怪・その23
「出てこないで」


思えば、30年近く前のことになります。

ある春の日、当時の彼と、
都内の高層ホテルに泊まった時のことでした。

その日は、
とにかく帰りを気にせずに飲むぞと決めて
ホテルに泊まることにしたと記憶しています。
お店をはしごし、
とどめにホテルのバーでまた飲み、
部屋に帰ったのは
夜中の2時を過ぎていたかと。
シャワーもそこそこに、
二人、泥のように眠りにつきました。


ふと、
物音で目を覚ました私。

「あぁ、シャワーの音か‥‥」とまた眠り、
どれ程経ったか、
またシャワーの音で目が覚めました。

動きのないシャワー音とでもいうのでしょうか、
ただ、濡れているだけといった
シャワーの音に異変を感じ、

「随分と長いし、変なシャワーだな、
 見に行こうかな」
と思ったその時、
隣ですやすやと眠る彼が目に入りました。

物音が彼のものではないと気付いた時には、
私の体は、かなしばりで身動きができず、
動くのは目だけとなっていました。

どれ程の時間が経ったでしょうか、
キュっキュっと蛇口をしめる音が聞こえてきました。

シャワーの音は聞こえなくなり
静まりかえる部屋‥‥

「まさか‥‥出てこないで」

と願った私でしたが、

小さくカチャっとドアが開く音が聞こえました。

数秒の後、静かに静かに女の人が現れ、
じっと私と目を合わせていました。

それは、とても長く感じました。

目を合わせることに限界を感じた頃、

静かにその女性は彼に視線を落とし、
彼の方に進んで行きました。

そして、ひざまづき、彼の顔の横に頬杖をつき、
じっと静かに彼の顔を見下ろしていました。

「その女性が関心があるのは、
 私じゃないんだ、彼か‥‥」と

恐怖の中にも安心した気持になった、

その時、

女性の伏せていた目が、

ギョロっと私の方に向いたのです。

恐ろしい、見開いた目でした。

あまりの恐怖に、私は気を失ったと思います。

そして、どれほど経ったか、
どれほども経っていないのか、
自分の叫び声で正気を取り戻しました。

それからは、彼への説明もそこそこに
数分で着替え、荷物をまとめ、部屋を後にしました。

この時から、ホテルに一人で泊まることが
できなくなってしまいました。

(かすみ)
この話、こわかった! ほかのひとにも読ませたい。
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2011-08-17-WED