とんでもない、原丈人さん。 次の時代のヒントは、この人のなかに?  第2部 「コンピュータ以上に便利な道具」と 「新しい株式市場」をつくるという話

楽しみにしてくださっていたみなさん、 お待たせいたしました。 ベンチャーキャピタリスト・原丈人さんに 糸井重里が話をうかがう特別連載・第2部を始めます。  今回は、原さんが、ずっと構想を練ってきた 「コンピュータよりずっと便利な道具」と 「まったく新しい仕組みの株式市場」についてのお話。  バングラデシュの教育医療プロジェクトや XVDという最先端の映像技術、 アフリカのスピルリナ計画に負けないくらい、 スケールが大きく、迫力のあるお話です。  ぜんぶで7回、まずはお読みいただき、 原さんの「とんでもなさ」を、お楽しみください。 そして、もし「次の時代のヒント」を見つけたら、 ぜひ、まわりの人にも教えてあげてください。  じつは原さん、 ノーベル生理学・医学賞を受賞した 世界的な科学者の弟子だった‥‥なんていう ちょっとおどろきの告白(!?)から、 対談はスタートしますよ。

原丈人さんプロフィール


もくじ
第1回 2008-09-08-MON
「デング熱」と「黄熱病」に困って
ノーベル賞科学者に弟子入り
第5回 2008-09-12-FRI
アメリカ共和党ビジネス評議会で
名誉共同議長をやっている本当の理由
第2回 2008-09-09-TUE
掘り出した壷を復元するために
世界初のデータベース技術を開発
第6回 2008-09-16-TUE
グッバイ・ロンドン
グッバイ・ニューヨーク
第3回 2008-09-10-WED
どんな言語でも翻訳してくれる
コンピュータ以上に便利な道具
最終回 2008-09-17-WED
「また会いましょう、糸井さん」
「おみやげ話、楽しみにしてます」
第4回 2008-09-11-THU
XVDもスピルリナもPUCも
みんな「持たざる者の武器」だ


第1回 「デング熱」と「黄熱病」に困って ノーベル賞科学者に弟子入り

糸井 原さん、どうも、こんにちは。
大丈夫ですか、お加減は?
ああ、糸井さん、すいません今回は。
スケジュールをずらしていただいて。
糸井 なんでも「鬼のかくらん」だったようで。
ええ、遅ればせながら
インフルエンザにかかっちゃったみたい。

※この対談は2008年4月に行われました。

でも、本当にスゴいですねぇ、あれ。
糸井 そんなにでしたか。
治るのに3日かかりました。
糸井 そりゃタイヘンでしたね。
熱なんか40度ぐらい出ちゃって。
糸井 インフルエンザ、はじめてですか?
うん、アメリカなんかにいると、
かかんないんですよ、あんまり。
糸井 え、そうなんだ。
シリコンバレーにいたころは、
インフルエンザにかかってる人なんか、
めった見ませんでしたよね。
糸井 ふーん。
だから、遠いアジアの話だと思ってたんです。
インフルエンザなんて。
糸井 でも、かかっちゃったんですね(笑)。
昔、バイオの会社なんかやってたくせにね。
糸井 え、原さんが?
うん、バイオとか遺伝子治療関係の会社。
糸井 また知らない過去が(笑)。
1988年から1993年にかけてくらいかな、
30社くらい、つくったことがあって。
糸井 へぇー‥‥。
30社のうちの3分の1、つまり10社くらいは
その後、大きな会社に成長していったんですよ。

残りの20社は、潰れちゃいましたけどね。
糸井 ベンチャーキャピタリストの「打率」としては
かなりいいんでしょうね、それって。
まぁ、それなりに、そうですね。
糸井 原さんの「動機」は何だったんですか?
バイオをやってみようと思った、そのときの。
きっかけは、やはり「考古学」なんです。

南米なんかで発掘作業しているときに
熱帯病にかからないためには
バイオテクノロジーが重要だと思って‥‥。
糸井 ああ、今日も‥‥風邪ひいたって話から、
どこまで行くんでしょうか(笑)。
メキシコやグアテマラ、
エル・サルバドルなんかで発掘作業をしていると、
「デング熱」や「黄熱病」なんかが
とても深刻な問題として、身近にあるんです。
糸井 ええ、ええ。
でも、そんな病気はアメリカにはないから、
誰も研究開発をしてくれない。
糸井 それで、バイオを?
だって、太ももとか虫に刺されようもんなら、
タマゴ産みつけられちゃうんですよ。
糸井 具体的に困ってたわけだ、自分が。
ちなみに、わたし、
ノーベル生理学・医学賞を受賞した
アーサー・コーンバーグという生化学者の
弟子なんです。
糸井 また唐突ですが‥‥弟子? ノーベル賞の?
ええ、遺伝子工学の父と呼ばれた研究者で、
DNA生成のメカニズムを解明した大学者。
糸井 それは、スタンフォードのとき?
そう。
糸井 「デング熱」と「黄熱病」に困って
ノーベル賞科学者に弟子入り?
わたしも「思い立ったらすぐ」なものですから、
バイオが重要だと思ったら、
すぐに「先生の生徒にしてください」だなんて
お願いに行ってね。
糸井 よく弟子にしてくれましたねぇ。
向こうも「いいよ」なんて。
糸井 だって、解決したい問題は抱えてたけれども
バイオに関しては
まったくの「門外漢」だったわけでしょう?
ま、そのへんがアメリカのおもしろいところでね。
糸井 でも、スタンフォードに入った動機って
考古学の資金をつくるために
商売の基礎を学ぼうってことでしたよね、たしか。
そのとおりなんですが、
マーケティングやファイナンスを
勉強してるだけでは、
「タマゴを産みつけられる」という問題は
解決できないですから。
糸井 そりゃまぁ、そうですが。
お金の問題はどうにかできるかもしれないけどね。
糸井 それで、バイオ「も」‥‥なのか。
まぁ、そのほかにも
工学部で光ファイバーの研究もしてました。
糸井 ‥‥そうだった(笑)。
でもね、それだけいろいろやってきたけど、
今のわたしの発想や考えかたって、
そのコーンバーグ先生から影響を受けている部分が
いちばん大きいと思います。
糸井 ほう‥‥聞きたいですねぇ、そのへんの話。

つまり、原さんの「お師匠さん」ですよね。
原信太郎さんとは、また別の。
たとえば、誰かが自殺しようとしてる場面に
出くわしたとしたら、どうします?
糸井 ‥‥止める。ふつうは。
そう、そのたびに「止める」のが
医者たるものの責務であろうと先生は言うわけ。
糸井 はい。
でも、もう一歩踏み込んで、
「人はなぜ自殺するのか」の原理を研究して
自殺する人じたいを
なくしちゃえばいいじゃないかと、
そういう考えかたをする人だったんですよ。
糸井 より根本的なアプローチなわけだ。
たしかに、
今の原さんの考えかたと似てますね。
まあ、そんなわけで、バイオのことについては、
「ライフサイエンスの父」と呼ばれる
世界的な科学者に
手ほどきを受けることができたんです。
糸井 はぁー‥‥。
そして、そんなふうに
コーンバーグ先生の弟子になれたおかげで、
世界の、ライフサイエンス分野の
ノーベル賞級の学者とは、
たいがい知り合いなんですよ、わたし。
糸井 ‥‥今日も、おもしろくなりそうだなぁ(笑)。

<続きます!>

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原丈人さんと初対面。 とんでもない鉄道模型と、すごいテレビ電話の話。
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