2018年1月、
ほぼ日の学校が始動しました。

これからいったい、
どういう学校に育っていくのか。

そのプロセスの出来事や、
学校にこめる思いなどを、
学校長・河野通和が
綴っていきます。

ほぼ日の学校長

河野通和(こうの・みちかず)

1953年、岡山市生まれ。編集者。

東京大学文学部ロシア語ロシア文学科卒業。

1978年〜2008年、中央公論社および中央公論新社にて
雑誌『婦人公論』『中央公論』編集長など歴任。

2009年、日本ビジネスプレス特別編集顧問に就任。

2010年〜2017年、新潮社にて『考える人』編集長を務める。

2017年4月に株式会社ほぼ日入社。

ほぼ日の学校長だよりNo.100

「国土」は変えられない

 先週末(10月12日)は、大型で強力な台風19号が日本列島を直撃し、東日本のほぼ全域に記録的な大雨や暴風をもたらしました。長野や福島、宮城など7県の52河川、73ヵ所の堤防が決壊するなど、甚大な被害が出ています(16日、朝日新聞朝刊)。

asahi朝日新聞 2019年10月16日 朝刊1面

 台風はとりあえず通過しましたが、広域にわたる被害はなお“現在進行形”です。さらに広がる恐れもあります。

 被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。そして、一日も早く日常が戻ることをお祈りいたします。

 約1ヵ月前の台風15号のことが頭にあったので、今回は私も身構えました。気象庁が早い段階から、「前例のないような大雨が想定される」と、厳重な警戒を呼びかけました。

 「東海から関東に今夕上陸の恐れ」という12日には、昼前から外出を控えました。夕方頃から、近くの川が危険水位を超えたというサイレンが鳴り、区役所、国土交通省からの警告が、次々とスマホに届きます。

 八王子の浅川など、馴染みのある場所で、橋の下ぎりぎりまで水かさが増し、川が凄まじい勢いで流れています。そのありさまを見ていると、いつなんどき「限界」を超える事態が襲ってくるかと、気が気ではありません。

 いまの台風が、地球温暖化、世界の気候変動とどう関係しているのかは分かりませんが、まず変えなければならないとすれば、私たちが想定している台風の常識ではないでしょうか。発生の仕方も進路も規模も勢いも、そして雨量も暴風も、すべてがこれまでの「想定」を明らかに超えてきていると思われます。

 一夜明けて、各地の河川の氾濫や土砂崩れの様子が映像で映し出されました。つくづく、この島国に生まれた私たちの運命を直視しないわけにはいきません。

 駐日大使(1961〜1966年)を務めたハーバード大学教授(東洋史)のエドウィン・O・ライシャワー博士の名著『ザ・ジャパニーズ・トゥデイ』(文藝春秋、1990年)の冒頭は、日本列島の「国土」に関する記述です。日本人について語ろうとする時、なるほどそこから説き起こすのか、と目を瞠(みは)って読んだものです。

today japanese

 台風については、こう書かれています。

<日本の気候のいちじるしい特徴の一つは、台風と呼ばれる大暴風が次々とやってくることです。これは、夏の終わりから秋の初めにかけてこの国の各地を荒らすもので、アメリカの東部海岸にときおり襲来するハリケーンと性格が同じです。台風もハリケーンも、同様の緯度における陸地と海洋の間の関係が同じであるところから生じますが、日本では台風が襲う回数がずっと頻繁で、一般に人命や財産がより多くの被害をこうむります。それは日本の人口の多くの部分が南西部の海岸地帯に集中しており、そこに台風が最初に上陸するからにほかなりません。
 台風があるために、日本人は自然の災厄を予期し、これを平然と受けとめることに慣らされてきました。この種の宿命観は「台風心理」と呼んでもよいようなものですが、それは台風以外の自然災害によっても培われました。>

 と、ここで地震の話題に転じます。少し長くなりますが、続けます。

<日本には、太平洋をとりまく大火山帯の一部を形成する多くの活火山があり、これがしばしば噴火します。最大の活火山の一つである浅間山は一七八三年に本州中央部の数万平方キロを荒らし尽くしました。(略)東京がそのむかしの江戸期に、ほぼ六十年の周期で激しい地震に見舞われてきたため、一九二三年以来すでに六十年が経過しているからには、次の大地震が起こるのはまもないだろうというのが一般の考えであり、人びとは、近代的な地下鉄、高層建築、混雑をきわめる道路などから成る都市が、その地震に持ちこたえられるかどうか疑問視しています。しかし、いずれにせよ、日本人は、自然の畏怖すべき力をいさぎよく受け入れる態度と、こうした災厄ののちに新規まきなおしで立ち上がる大きな能力を持っているのです。>

 外からの目でこのように客観的に言われると、なるほどという気がしてきます。長い引用にお付き合いいただいたのは、最後の文章を読んでほしいと思ったからです。

 日本はまた河川大国です。大小とりまぜ無数の川が、列島を覆う毛細血管のように流れています。しかも山が多いうえに、山から海までの距離が短く急勾配で、水量の多いことも特徴です。

 「数の多さ、流れの多様さ、複雑さは世界に類がないのではあるまいか」と述べたのは、この間亡くなったドイツ文学者の池内紀さんです(『川を旅する』、ちくまプリマー新書)。平野部が少なく、欧州のようにゆったりと平地を流れる川が少ないことも特徴です。

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<一つの川ですらよく知っているなどと、とても言えない。ふだんはなんてことのない細い川であっても、ひとたび大雨や台風にみまわれると一変する。みるまに水勢がふくれ上がり、轟々(ごうごう)ととどろきながら奔(はし)っていく。そんなとき堤(つつみ)に立つと、足の下できしるような音がするそうだ。氾濫を起こせば低地は一夜にして土砂に埋まる。ときには田畑もろとも集落までもかっさらう。ふだんのおだやかなたたずまいからは想像もつかない。昔の人はしばしば川を竜(りゅう)にたとえたが、ひとたび奔走(ほんそう)をはじめると川は荒れ狂う竜になる。>(同)

 川の氾濫で、家屋が濁流に呑み込まれてゆく痛ましい映像を見ていると、私たちの世代は、どうしてもある衝撃的な場面を思い起こします。45年前に起きた多摩川水害の生々しい記憶です。

 山田太一原作・脚本のテレビドラマ「岸辺のアルバム」(TBS、1977年)のタイトルバックにも使われた、1974年の多摩川の堤防決壊のニュース・フィルムです。

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 タイトルバックでは、いきなり荒れた川が郊外住宅を押し流していくさまが映し出されます。多摩川のニュース映像だとすぐにわかります。都心に勤めているサラリーマンが、ようやく手に入れた「夢のマイホーム」が流されてゆく――見ている私たちは、そう思います。ドラマの主人公一家が、まさにそうだったからです。

 その映像が流れた後に、「岸辺のアルバム」のタイトル文字が浮かび、続いてヘリコプターで撮影された多摩川岸の穏やかで平和な風景が映し出されます。すると、また一転して、洪水に流されていく主人公たちの家と、逃げ惑う一人ひとりの家族が、暴風雨の中で叫んでいるスチール写真が挿入されます。全15回のドラマで、最終回に出てくる洪水のシーンです。そして最後に、また平和な川岸の光景へと戻ります。

 冒頭のニュース映像から、空撮された多摩川の風景に移る瞬間、音楽が入ります。これがジャニス・イアンの歌う「ウィル・ユー・ダンス」という曲です。この主題歌の曲想とドラマの内容が見事にマッチして、その後もこれ以上に鮮やかな選曲には出会っていない気がします。

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 ドラマの内容については、あえて立ち入りません。ただ、「岸辺のアルバム」は、ホームドラマ史に革命を起こしたと言われ、平均視聴率が14%。その年のテレビ大賞、ギャラクシー賞などを総なめにし、いまだに語り継がれる歴史的な名作です。

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 従来の「食卓を囲んだ一家団欒」というほのぼのとしたホームドラマの殻を打ち破り、視聴者に強烈な衝撃を与えました。堀川とんこうプロデューサーが作り出した“等身大ドラマ”というキャッチフレーズが、業界の流行語になりました。家族とは何か、を大胆に問いかけ、核家族化された現代家庭のリアルな姿を描いた「辛口ホームドラマ」の嚆矢(こうし)とされます。

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 1974年9月、台風16号によって引き起こされた多摩川の堤防決壊で、狛江市猪方(いのかた)にある19棟の家屋が流出しました(死傷者はゼロでした)。その時、家を失ったこともそうですが、家族のアルバムを失くしたことがショックだった、という被災者の話を聞き、山田太一さんが小説の想を得たと言われます。「岸辺のアルバム」というタイトルの由来です。

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 “辛口”と評されるだけに、ドラマは崩壊すれすれの4人家族の孤独な状況を容赦なくあぶり出します。しかし、その物語の苦さとは別に、高度経済成長を支えてきた中堅サラリーマンがやっと郊外で手に入れた「幸せ」の象徴であるマイホームを、突然、濁流によって押し流される、その悲しさ、無念、喪失感――。

 この作品に、私たちが胸をえぐられ、激しく共振した理由のひとつは、この不条理に対する無力感だったような気がします。流されていく家を、なすすべもなく、ただ見つめているほかない、その虚しさ――。

 家族は家が流される直前に、いちばん大切なものとして数冊のアルバムを持ち出します。4人が集まった笑顔のアルバムこそが、思い出の詰まった「幸せ」の証しだとして――。

 Will you dance? Will you dance?  
 Smell of caviar and roses 
 Teach your children all the poses 
 how familiar are we all...
 (踊らない? 踊りましょう?
  キャビアと薔薇の香りがするでしょ。
  教えてあげて、子どもたちに。見かけだけでも
  私たちがどんなに仲良しかっていうことを。)

 台風一過、家族は都営アパートに移り住み、ふたたび助け合って生きようとするところで小説は終わります。ドラマでも、再出発を暗示するように4人が川沿いの草むらを歩いてゆくのがラストシーンでした。

 そんな昔のドラマの映像が、どうしても蘇ってきます。現実のニュース映像にかぶさって、それぞれの家の「アルバム」に思いがおよび、心がいっそう掻きむしられます。

 戦後、多くの日本人が憧れたマイホームの夢の真実と瓦解を鋭く抉(えぐ)ったのが「岸辺のアルバム」でした。

 作者の山田太一さんは、あたりさわりのないホームドラマを拒否しました。その一方で、戦後の繁栄が抱えてしまった矛盾やひずみ、高度経済成長がもたらした澱(おり)のようなものを、そこで一気に吐き出して、悲劇が再生に向けて反転していく時の、たくましい力を確かめたかったのではないか――日がたつにつれ、そういう思いが強まります。

 そして視聴者は、間違いなくそこに強く共感し、励まされていたと思うのです。

 度重なる自然災害を経験した平成の時代が終わり、令和になってもまだ続く災害の実態を目にすると、この先どうなるのか、という思いを禁じ得ません。

 どうすべきかは容易に答えの出せるようなことではないでしょう。ただ、何が問われているかをしっかりつかまえることはできるはずです。そんなことを台風のさなかに思っていました。いまも考え続けているところです。

 何年前だったか、和泉多摩川駅(小田急電鉄小田原線)の近くにある「多摩川決壊の碑」を訪ねました。「あの教訓を忘れないために」と、国土交通省が「多摩川の見どころ」として紹介しています。

tamagawa

<被害にあってしまった方々の強いご希望により、この水害の教訓を後世へ伝えるという使命を持って「多摩川決壊の碑」は誕生した‥‥>

 河川敷に建てられた小さなピラミッド型のモニュメントでした。

2019年10月10日

ほぼ日の学校長

ほぼ日の学校オンライン・クラスに、万葉集講座第4回授業が公開されました。講師は本日の「学校長だより」でもご紹介している細胞生物学者であり歌人である永田和宏さんです。