ほぼ日刊イトイ新聞

いのくまさんのこと。猪熊弦一郎と猫、そしてその生活。

1993年まで生涯現役で活躍した、
猪熊弦一郎という画家がいます。
名前をはじめて聞く、という人も、
三越デパートの白地に赤い模様の包装紙や、
JR上野駅中央コンコースの壁画を描いた人、
と聞けば、ああ! と思い当たるかもしれません。
パリ、東京、ニューヨークに暮らし、
数多くの作品を発表した猪熊さんは、
同時に猫好きでも知られていて、
猫をモチーフにした作品も多いです。

ということで2月22日の猫の日企画、
今年は猪熊さんの猫の絵を取り上げます。
「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館」にうかがって、
学芸員の古野さんに猪熊さんと
猫の話をたくさん聞いてきました。

いっぽうで、猪熊さんの魅力は、
「猫好き」という側面だけでは語りきれません。
みんなに「いのくまさん」と呼ばれて
親しまれたその人柄も、
猪熊さんの最後の作品ともいえる
広くてあかるい美術館も、
なにもかもがすてきだったんです。
全5回のうち、第2回までは猫の話を中心に。
以降は、猪熊さんにまつわる話を幅広くご紹介します。

02 疎開先にも猫を連れて。

ーー
猪熊さんと猫との関係って、
どういうものだったんでしょう。
古野
荒井茂雄さんという、
猪熊と数年間一緒に住んでいたお弟子さんがいます。
その荒井さんが言うには、
猪熊にとって猫は仲間のような感じで、
テーブルの上に乗っても、ふすまを破いても、
柱に傷をつけても全然怒らなかったそうです。
「それも猫がつくった作品だから」と。
――
え、それはすごいですね。
猫が何をしても怒らない。
古野
そうなんです。
町田康さんがおっしゃっていたんですが、
猪熊の絵でビックリしたのが、
猫が普通にテーブルに乗っている絵だ、と。
その時代にそんなこと
ありえなかったと思うと。

猫と食卓 1952年 油彩・カンヴァス

――
たしかにこれは、普通は
「降りなさい!」と怒られそうな光景です。
古野
ひょっとしたら、
こういう形で絵をつくろうとしただけで、
実際にこういう場面を見ながら
描いたわけではないかもしれません。
でも、一方でこういうシーンが
暮らしのなかに普通にあったんだと思うんです。
猪熊は、多分その時代としては稀有なぐらい、
猫を家族として受け入れていました。
――
絵から関係性がわかりますね。
猫と猪熊さんの
お写真は残っているんでしょうか。
古野
あまりたくさんはないんですが、
猪熊が撮った猫の写真があります。
――
うわあ。かわいい。
これはどこの家ですか?
古野
1980年代に田園調布に住んでいたころですね。
ちなみに戦後すぐ、一番猫が多かった時期は、
1ダースくらい飼っていたそうです。
ーー
1ダース‥‥てことは12匹!
古野
当時のエッセイを読むと、
「ガトコ」とか「チュウチュウ」とか、
それぞれ名前がついているのがわかります。
これは、猪熊がデザインした椅子に
4匹乗っかっていますね。

「婦人生活」1954年4月号より ※1

――
うわあ、かわいい。
そして奥さんもきれいですね。
古野
きれいなんですよ。
すごく仲がいいご夫婦でした。
猫好きって、昔もいたんでしょうけど、
今みたいにみんなが猫を家族として
かわいがっているような感じではなかったと思います。
でも、文筆家とか画家とか、
芸術系の人には猫好きが多くて、
『猫』という本が50年代に編まれています。
猪熊が装幀してるんですけど、おもしろいんですよ。
ーー
これはまた、そうそうたるメンバーですね。
しかも表紙がかわいい‥‥。
古野
でしょう。
挿絵も猪熊なんですよ。
――
あ、これも猫が頭に乗ってる!
たのしいですね。
古野
ふざけてる感じがするけど、
きっと猪熊は大真面目なんです(笑)。
文筆家で猫好きといえば、
生涯に何百匹も飼ったという大佛次郎さんが
有名ですけど、その大佛さんのお家から
猪熊の家に子猫が養子に行ってるんです。
画家の藤田嗣治さんも、
「ゲンちゃん」「オヤジさん」と呼びあって
猪熊とすごく親しかったんですが、
パリに住んでいる頃に、
キッキーという同じ猫を描いたりしています。
ーー
へえー。
そういう猫つながりの交友関係が
いろいろあったんですね。
古野
これもね、すごくかわいいんです。
封筒に、猪熊が猫を描き足していて。
――
わああ、かわいい!
これ届いた人嬉しいでしょうね。
古野
あ、これもすごいですよ。

葬儀の日 1988年 水彩・紙

ーー
なんでしょう、これ。
…遺影のような。
古野
はい。奥さんのお葬式の日に
家に帰って描いた絵なんです。
――
え? 亡くなってすぐに描かれたんですか。
古野
そうです。
裏に「葬儀の日」という題と日付が書いてあるんです。
――
ああ‥‥そうなんですね。
猫がまわりにたくさんいて、
そばについてる感じがしますね。
古野
猪熊はとにかく奥さんの絵を
たくさん描いているので、
私たち学芸員も、奥さんを描いた絵は
すぐわかるんですけど、
スケッチブックに描かれたこの絵を見つけたとき、
「え、誰だろう」と思ったんです。
絵のなかに「FUMI」と書いてあって、
フミさんにしてはなんか変だな、
別人のようだな、と。
よくよく見たらお葬式。
そして、まわりには猫。
奥さんがさびしくないように猫を描いたのかな、と。
――
猪熊さんと奥さんにとって、
猫たちは本当に大切な存在だったんですね。
古野
はい。戦時中は、疎開先にも
当時飼っていた猫を
2匹連れていったらしいです。
――
疎開にも猫を連れていった?
つまりその‥‥非常時で、
食べることに困っているときにも。
古野
そうなんです。
そこはやはり肩身の狭い思いをしたそうです。
1匹はオス猫でみっちゃんというんですけど、
みっちゃんが近所の農家が大切にしていた
ニワトリを襲って村中の大事件になったとか。

題名不明 1945年 インク・紙

――
当時にしたら大事件でしょうね。
どちらに疎開なさったんですか。
古野
今の相模原市の相模湖の近くで、
仲の良かった画家たちがいっぱいそこにいて、
芸術家村みたいな雰囲気だったそうです。
猪熊はピアノも持って行ったという逸話があります。
――
猫だけでなくピアノまで!
古野
でも、それが受け入れられる人柄だったんですね。
どんな状況に置かれても
「美しい暮らし」ということが常に頭にあったのは、
すごいなと思います。

(つづきます。次回以降は、
美術館内を案内していただきながら
そんな猪熊さんのことをより詳しくご紹介します)

※1 撮影者を調査しましたが判明にいたりませんでした。
ご存知の方はご一報いただけますようお願い申し上げます。

2018-02-23-FRI

東京で展覧会が行われます!

猪熊弦一郎展 猫たち

題名不明 1987年 インク・紙

2018年3月20日(火)ー 4月18日(水)会期中無休
開館時間:10:00ー18:00(入館は17:30まで)
毎週金・土曜日は21:00まで(入館は20:30まで)
場所:Bunkamura ザ・ミュージアム(渋谷・東急本店横)
入館料や前売券などはこちらでご確認ください。

猪熊弦一郎展 猫たち

猪熊弦一郎 猫画集 『ねこたち』
リトルモア刊
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取材協力:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA)

タイトル:題名不明 1944年 インク・紙  背景:題名不明 1986年 インク・紙
※作品画像はすべて丸亀市猪熊弦一郎現代美術館蔵
©The MIMOCA Foundation
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