李監督×糸井重里対談
第4回 【客席寄りと自分寄りの振れ幅があるんです。】
糸井 映画の中でストーブを集める
シーンがありました。
あのリアリティが面白かったなあ。
具体的に暖かいものがほしい
わけですもんね。
あれは本当の話なんですよね。
本当の話なんです。
なかなか作り物として思いつく
ネタではないです、あれは。
糸井 本当の話を聞いて
それを映画に入れていくっていうのは、
やっぱり面白いですよね。
そうですね。だから、本当の話も、
みんなが「そうだよね」って納得する
本当の話よりは、
「ウソだ」って言う本当の話が
混じるほうが面白いですよね。
そのほうがこっちもそこが拠り所になって、
こんなウソみたいな話が本当なんだから、
違うウソを作れちゃうんですよね。
糸井 そうか、ああ。
脚本書いてるときってやっぱり、
どう言ったらいいだろう、
「豊かさ」は書けますよね。
人間ってもっと幅のあるものですよね。
そうですね。映画のスケール感って
そういうことだと思うんです。
お金かけてドンパチやるのも
スケール感ですけど、
もっと人の感情の触れ幅とかを
出していきたいんです。
糸井 いや、出てましたよ。
「面白い、つまんない」っていう言い方で
何でも人は判断するんですけど、
作ってる人こそがそれを判断してるわけで、
どうしてこれを面白いと思って
出しちゃったんだろうというものもあれば、
これはわかってて面白いというところまで
鍛え上げていって出したんだろうなと
思うものもありますよね。
ちょっとした匙加減で
まったく変わっちゃう。
その、自分の面白いって言えるときの
基準の持ち方みたいなものはありますか。
 
それは‥‥、本当に好き嫌いしか
ないですよね。
糸井 好き嫌い。
自分が見たい映画を
作ってるわけですからね。
糸井 ほう。あ、てことは、
観客としては自分ですね。
そうですね。
糸井 同じ題材で同じキャスティングで
同じロケ地でも、
いくらでもつまんなくなったと思うんです。
そういう可能性はあったと思うんですよ。
でも、面白く作れたっていうのは
運だけじゃないわけで、
絶対に「それじゃダメなんだよ、
これがいいんだよ」っていう
ものすごい数のジャッジを
されたんだと思うんです。
同じ監督でも、面白いの作ったり
つまんないの作ったり
平気でしちゃいますからね。
それ恐いことですよね(笑)。
糸井 それって何なんだろう、って
ものすごく興味があるんですよ。
『フラガール』が本当に
面白かったっていうのは、
監督が客席にいたんだ、
って言われるとものすごい納得します。
自分が客席に座ってるってイメージって、
説明しにくいけどわかりやすいですよね。
客席寄りと自分寄りの振れ幅があるんです。
シーンによってもありますよね。
ここは客にとって必要なシーンだから
こうするっていうとこと、
ここは自分がこうしたいからこうするとこ。
で、それが映画トータルになったときに、
「ああ、今回は7・3だったな」とか
「8・2だったな」とか。
自分の自我と客観性とのバランス。
 
糸井 それはやっぱりしょっちゅう
狂う可能性のあるものなんだね。
しょっちゅう狂うと思いますよ。
糸井 そうなんだね、きっと。だから、
同じ人がそこでバランス崩すんだね。
それを一定に保つことって
難しいと思うんですよ。
精神のバランスと同じで、
常に同じ振れ幅で行ってると、
それはそれで多分面白くないし。
糸井 でしょうね。ちょっとコブみたいに
余計なものが出てたりするのが
面白いんでしょうね。
見ようによっちゃ、
「ああ、やりたい気持ちはわかるけど、
 そうしなきゃいいのに」
とかってあるじゃないですか。
でもやっちゃうところが
面白いと思えるかどうかとか。
糸井 やっぱり生き物の面白さですね、
映画っていう。
ラッキーも相当やっぱり入ってる?
もう要するに、人じゃできないことって
いうのをあてにしないと
作れないですもんね。
そうですね。ここぐらいまで行くと
ラッキーがないと無理ですね。
糸井 ラッキーを呼び込むために
何か意識しますか。
パチンコ、麻雀、競馬を
一切しないとか(笑)?
いや、もともとしないんですけど。
全部が全部、
僕がジャッジすることなんですけど、
自分でコントロールしようとは
あまり思わないですね。
キューブリックみたいに、
全部自分の計算の中でっていうふうには
していないんです。
どこか遊びの部分、
はじける、揺らぐ部分を
作っておくというか、
たるみを持たせておくという。
糸井 その現場を楽しみにする、
みたいなことがあるんですかね。
絵コンテ、バチバチに描きますか?
いや、絵コンテは一切描かないですね。
本読みはしますけど、
リハーサルはそんなに
ガチガチにはやらないですね。
シーンにもよりますけど。
(註=本読みとは、立ち稽古の前に、
 出演者が集まって、台本どおりに、
 台詞の読み合わせをすること)
 
糸井 そういう監督なんですね、きっと。
そう、今は、そんな感じです。
糸井 これから、変わるかもしれない?
ええ、変わるかもしれないですけど。
ただ、やっぱり役者ありきなんです。
生身の役者を一番芯にしたいんです。
本当は、1日現場でリハーサルやって、
リハーサルやりながらカットを決めて、
次の日に撮影、というのが、
いいなあって感じですよね(笑)。
糸井 自分も楽しみになりますよね(笑)。
けれど、やっぱり時間が
圧倒的に足りなくなるんです。
役者が動いてみないとわからないことって
たくさんあるんで、
現場入って役者が動くと
全部また崩していったりするんで、
そうだと時間がいくらあっても‥‥
糸井 時間かかりますねえ。
今ってどんどん管理しやすいほうに
映画も行ってるから、
アニメーションの技術に限りなく
近づいてますよね。
だから、もう何が撮られるかは
顔の角度まで全部コンテの中に決まってて、
そこに役者をはめていけば
管理しやすいから、
どうしてもそっちに行っちゃう、
その流れですよね。
そうですね。
別に映画でやらなくても
いいと思うんですけどね。
糸井 その意味では、演出中心のことが
好きな監督なんだなあと思った。
人間が何を叫んだり
動いたりするかっていう。
舞台なんかも、お好きですか。
やっぱり映像が好きなんですね、舞台より。
糸井 似てて違うんだね。
ちょっと違うんですね。
役者の動き、人間の動きがありながら、
それを次にどう切り取るか考えたいんです。
舞台だとそれでポンじゃないですか。
糸井 ですね。あと、舞台では
小声の芝居はないですよね。
ないですし、結局‥‥映像だと、
この例えば切り取った部分だけがほしくて、
ほかはなくてもいいっていう瞬間って
あるんですけど、舞台ってそこも‥‥
糸井 見えちゃうね(笑)。
ええ、全部作らなきゃ
いけないっていうのが。
糸井 全然種類が違いますね。
ご自分で「監督にでもなるかな」っていう
生意気なこと言ってたときに、
そういうこと言わせるような
映画があったんですか。
あれは面白かったなあ、みたいなのが。
監督になりたいと思ったのって
映画学校入ってあとで、
けっこう最近なんですよ。
最初はとりあえず何か映画の
プロデューサーとかそういう製作系に
行きたいなと思ってたんです。
それが、学校で卒業制作とか
一応自分で作ったら、
ハマってったんですね。
大学生ぐらいまではハリウッド映画とか、
シュワルツェネッガーとか
トム・クルーズとかが好きだったので、
そんな感じで、
今村さんの映画学校に入って、
周りにけっこう映画オタクがいっぱいいて。
糸井 みんな生意気なこと言いますよね(笑)。
ええ。何のことなのか
全然わからなくて(笑)。
ゴダールってそれF1の
ドライバーじゃなかったっけなとか(笑)。
「ああ」とか言いながら
聞いてるんですけど、
よくわかんないなあとか思いながら、
それでも一応ビデオで借りて見とくかと
思って見た中では、
やっぱりでも日本映画が面白かったですね、
昔の。黒澤明とか今村昌平とか。
自分が作る側になるってことを
だんだん意識するようになってきたんで、
よりそこにシンパシーが湧くものを
面白く感じるようになって、
自分が見たいのと作りたいのが
だんだん一致してきたんです。
昔は見たいのが超大作だったんですけど、
自分で作ることが
だんだんリアリティを持ってきたんで。
 
  (続きます!)
2007-05-28-MON