大変なことだったと思うんです。
でも、止めないんだって決めるしかないわけですよね。

僕は、
「本気で決断したことは、
全部正しいというふうに思うじゃありませんか」
と言ってきたんだけれど、
『モテキ』の話を聞いて、
やっぱり、そうだったなと思うんですよね。

古賀 
うん、そうですね。
糸井 
あの時、みんなが生ぬるい被災地の物語を、
どんどん作っても、何の意味もないんですよね。
すごくちゃんとした人たちが、
震災の映画を作ろうとしていたのを
僕はお節介に止めたことがあったんですね。
まだ、出番はあるから、みたいな言い方をして。
古賀 
はい。
糸井 
それは、同時に自分に言ってた気がします。
そういうこと、したくなっちゃうよなって。
糸井
ライターだから、編集者だから、みたいな、
肩書きを起点にして「自分のできること」を考える発想を、
僕はなるべくやめようと思ったんですよ、実は。
肩書きではなく、個人の名前としてどうするかを、
とにかく考えようと思ったんです。
そうじゃないと、職業によっては、
何も役に立たなくなってしまうので。
古賀 
そうですね、うん。
糸井 
僕は歌い手だから、ってギターを持って
出かけてった人がいっぱいいたけれど、
君は来て欲しいけど、君は来て欲しくない、
ってことは絶対あったと思うんですね。
古賀 
そうですね、はい。
糸井
だから、僕は、豚汁を配る場所で、
列を真っ直ぐにするみたいな手伝いとか(笑)、
その延長線上で、今、自分に何ができるかを、
できる限り考えたかったんですよね。

でも、ずっと悩んでました。
わからなかったから。

(つづきます)
第7回 楽しみにされるような、おじさんでいたい