巴山くんの蘇鉄。
巴山くんの蘇鉄。
ハヤマックス先生。
──
大好きな人にダメ出しされ続けるという
厳しい状況に加え、
ソテツの種にも完全無視されながら、
たゆまぬ水やりを続けていたハヤマくん。

そのとき、人知れず、
四コマ漫画を描かれていた‥‥んですか。
ハヤマ
はい。
──
しかも、ものすごい量じゃないですか。
ハヤマ
そうなんです。気付いたらこんなに‥‥。

今回、奥野さんにご指摘をいただいて
「何の手応えもない物体に、
 毎日毎日、
 欠かさず水をやっていたのはなぜだろう」
と、自問自答してみたんです。
──
ええ。
ハヤマ
これまで自分は、
何かをコツコツ続けたことなんかなくて、
何かをはじめても、
飽き性ですぐに放り出していたんです。

でも、一度くらいは
突き詰めてやってみようという気持ちが、
芽生えたんだと思うんです。
──
このソテツとの出会いによって。
ハヤマ
そして、水やりとほとんど同じ時期に
漫画を描きはじめたこととも、
その気持ちは、つながっている気がして。
──
ハヤマくんは、無類の漫画好きが嵩じて、
漫画家の先生たちと親しくしていたり、
20代半ばくらいのころには
「ほぼ日」でもおなじみの和田ラヂヲ先生はじめ
おおひなたごう先生、うすた京介先生、
村上たかし先生、とり・みき先生、
さらには江口寿史先生など、
そうそうたる出場選手が一堂に会した
「ギャグ漫画家大喜利バトル」を開催したり。
ハヤマ
ええ、まあ、大喜利バトルについて言うと、
開催したとは名ばかりで、
ただの小間使い、雑用係だったんですけど。
──
それほど漫画が好きなのに、
それまで、描いてはいなかったんですか?
ハヤマ
ええ、描いていませんでした。

ただ一度、尊敬するおおひなたごう先生に、
「お前さあ、
 藤子不二雄先生の『まんが道』に
 感動しておきながら、
 なんで自分でマンガ描かないの?」
と、痛いご指摘をいただいたことがあって。
──
ふたりの漫画好き少年の
出会いから青春、そして成長が描かれる、
藤子不二雄先生の自伝的名作ですね。
ハヤマ
ええ、おおひなた先生のご指摘については
「ああ、ほんとうにそのとおりだ」と。
──
それは、おいくつくらいのときですか?
ハヤマ
24くらいですかね。

そこで、自分も漫画を描こうと思って、
尊敬するロビン西先生に
「ぼくも漫画を描きたいと思います」
とお伝えしたら、
「お前にはまだ早い」と言われまして。
──
‥‥尊敬するふたりの先生のご意見が、
みごとに、まっぷたつ。
ハヤマ
そうなんです。

尊敬しているおふたりの先生のうち、
お一方(ひとかた)からは
「お前、何で描かないんだ!」と、
もうお一方(ひとかた)からは
「お前にはまだ早い!」と言われて。
──
身動きが、取れなくなってしまった、と。
ハヤマ
でも、ソテツの種に水をやりはじめたら、
自分のなかで、なぜだか
「あ、もういいのかもしれない」
という思いがポッと浮かんできたんです。
──
「おおひなた先生、ロビン西先生、
 ぼくは描きます」と。
ハヤマ
好きだった女性にフラレてズタボロになり、
「男として、人として、
 自分は、なんてダメなやつなんだ」
と自己嫌悪に陥っていたんですが、
無視されながらも、ソテツに水やることで、
どうにか自分を保つことができました。

そのときに
「俺には、これから、何があるんだろう」
と考えたら‥‥。
──
漫画があるかもしれない、と?
ハヤマ
はい。
──
で、そんなふうに思えてからは
吹っ切れたように、
貯水ダムの堰を切ったように、
これほどまでの四コマ漫画を‥‥お描きに。
ハヤマ
ええ。描いた四コマ漫画は、片っ端から、
『月刊モーニングtwo』の
読者投稿コーナーに送りつけていました。
──
ああ、あの、漫画誌の。
ハヤマ
採用されることなんて、まったく期待せず、
描いて送りつけるだけで満足していました。

そんなことを続けていたら、
あるときに編集部から電話がかかってきて
「次号に載るので、掲載誌を送る」と。
──
おお!
ハヤマ
そのとき、はじめて、
「ああ、ぼくみたいな人間の描くものでも、
 おもしろがってくれる人がいるんだ」
と感動して、ますます、描き続けたんです。
──
ちょっと‥‥見せてください。
ハヤマ
いや、今日、もしかしたら
漫画の話にもなるかもしれないなと思って、
スミマセン、持ってきてしまって‥‥。
──
見たいです。
ハヤマ
ほんとうにスミマセン、
もう、誰にも頼まれてなんかいないのに、
ただ描いていただけで‥‥。
──
いいから見せてください。
ハヤマ
ぜんぜんおもしろくもない‥‥。
──
おもしろくなければ、
採用されないのではないでしょうか。

はやく見せてください。
ハヤマ
芽が出るかどうかもわからないソテツに
水をやりながら、
「いったいこれが、何になるんだ?」
と思いながら描いてた4コマ漫画で‥‥。
──
‥‥‥‥‥(読む)。
ハヤマ
あの、ええと‥‥そんな感じのものが、
『モーニングtwo』に載って‥‥。
──
‥‥おもしろいじゃないですか。
ハヤマ
たった1本だけだったんですが、
雑誌に載せてもらえたことがうれしくて‥‥。
──
おもしろいですよ。ハヤマくん。
ハヤマ
ソテツの種は、あいかわらず
ウンともスンとも言ってなかったんですが、
漫画のほうには反応があって‥‥。

え? あ! ほんとですか!?
──
おもしろいです。

ハヤマくんが、失恋の痛手に苦しみながら、
ソテツに水をやりながら、
猫ちゃんを溺愛しながら、
黙々と描いた四コマ、実におもしろいです。

©ハヤマックス/白泉社

ハヤマ
ありがとうございます!
──
しかも、ほんとすごい量ですし。
ハヤマ
はじめて1本、載ってからは、
ちょこちょこと、載るようになりました。

その後は月に5本くらい送って、
そのうちの1本が載る感じだったんで、
ボツになった漫画が、
どんどん溜まっていったらこうなって。
──
え、じゃ、載ったのは一回じゃないんだ。

いつしか、読者投稿コーナーの
常連投稿人的な、
熟練のハガキ職人的な人になっていたと。
ハヤマ
なんか、そんな感じみたいです。
──
ハヤマくんって、
いろんなことに巻き込まれがちですから、
その経験が、
このギャグ四コマに活きてる気がします。
ハヤマ
そうでしょうか。
たしかに日々、巻き込まれてばかりです。
──
以前も、Facebookを見ていて
おどろいたんですけど、
何だか‥‥映画もつくっていましたよね?
ハヤマ
あれも、途中からは巻き込まれた感じで。
──
ずっとお会いしてませんでしたから
「ハヤマくん? 映画? なんで急に?」
と思ったんですけど、
どうしてまた、映画製作など。

なにせ、ぼくの知ってるハヤマくんは、
「ギャグ漫画家大喜利バトル」で、
漫画家の先生たちの
愛情にあふれたアゴでコキ使われたり、
かわいがられたり、
やっぱり最終的にはコキ使われていた、
あの痩せたメガネの青年、なので。
ハヤマ
漫画のイベントをやるうちに、
「たとえば、この作品を映画にしたら、
 おもしろいのになぁ」
と思って、企画書を書いてみたんです。
──
具体的には、何という作品ですか?
ハヤマ
尊敬するロビン西先生の幻の名作
『ソウル・フラワー・トレイン』です。

その作品で企画書を書いて
「もし、こんな名作を原作に映画をつくれたら
 おもしろくないですか?」
って、まわりの人に言いまくったんです。
──
まわりの‥‥映画関係の人に。
ハヤマ
いえ、会う人会う人、かたっぱしから。
──
映画とはまったく関係ない人にも?
ハヤマ
ぼく、映画の撮り方や作り方なんかは
ぜんぜん知らないですし、
いまから思うと
「お前、ほんとうに何の根拠もなく、
 そんなこと言えたな!」
ってことばっかりだったんですけど‥‥。
──
ほとばしる情熱という
「燃料」だけは、たっぷりある状態。
ハヤマ
そんなことをしていたら、
偶然、ひとりの映画監督さんに繋がって、
さらに
演劇のプロデューサーさんにも繋がって、
「それ、やってみようよ」って。
──
そういう方向へ転がっていってしまうのが、
ハヤマくんの
ミラクル・メガネ・ボーイなところですね。
ハヤマ
で、いざ、プロジェクトが動きはじめたら、
自分が言いだしっぺだったので
「ハヤマくん、プロデューサーやってよ」
という流れで、
やったこともないのに、
急に映画プロデューサーになってしまって。
──
映画のプロデューサーというと、
キャスティングしたり、資金集めをしたり‥‥
というイメージがありますけど。
ハヤマ
ぼくは漫画のことしかわからないので、
漫画を実写にした場合、
どうやって原作のいい部分を活かすかとか、
意見を言うような役でした。
──
で、その映画のことで、
海外の映画祭とかに行ってましたよね。

それも、Facebookで見ましたけど。
ハヤマ
はい、ドイツとイギリスの映画祭に
呼んでいただいたんですが、
ドイツのときには、みなさん忙しくて、
ぼくしかスケジュールが空いてなくて。

気づいたら、たったひとりでドイツへ行って、
ちょっとだけ覚えたドイツ語で、
しどろもどろで
舞台挨拶をしていたりしました。
──
もともとは自分から言い出したことなのに、
なぜこんなに「巻き込まれ感」が漂うのか。

ともあれ、そんなこんなで、
ボツになった漫画が、大量にあるんですね。
急に話を戻してすみませんが。
ハヤマ
そうなんです。で、そのうちに
『月間モーニングtwo』の読者投稿コーナーが
終了してしまいました。

手元に、宙ぶらりんになった四コマ漫画が
たくさん残ってしまったんですが、
ソテツから芽が出る1ヶ月くらい前、
たまたま目にとまった
白泉社の漫画誌の『ヤングアニマル嵐』に、
それらを、まとめて送ったんです。
──
おお。
ハヤマ
そのころは、ソテツの種に水やりをはじめて
8カ月ほど経っていたころで、
さすがに「俺はいったい、何やってるんだろう」
と、すべてに嫌気が差していました。

そこで、
信頼の置ける人にこの子(=ソテツ)を託し、
思い切って仕事も休みをとり、
東南アジアのほうへ出かけたんです。
──
いわゆる
「自分を見つける旅」というやつですね。
ハヤマ
で、とくに自分を見つけたわけでもなく、
日本に帰ってきたら‥‥
漫画を送っていた『ヤングアニマル嵐』で
賞を受賞していたんです。

そして編集部から電話があって
「次号から連載でいくから」と言われて。
──
こんどは賞。すごい。‥‥え、連載?
ハヤマ
はい。
──
つまり‥‥連載になったんですか?
ハヤマ
はい、そうなんです。いまも続いています。

白泉社の『月刊ヤングアニマル嵐』で
「ハヤマックスのスキマックス」
という
スキマ連載をやらせていただいてるんです。
──
す、すごい。
ハヤマ
いやいや、そんなことないです。
──
いやいやいや、すごいですよ。

だって、つまり、連載を持ってるってことは
「ハヤマックス先生」じゃないですか!
ハヤマくんなんて言ってて、失礼しました!
ハヤマ
アハハ、やめてください。身にあまります。

思えば、その連絡をもらったころに
ちょうどこの子から、芽が出てきたんです。

<続きます>