- 古賀
- 糸井さんが少し前に、
“3年後の話”というのを書かれてたじゃないですか。
※2016年3月26日更新分「今日のダーリン」より。 - 糸井
- あれ、ビリビリくるでしょ?
僕に来たの(笑)

- 古賀
-
(笑)
でも、見えもしない10年後、
20年後を語りたがる人って……。 - 糸井
- それは嫌だね。
- 古賀
-
そうですよね。そこで、満足してる人たちは、
若い人にも、ある程度年齢がいってる人にも、
けっこうたくさんいて。僕はどちらかというと、
今日、明日しかなくて、未来はわからないじゃん
って立場だったんですよね。でも、三年後にこっちに向かってるとか、
あっちに向かってるとか、
大きなハンドルは切れるんだっていうあの話は、
けっこうビリビリきましたね。 - 糸井
- それを、僕は今の年でわかったわけです(笑)
- 古賀
- ああ(笑)
- 糸井
- そんなに簡単に、
その考えになりたくないみたいなところもあって。 - 古賀
- うんうん、そうですね。
- 糸井
- 大きな災害があった後とかに、
「今を精一杯ちゃんと生きようよ」
というのは説得力があるんです。 - 古賀
- そうですね。
- 糸井
-
僕も、本当にそう思えたんじゃないかな、一旦は。
でも、それを繰り返していったら、
「どうしましょう?」って聞かれるようになって、
「俺もわかんないけど……」ってずっと答えてきた。でも、今日ぐらいのところは、
3年前くらいからわかってたなって
思うようになったんですよ。 - 古賀
- それって、
震災に関わるようになったのは関係してますか? - 糸井
-
それは大きいですね。
僕が思ってることはひとつなんですよ。
みんなが優しくしてくれる時に、
素直にその行為を受け取れるかどうか。
だから、震災にあった人たちと「友達」になりたい、
と早くから言いました。 - 古賀
- はい。
- 糸井
- 「友達」が言ってくれることは、
素直に聞けるじゃないですか。 - 古賀
- そうですね。
- 糸井
- そうじゃない人からいろんなことを言われても、
「ありがとう」って言うけど、
やっぱり「ございます」が付くんだよね。 - 古賀
- ああ、なるほど。
- 糸井
-
いつか、誰と誰に何されたから返さなきゃとか、
僕は思っちゃうたちだから。
その意地っ張りみたいな部分を、
ストレートにわかってくれたり、
普通に「ありがとう」って言い合えるような
「友達」みたいな関係がいいなぁって。僕が、普通の「ありがとう」以上のことを、
恩着せがましくしたら、彼ら、彼女らは、
「ありがとう」って言わないと思うんですよね。
そこが基準でした。 - 古賀
- はい。

- 糸井
- あげればあげるほど、
いいと思ってる人もいるじゃないですか。 - 古賀
- そうですね。
- 糸井
- でも、それは絶対違いますよね。
向こう側から僕を見て、
「余計なこと」をしてないかなっていうのは、
いつも考えるようになりましたね。

- 糸井
- 東京大震災が、
先にくるとずっと言われていましたよね。 - 古賀
- そうですね。
- 糸井
- その時に、いろんな地方の人が優しくしてくれるとします。
着古したセーター送ってくる人もいれば、
自分の身を顧みずに親身になってくれる人もいる。
そのいろいろを、自然なこととして見られるだろうか。
「ありがとう」を言いっぱなしで、
何年間も生きていけるだろうか。 - 古賀
- はい。
- 糸井
- きっと、すごく焦って、事業欲が出るような気がします。
ここから、すごい成功してみせるぞ、みたいな。
それは、僕の本能なんだと思うんだけど、
それが東京にいて刺激されたような気がしますね。

- 古賀
- 震災の時、糸井さんは
「自分は当事者じゃなさすぎる」という
言い方をされていたじゃないですか。
特に福島との付き合い方、距離感の問題とか。
そのヒントが、「友達」ということになるんですかね。 - 糸井
- そうですね。前から知ってる人がそこにいたら、
こういう付き合い方したいっていう感覚です。
たぶん、それが「親戚」でも僕はダメなんですよ。
「家族」って考えると、ちょっと大きすぎて、
限りなく当事者に近くなってしまいます。 - 古賀
- そうですね。
- 糸井
- 福島に転校して行った「友達」がいて、
どうしてるかな? と思った日に、
そんなことがあったみたいな。 - 古賀
- うんうんうん。
- 糸井
-
「お前、ほんとにマズイな」って言いながら、
やり取りできるような。
それで考え方が1本見えたかな。古賀さんは、
どうやって自分の考えを納めようと思いましたか? - 古賀
- 僕は、ちょうどcakesの加藤さんといっしょに、
本を作っている時でした。
5月ぐらいに出版予定だったので、
もうすぐ入稿するというタイミングです。
このまま何もなかったように、震災に触れずに、
本がポンと出てくるのは、おかしいよねっていう話をして。
その本のテーマとは、関係なかったんですけど、
とりあえず、現地に行こうと決め、
著者の方と3人で取材して回りました。 - 糸井
- はい。
- 古賀
- その時は、ほんとに瓦礫がバーッとなってる状態で……。
- 糸井
- まだ、全然ですよね。
- 古賀
- そうですね。もうほんとに……。
- 糸井
- 行くだけでも大変ですよね。
- 古賀
-
はい。交通手段も限られてる状態だったので。
その状況を目の当たりにして思ったのは、
今は自衛隊の方とか、
そういう人たちに任せるしかないなということです。とにかく、東京にいる僕らにできるのは、
自分たちが元気になることだな、と思ったんですよね。
ここで下を向いて、つまんない本を作ったり、自粛したり、
そういうようなことになるんじゃなくて。東京の人間が東を向いて何かをやるというよりも、
西の人たちに向かって、
俺たちちゃんと頑張ろうよ、というような。 - 糸井
- はい。
- 古賀
-
それを僕たちがやらないと、
東北の人たちも立ち直ることが難しいだろうからと、
逆に意識を西に向けていた時期でしたね。瓦礫を見た時の迫力……。
もう、何もできないなと思ったので。 - 糸井
- 無量感ですよね。
あの、自分には何もできない、という思いは、
形を変えて、小さくずっと僕の中にも残ってます。
実際にやった人たちに対する感謝といっしょに。 - 古賀
- そうですね。
- 糸井
- 瓦礫、ないんですから、今。
- 古賀
- ほんとに20年ぐらいかかるだろうなと思いました。
- 糸井
- 気配、ないですよ、ほんとに。
- 古賀
- そうですね。

- 糸井
-
『モテキ』っていう映画を撮ってたのも、
あの頃だったんですね。
監督の大根さんと話したら、
とにかく『モテキ』を止めないでやるって。
大変なことだったと思うんです。
でも、止めないんだって決めるしかないわけですよね。僕は、
「本気で決断したことは、
全部正しいというふうに思うじゃありませんか」
と言ってきたんだけれど、
『モテキ』の話を聞いて、
やっぱり、そうだったなと思うんですよね。 - 古賀
- うん、そうですね。
- 糸井
- あの時、みんなが生ぬるい被災地の物語を、
どんどん作っても、何の意味もないんですよね。
すごくちゃんとした人たちが、
震災の映画を作ろうとしていたのを
僕はお節介に止めたことがあったんですね。
まだ、出番はあるから、みたいな言い方をして。 - 古賀
- はい。
- 糸井
- それは、同時に自分に言ってた気がします。
そういうこと、したくなっちゃうよなって。

- 糸井
- ライターだから、編集者だから、みたいな、
肩書きを起点にして「自分のできること」を考える発想を、
僕はなるべくやめようと思ったんですよ、実は。
肩書きではなく、個人の名前としてどうするかを、
とにかく考えようと思ったんです。 -
そうじゃないと、職業によっては、
何も役に立たなくなってしまうので。 - 古賀
- そうですね、うん。
- 糸井
- 僕は歌い手だから、ってギターを持って
出かけてった人がいっぱいいたけれど、
君は来て欲しいけど、君は来て欲しくない、
ってことは絶対あったと思うんですね。 - 古賀
- そうですね、はい。
- 糸井
-
だから、僕は、豚汁を配る場所で、
列を真っ直ぐにするみたいな手伝いとか(笑)、
その延長線上で、今、自分に何ができるかを、
できる限り考えたかったんですよね。でも、ずっと悩んでました。
わからなかったから。 - (つづきます)
