李監督×糸井重里対談
第3回【ひとが大笑いするようなことの裏に。】
糸井 わざと不確定要素を増やすようなことを
またやったりも?
南海キャンディーズのしずちゃんなんかは、
不確定要素ですよね。
ええ、ダンスの小刻みな動きは
厳しいだろうな、
と思ってたんですけどね。
糸井 けれども、うまいとか下手とかの加減が
どこで軸取っていいかわからないみたいな
揺れが、ものすごく面白かったんです。
つまり、ああいう、ほかで、もう、
すごく印象の強い子が
芝居の中に出てくると‥‥ねえ?
それが見事に『フラガール』では
マッチしてたんで。
だから監督は全部を計算して
やってらっしゃるんだと思ったんです。
 
もうそれはできるもんだと思って、
これをどう見せるかって
切り替わっちゃうんですね。
糸井 あて書きじゃないですよね、台本。
(註=あて書きとは、先にその役を演じる
 役者が決まっていて、
 その人のキャラクターにあわせて、
 脚本を書いていくこと)
あて書きじゃないです、全然。
糸井 台本のときにはその姿はないけども、
そんなやつがいればいいなというイメージ?
そうですね。実際、今営業している
ハワイアンのダンスチームを
シナハンとかで見に行ったときに、
やっぱり1人大きい子がいて。
(註=シナハンとは、
 シナリオ・ハンティングの略。
 脚本を書くためにロケ地を取材したり
 いろいろな人に会うこと。
 そのあとにロケーション・ハンティング
 [ロケハン]が行われる)

レッスン見てたら
先生に注意されたり
怒られたりしてたんです。
「なんか愛嬌があってでっかくて面白いな、
 この子」とか思って。
それをもうちょっとデフォルメして
キャラにしようかなと思ったんです。
糸井 そうやって考えていくと、
ひとりひとりの子たちがみんな‥‥
みんな、なんかいいんですよねえ。
それはやっぱり
一緒に暮らしてたっていうか、
ロケ地のせいもありますね。
「通い」じゃ出ないよさですね。
「通い」は‥‥僕は、
あまり好きじゃないんですよ。
なるべく、したくないなあって。
結局、やっぱり四六時中、
同じ釜の飯じゃないですけど、
そういう中で生まれるものって
あると思うんですよね。
糸井 予算も安く上がるでしょ、逆に。
ふつうは、通いのほうが安いですよ。
今回は、スパリゾートハワイアンズ、
つまり舞台になる常磐ハワイアンセンターの
現在の姿ですね、が、
全面的に協力してくださったんです。
1月、2月の、
一番すいてる期間を選んで撮影して。
糸井 え、そんな寒い季節だったんですか?
山崎 はい。零下の日もありました。
糸井 あ、そうですか。
そんな印象なかったわ(笑)。
たしかにストーブの話とかあったのに、
冬の印象、全然、忘れてた(笑)。
雪が映っちゃってたり、するんですよ。
糸井 でも、降っていないと思うと
見えないんですよね。
人って、だから、
見たいように見てるってことだね、
映画って。それを当て込まなきゃ
できないんですよね。
あの土地は、東北にあるのに、
唯一雪が少なくて、
日照時間は長いところなんです。
糸井 だからハワイなんだ。
でも、ハワイじゃないもんねえ(笑)。
(笑)ぼた山を
ダイヤモンドヘッドに見立てて──。
糸井 漫画みたいな話ですよね。
最初聞いたとき、漫画かと思いました。
そのちょっと加減が
すごくいいなと思ったんですよ。
糸井 本当ですよね。シャレですよね。
でも真剣ですよね。
 
ええ。それを真剣にやって、
みんな生活かかっててマジっていうのが、
今、そういうのないなと思ったんです。
糸井 どっちにハンドル切るんだって瞬間が
あの映画の中いっぱいあるじゃないですか。
踊り子募集で集まった娘たちが、
「恥んずかしぃ」っていうなか、
「それどころじゃない。私やりまス!」
とか。ずーっと同じような生活してると、
急ハンドル切るシーンってないですよね。
で、あの中であの普通の子たちが
キーッとハンドルを切ってるのを見ると、
勇気が湧くんですよね。
選択を迫られるって、あまりないですね。
本当はあるのかもしれないですけど、
選択するのをよけても
何とかスーッと流れていけちゃうんで。
糸井 監督自身が『フラガール』これをやろうと
思ったモチベーションというのは、
何か個人的な思いとかあるんですか。
いわきに関しては
そんなに個人的な思いはないですけど、
やっぱり、今話したようなことですよね。
人がもう「バカだ、バカだ」って言うことを
やろうとする人たちが
やっぱり不可能を可能にできるんだなと。
僕も映画監督になるって言って
親戚中に大笑いされましたからね。
糸井 新潟でしたっけ。
生まれは新潟なんですけど、
子どもの頃に横浜に移ってるんです。
糸井 横浜でも大笑いですか。
やっぱり大笑いですよ。
19、はたちとかそこらへんのが
映画監督になるつったら
「アホか、おまえは」って(笑)。
「映画、何、何、何をやるの?」
「いや、監督とかなんか作るほう」
「プッ」みたいな感じですよね。
まあ、僕も、映画監督とか脚本家って
何をやるのかもよくわかんないし、
どうすればなれるのか、
どういう才能が必要なのか
まったくわからないですけど、
とにかくそいうのがいいなって、
あるじゃないですか。
糸井 わかる。それはすごくよくわかる。
で、なっちゃったよね。
なっちゃうまでのあいだには、
覚えてったプロセスがあるんですよね。
ありますよね、それはね。
糸井 何だったですか、それは。
道はどこかで分かれてたんでしょう、
きっと。
本当にすごくちっちゃい話ですけど、
大学の卒業を控えると
就職活動をするじゃないですか。
高校卒業する前は進学するか働くかって
あるし、大学行ったら、
働く以外普通はないじゃないですか。
糸井 就職をするだけですよね、
みんなが思ってるのは。
なんとなくおさまりのつく言い方って、
例えば大学院とかね。
ですよね。
ぼくはそれはちょっと今決めたくないなって
思ったんです。
今決められるようなステキな職業が
何もない状態だったんで。
糸井 いい話だ(笑)。
まあ、ばっくれたんです(笑)。
もう逃げですよ。
逃げで映画に行ったようなものです。
糸井 映画にって言ったときには、
自信とか何とかってことはもう全然なくて?
ないですね。まったくないですけど、
大学のときにシネカノンの社長の
李鳳宇(り・ぼんう)さんに
紹介してもらって
撮影現場にバイトに行ったんです。
そのときに、
「ああ、こっちの世界でいいや」と思って。
糸井 そのバイトが本当に人生を変えたんだね、
そうですね。
初めて撮影現場という、
何をやってるかわからないところに行って、
「ああ、こういうことやってんだ」
っていうのを見て、
「こっちでいいや」と思えたんで、
そこが分岐ですよね。
糸井 そのときに真剣な心みたいのが
あったんですか。
「こっちでいいや」のときは。
あんまないですね(笑)。
糸井 ないんですか。
いつマジになったんですかね(笑)。
マジになる‥‥どうですかね、
いや、でも、毎回映画作るときには
マジなんですけど‥‥
糸井 何がそうさせるんだろう。
それまで本当にマジに
「こっちで」と思ったかというと、
なんか、いや‥‥そんなに、ですね。
糸井 何なんでしょうね、その‥‥。僕はね、
僕は知らないんですけど、
李監督は絶対にマジな人だなと
思ってんですよ(笑)。
だって、そうじゃなかったら、
人は言うこと聞かないもん、
あんな面倒臭いこと。
「俺はふざけてるんだけど、
 おまえ真剣にやれよ」
って話はできないでしょう。
 
もちろん、もちろんそうです。
だから、映画作るときは全マジですよ。
糸井 そこは何が違うんだろうなと思って(笑)。
映画の神様がいるんですかね。
いや‥‥いや、多分もうここしか、
逃げ場ないじゃないですか。
もう、だってこれでしか
多分生きていけないと思うんですよね。
映画作っていくことでしか‥‥
生きる道がないって言うと大げさですけど。
糸井 面白みもわかっちゃってますよね、もう。
すごい面白いんでしょう、きっと。
‥‥まあ、けっこうつらいこと
ばっかりなんですけどねえ(笑)。
糸井 そう言いますよ、みんな(笑)。
でしょうね。だから、
「映画作って楽しくて」って言う人を
僕はあまり信じられないんです。
糸井 いないですね。
僕は聞いたことがないですね。
楽しくなんかないんですよ。
糸井 「あとで振り返ると面白かったね」
って言い方はみんなしますよね。
言いながら笑ってますよね(笑)。
そう、ですね、はい。
糸井 人が見て面白いものって、
みんなそういう形をしているんです。
そうですね。だから、みんなが
和気あいあい仲良くやって、
体力的にもゆるくて、
そんなんでいい映画作られてたまるかって
思うんです(笑)。
糸井 (笑)
みんなもういやな感じになったりとか
病人出たりとか、それぐらいが
ふつうだったりするんじゃないかなと。
  (続きます!)
2007-05-24-THU