「東日本大震災を実感していない自分は、震災とどう向き合えばいいんだろう?」
ほぼ日でインターンをしている
大学3年生のマツザキが、
あらためて震災について考えた。
メール紹介⑤

被災地を訪れた方からのメール

こんにちは、マツザキです。
引き続き、「東日本大震災を実感していない自分」
というテーマに寄せられたメールを紹介します。
紹介するメールは、平成28年熊本地震が起きる前に
お送りいただいたものです。

今回は、被災地を訪れた経験がある方からの
メールを2通、紹介します。

メールを送ってくださったお2人は、
被災地を訪れて経験したことと、
その後のご自分の心の動きを、
ていねいにメールに綴ってくださいました。

それでは、メールを紹介します。

他人事ではなくなったけど、自分事にはできない。
(佐藤さん・福島の大学に進学)

東日本大震災のとき、私は栃木県におり、
住んでいた場所の震度は6弱でした。
次の日には大抵のライフラインは元通りになりましたが、
交通の混乱などがしばらく続き、
しばらくは落ち着かない日々でした。
でも、当時高校生だった私は、
テレビで流れる被災状況に
想像を巡らせることはありませんでした。

それから2年経ち、縁あって
福島の大学に入学することになりました。
進学先に福島を選んだことに
震災は関係ありませんでしたが、
せっかく福島に来たのだから、と思い
災害ボランティアセンターに入りました。

仮設住宅での傾聴活動を通して、
被災した方と1対1でお話するようになりました。
そこで聞いた被災状況のお話は、
私にとって衝撃的なものばかりでした。
なんて言葉を返していいのかわからず、
ただただ受け止めきれない感情が生まれました。
傾聴活動なのに、うまく話せなくなって、
お話を聞きたくないと思うこともありました。
それでも、「また来てね」などと言葉をもらうと
涙が出るほど嬉しくて、
必ずまた来よう、と思いました。

そのうち、被災した方のお話の受け止め方も、
自分のなかでわかってきて、
きちんとお話ができるようになり、
今では自分のほうが励まされ、
毎回あたたかい気持ちをいただいています。

一方で、いくらお話を聞いても、
被災した方の気持ちを正確に理解することはできません。
こんなことを言っていいのかわかりませんが、
「この方たちと同じ経験をしていれば、
 気持ちがわかったのに」と思うことがあります。
同じ経験をされた方どうしは、
至って冷静に原発事故の話をしたり、
今は帰れないふるさとの話をしたりしています。
当事者ではない私は、被災した方の気持ちがわからず、
想像するしかないので、どうしても過剰に
感情移入をしてしまいます。
冷静になんてなれません。
そんなふうに、私と被災した方の違いに直面したときに、
私は結局表面的にしかその方と関われないのかなと
思ってしまいます。

仮設住宅に住む方々と、
ボランティアと被災者という垣根を越えて、
ひとりの人としてのお付き合いが
できるようになった今は、自信を持って、
「震災は他人事ではない」と言えます。
でも、「自分事になった」とは言い切れないし、
自分事にはできないと感じています。

ただ、自分事にできなくても、
だからこそ言えることや、だからこそ思うことは、
きっとあるんだと思います。
今はそれを大切にしたいと思います。

被災地を訪れて、よかったと思っています。
(あさん・宮城県女川町を訪問)

わたしは、生まれてから今まで、
ずっと東京で暮らしていますが、
5年前の3月11日は、大学の卒業を間近に控え、
トルコへ旅行している最中でした。
3月13日に日本に帰国し、
東京が異様に静かに感じることもありましたが、
テレビで何度も流れる
津波と原発の映像を眺めていただけで、
震災を実感することはありませんでした。

わたしは、震災を実感していないということを、
1度だけ人に話したことがあります。
その人から、冗談かもしれませんが、
強く批判されてしまいました。
その批判はわたしのこころに突き刺さって、
それ以来、震災についての話はしなくなりました。
そして、震災について考えるのが、
なんとなく怖くなってしまったように思います。

そして昨年の11月、社会人になって転職などをしながら、
自分の心が強くなってきたように感じたわたしは、
宮城県の女川町を訪れることにしました。
女川駅の改札を抜けると、
できたばかりの駅舎がそびえていて、
建築の力はすごいと感じると同時に、
「復興してきたんだ」と感じられました。

けれど、駅舎からすこし離れたところに、
がれきはないものの、まっさらな土地があり、
その先には海が広がっていました。
カラーコーンが並べて置いてあり、
人の気配は感じませんでした。
そこにもともとなにがあったのか、
全くわかりませんでした。

それから、震災の記憶として残されていた
旧女川交番を見に行きました。
基礎の杭が見えるほどに傾いた交番を前にして、
どれだけの人が津波の被害に遭ったのだろうか、と
涙があふれてきました。
今も行方不明の方がたくさんいらっしゃると聞いて、
震災から4年半の間、どうしてわたしは
被災地でできることをしてこなかったのだろう、と
後悔しました。

被災地を訪れてからは、東日本大震災で
どんな被害や出来事が起きたのか、
きちんと調べるようになりました。
やっと、震災にきちんと向き合えるようになったと、
自分では感じています。
震災からもう5年が経ってしまったけれど、
これからは他の被災地も訪れて、
できることをしていきたいです。
被災地を訪れて、よかったと思っています。

東日本大震災に向きあおうとするときには、
受け止めきれないほど圧倒的な事実に直面します。
受け止めようと思って受け止められるものでは
ないのかもしれない、と思うこともあります。

メールをくださったお2人は、
被災地を訪れたことによって、
その圧倒的な事実にことばを失ったのかもしれませんが、
そのときになにを感じたのかということは、
鮮明に覚えていらっしゃいました。

被災地でお2人が感じたことは、
その後のそれぞれの考え方や行動を、
どの方向に進んでいるにせよ
先に進めるきっかけになっているように思います。

次回に、つづきます。

2016-05-16-Mon